記事・レポート

生命観を問い直す

更新日 : 2009年07月31日 (金)

第11章 「真偽」「善悪」以外の「美醜」という判断レベル

福岡伸一 分子生物学者/青山学院大学教授

会場からの質問: 「人間は部分しか見ていない」という話からの質問です。例えば狂牛病が出てきた時、すぐにすべてを把握することは難しい。でも人間は、その段階で何らかの意思決定をしなくてはいけません。先生はこのような時、どのように折り合いをつけていくべきだと思われますか。

福岡伸一: これまた大変タフな質問です。私たちは部分しか見ることができない。そして部分の効率や幸福を求めると、逆にみんなの効率や幸福にはつながらないことがたくさんあります。そのときに、どういう決定判断がなされなければいけないか、それは本当に一義的に言えることではありません。

私は判断がなされるレベル、フェーズがあると思います。1つめは、その判断が「真か偽か」という科学的な議論です。しかし狂牛病の問題1つとっても、アメリカ産牛肉が本当に危ないのか、リスクがどれくらいあるのかは、科学的な方法を尽くしてもわかりません。真偽レベルでは判断がなし得ない。つまり多くは科学の問題のようで、科学の限界の問題なのです。

そうすると、別のレベルで判断せざるを得ません。それは「善か悪か」という倫理的な価値判断です。それがどういうふうになされるべきか難しいところで、多数決か、あるいはコンセンサス会議に専門家が集まって決めるのか、それは今でも模索されています。

しかし問題なのは、「真偽」「善悪」だけでは決められないフェーズがあるからです。それは、「美しいか、美しくないか」という美醜のレベルで、非常に個人的な判断です。例えば、原子力発電が是か非かというときに、真偽や善悪レベルの判断以外に、原子力発電は美しくないと思う人がいます。遺伝子組み換え食品がいくら安全だと説得されても、それが美しいと思えない人もいます。

そういう違うフェーズの判断が、しばしば混乱していることに現代の問題の根深さがあり、それを解きほぐしていくことが重要な糸口になるのではないかと思います。十分なお答えではないかもしれませんが、私はそう考えています。

会場からの質問: 今朝、中国で犬の顔面半分の移植に世界で初めて成功したというニュースを見ましたが、すごく違和感を覚えました。今後、我々はそういう実験をよしと考えるべきかどうか、先生はどのようにお考えでしょうか。

福岡伸一: そのニュースを聞かれて、多くの人は何か嫌な感じがしたと思います。それがまさに真偽や善悪ではなく、美醜レベルから私たちの判断が出発することの表れではないかと思います。美しい、美しくないという感じ方は、「なぜそう感じるのか」が言葉にされなければ意味を持ちません。

私は移植という行為を美しく思えません。確かに「重い心臓病の赤ちゃんが、アメリカで移植手術をして元気になりました」というニュース自体は喜ばしいことでしょう。でも冷静に見てみると、もともとあった心臓は“部品”ではなく、神経や血管などによってさまざまな組織と結合していたのです。それが移植されると、主要な血管や神経は再生されるかもしれませんが、多くのつながりは切断されたままです。

私たち生物は「動的平衡状態」にあるがゆえに、何とか騙しながら移植が成立しますが、大量の免疫抑制剤が必要だし、他の感染症になるリスクも高まります。そして、多額の費用もかかります。個別の判断ではなく、全体の理念として見ると、私はそこに美しさを感じません。理由は今日お話ししたように、それが非常に部分的な操作だからです。


該当講座

生命観を問い直す
福岡伸一 (分子生物学者/青山学院大学 理工学部 化学・生命科学科 教授)

現在、私たちの周りには生命操作を巡る様々な議論があります。遺伝子組み換え、クローン技術、ES細胞、臓器移植・・。これらを可能とする先端技術の通奏低音には、「生命とはミクロな部品が集まってできたプラモデルである」という見方、すなわち機械論的生命観があります。 しかし、本当に生命とはプラモデルのような置....


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