記事・レポート

生命観を問い直す

更新日 : 2009年05月14日 (木)

第7章 「家畜の病気」から「人にもうつる病気」へ

福岡伸一 分子生物学者/青山学院大学教授

福岡伸一: 狂牛病には、潜伏期が非常に長いという特徴があります。子牛たちが発病するまでに約5年の無症状期間がありました。もしこの病気に人がかかると、潜伏期間はもっと長くなる可能性があります。

約5年を経て症状が現れるので、92~93年頃まではイギリスの狂牛病は増加の一途をたどりました。ピーク時の91~92年には年間2、3万頭規模で発症しました。93年以降、ようやく発症数が減少に転じました。

ここで第2の謎がありました。肉骨粉を飼料として牛に与えることは20世紀初頭からずっと行われていました。羊の「スクレイピー病」もずっと昔からイギリスにありました。いつだって牛に乗り移るチャンスはあったのに、なぜ1985年になって急に大発生したのか、ということです。

草食動物を肉食動物に変えたことを第1の人災とすれば、狂牛病の発生が85年に急に現れたことに第2の人災が隠されていました。潜伏期は約5年ですから、85年に先立つ1980年に特別なイベントがあったことになります。

それはちょうど2008年、私たちが経験したことと同じでした。原油の価格が急に高騰したのです。原油の価格が上昇して打撃を受ける産業は多く、「肉骨粉」をつくっていたレンダリング産業もその1つです。

それまで原料となる死体は大鍋で圧力をかけて2時間煮詰められていました。狂牛病の病原体と考えられているプリオンは非常に熱に強いのですが、圧力をかけ2時間煮詰めるとさすがに死滅します。ところが原油価格が上がったので、その工程を大幅に簡略化し、2時間の加熱殺菌時間を30分程度にしてしまったのです。

この「部分的な視野」によって、プリオンが残存することに手を貸してしまい、このとき市場に出た肉骨粉を牛が食べ、約5年の潜伏期を経た85年から狂牛病が現れたと考えられています。

90年代半ばになると、イギリスの若者の間で奇妙な病気が現れました。クロイツフェルト・ヤコブ病という病気で、まっすぐ歩いているつもりなのに、体が壁際に寄ってしまう。だんだん記憶が薄れてきて、起立不能になっていく。自分の脳が崩れていくのが自覚できるという悲惨で恐ろしい病気です。致死率100%で、今のところ治療法も予防法もありません。

亡くなった患者さんの脳を顕微鏡で調べると、脳細胞が集団で死んでスポンジ状の穴がたくさん空いていました。その脳の様子は狂牛病の牛の脳と瓜二つでした。

イギリス政府はそれまで「狂牛病は人にうつることはない」と、楽観的な見通しを述べていました。しかし、それは手痛く裏切られました。1996年、この病気は牛から人に感染することが公的に確認され、このニュースは全世界を巡ったのです。


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生命観を問い直す
福岡伸一 (分子生物学者/青山学院大学 理工学部 化学・生命科学科 教授)

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