オピニオン・記事

生命観を問い直す

更新日 : 2009年03月18日 (水)

第3章 「エントロピー増大の法則」に対抗する唯一の方法

福岡伸一 分子生物学者/青山学院大学教授

福岡伸一: なぜ、私たちの体は絶え間なく合成と分解を繰り返さなければならないのでしょうか。

シェーンハイマーはその答えを出していません。その後、「どうして生物が秩序を守り続けていられるか」について考察を巡らせた物理学者のアーウイン・シュレディンガーも、そこには重要な秘密があると感じていましたが、それを明確な言葉にはできませんでした。

現在の私たちも明確な言葉をもっていません。ただ、次のようには言えます。生命現象は、例えば人間なら60~80年は生命の秩序を固体として維持することができます。それに対して、宇宙の大原則「エントロピー増大の法則(熱力学第二法則)」があります。エントロピーは「乱雑さ」という意味です。

この法則は、日常的な場面でも現れます。整理整頓しておいた机の上は、1週間もすればグチャグチャになります。煎れ立てのコーヒーはやがて冷たくなります。熱烈な恋愛もやがて冷めます。これはすべて「エントロピー増大の法則」の「秩序があるものは、その秩序が崩壊される方向にしか動かない」に基づいています。

その中で、生命現象は何十年も秩序を維持し続けています。これは法則の例外でしょうか? いいえ違います。生命現象は、非常に特殊な方法で「エントロピー増大の法則」と必死で闘っているのです。

ある秩序を維持しようとする場合どうしたらいいか。工学的な発想に立てば、頑丈にすればいいわけです。高層マンションは「エントロピー増大の法則」から免れるため、強力なパイルを地中深く打ち、風雪や風化から守るために腐食しないセラミックタイルで覆います。しかし、どんな建物も20年ほどすれば、大規模な修繕を行わないと立ち行かなくなります。

ところが生命は、もちろん徐々に老化はしますが、メンテナンスフリーで長期間生き長らえます。それは生命が「頑丈につくる」という選択を諦めたからです。生命現象は最初から「ゆるゆる、やわやわ」につくり、あえて自らを壊し続けることを選択したのです。

福岡伸一 分子生物学者/青山学院大学教授
20世紀の生物学はずっと、「生命現象(DNAやタンパク質など)はいかにしてつくられるか」ばかりに注目してきました。ところが近年分かってきたことは、「細胞はつくることよりも、壊すことの方をずっと大切にしている」ということです。タンパク質がつくられる方法はたった1通りですが、壊される方法は何十通りもあり、いくつものバックアップシステムに支えられています。

細胞は、何があっても壊し続けます。傷ついたり故障したから壊すのではなく、壊れても古びてもいないのに壊します。つまり「動的平衡状態」は、みずから積極的に壊すことから始まり、つくり直すことで補完されて回っているわけです。

なぜ壊すことを優先するのか。それが「エントロピー増大の法則」に対抗する唯一の方法だからです。「法則」が生命現象を壊すより先回りしてわざと自らを壊し、つくり替える。まさに自転車操業です。

しかし、さすがにこれを60年以上続けていると、だんだん自転車のスピードも遅くなり、やがて「法則」が自転車をつかまえ、追い越します。それが個体の死です。

その時点で、生命は次の担い手に「動的平衡状態」をバトンタッチしています。これは「子孫を残す」という意味ではありません。私たちの体の中で一時秩序を保っていた分子が、他のところで次の秩序を保っているという意味で、生命現象は38億年間、ずっと地球上で秩序を維持してきたのです。

このような「動的な生命感」はシェーンハイマー後になぜか急速に廃れ、DNAの発見とともに、機械論的・操作論的な生命観がどんどん進展していきました。さて、その背景には一体何があったのか、別の視点からお話したいと思います。


該当講座

生命観を問い直す
福岡伸一 (分子生物学者/青山学院大学 理工学部 化学・生命科学科 教授)

現在、私たちの周りには生命操作を巡る様々な議論があります。遺伝子組み換え、クローン技術、ES細胞、臓器移植・・。これらを可能とする先端技術の通奏低音には、「生命とはミクロな部品が集まってできたプラモデルである」という見方、すなわち機械論的生命観があります。 しかし、本当に生命とはプラモデルのような置....


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