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「政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年」

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更新日 : 2008年10月31日 (金)

第13章 かつての自民党の集票マシンの仕組み

ジェラルド・カーティスさん

ジェラルド・カーティス: 10年ぐらい前に朝日新聞の企画で、30年振りに大分県に戻って、どういうふうに変わったかということをシリーズで書いたことがあります。国東半島の一番先に姫島というきれいな島があるのですが、昔行ったときには、「占領時代に1人のアメリカの軍人が来て以来、だれも外国人は来ていない。多分、その前もいなかった」というぐらい、ほとんど外国人が行っておらず、徳川時代からあまり変わらないような社会風土の島でした。

その姫島で生まれた西村英一さんという田中派の大物がいました。当時姫島には3,000人ぐらいの有権者がいたのですが、総選挙のときに西村さんは2,670票ぐらい、2番目の社会党の人は16票、佐藤文生さんは3票、そんな感じのところでした。

当時、姫島の村長さんの部屋に行ったら、自治省のフラッグがいっぱいあって、「姫島は全国で一番政治意識の高いところである」と書いてる。「投票率が高いということは、政治意識が高いとうことだ。姫島が一番だ」と言うのですが、実際は政治意識が低いから姫島の投票率は高かったのです。
政治と関係なく、地元の偉い人が選挙に出るということで、寝たきりのおばあちゃん以外はみんな投票に行き、90%の人間が西村さんを支持したわけです。投票率が高いのは政治意識が高いと、アメリカの政治学の理論を何も考えずに当てはめるのは間違いです。

姫島には青年団があって、私は何回も彼ら若い人とお酒を飲んでいろいろな話をしました。それが大変勉強になりました。姫島は村としての、共同体としての結束が非常に強いところだったのです。

この前、村長さんのところに行ったら、変わっていることもあれば、変わらないこともありました。そのときの村長さんは、私が30年前に会った村長さんの息子さんでした。その息子さんはとても立派な政治家で、「自分が案内します」と車で回ってくれました。

途中で「若者の宿」という看板のある、きれいな建物の前で車を停めたので、私は昔の姫島を思い出して、「これはよく使われているでしょう」と聞きました。すると「それが残念なことに、タダで使えるのにほとんど使われていない。たまにカラオケパーティを開くぐらい。若い人はほとんどいない。姫島から福岡や大阪に行ってしまった。残っている人たちは家にいてテレビを見て、恋人に電話をして喫茶店で会うぐらいで、昔のような青年団はない」ということでした。

そこから、耶馬渓という福沢諭吉が生まれた中津の山の奥のところに行って、そこで昔の町会議員と会いました。40年前、その町会議員と田舎の道を歩いていたとき、向こうから農家の人が歩いてきました。すると町会議員は、「今度選挙があるけど、佐藤文ちゃんを頼むよ」と言いました。そのときの返事が非常に印象的だったのです。相手は「あなたには大変お世話になっているから、もちろん文ちゃん入れるよ」と答えたのです。

「え?」と、非常に驚いたのですが、「あなたにお世話になっているから、佐藤さんに投票する」——これが日本の自民党の集票マシンを象徴するものだと思いました。そういう町会議員にお世話になっている村の人の70~80%は「町会議員が佐藤文生支持だったら、自分も佐藤を支持する」ということです。これが票をまとめる力ということだったのです。

そのときの自治省の選挙ポスターには「義理や買収じゃ売れないこの一票」というスローガンが書かれていました。「義理も買収も同じだ。お金を渡すのと、義理で票を買うのとは同じことだ」というわけですが、「関係ない人に義理で票を入れる」、これが当時の自民党の集票マシンだったのです。

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