オピニオン・記事

語る、つなぐ ~記憶のアンテナにふれるとき~

生と死の間(あわい)にあるもの/いとうせいこう×能楽師・安田登

更新日 : 2015年11月11日 (水)

第6章 西洋音楽と能の音楽


 
「能管」の響きの秘密

いとうせいこう: 僕は、能で使われる横笛「能管(のうかん)」が不思議でなりません。「ひしぎ」と呼ばれる非常に甲高い音は、舞台に得も言われぬ緊張感を生み出します。また、他の吹奏楽器にはない独特の音色も不思議です。面白いのは、古くから受け継がれてきた笛ほど、重宝されること。能の笛方にうかがうと、「これは300年前に作られた笛です」とおっしゃることもあります。

安田登: 皆さん、「300年では新しいほうですよ」と言いますね。

いとうせいこう: つまり、300年以上にわたって受け継ぎながら、能管を育てている。皆さん、その感覚を持たれているから、「自分は後世に受け継ぐ一人にすぎない」とも言われますよね。しかも、能管が発する音は、いわゆる西洋音楽の音階にまったく当てはまらない。聞くところによれば、昔の人はあえて不安定な音を出す楽器を作ったそうですね。

安田登: そうです。もう1つ、能管はわざと非常に音が出しづらくなるように作っています。

いとうせいこう: だからあれほど、全身を使って懸命に息を吹き込んでいるわけですね。能という表現を突き詰めた結果、あのような楽器が生まれた。

安田登: 現実と夢が交錯する世界を創り出すために、シテとワキが務める謡にも、囃子方が行う演奏にも、何か秩序立ったものを壊す効果が求められたのだと思います。

 
秩序や論理を超えた先

いとうせいこう: クラシックは、すべての音がドレミファソラシドの考え方で整理されています。こうしたものに対し、20世紀の中頃、自然の音や人工的な騒音をとり入れた具体音楽(ミュージック・コンクレート)が登場した。また、実験音楽家のジョン・ケージのように「何も演奏しないことが音楽だ!」と言う人まで現れた。しかし、日本では、いまから何百年も前に「システマチックな音は出さない」と決めた人々がいた。アバンギャルドすぎますよね?

安田登: そうですね。謡の節回しや囃子方の演奏は、最初はなかなか覚えられないと言われますね。きちんとした、いわゆる楽譜がないからです。五線で書かれた西洋音楽の楽譜には、秩序立った構成があり、具体的な指示も書かれている。いわば地図のようなもので、演奏曲の全体像や“現在地”も分かります。しかし、能の謡本や能管の楽譜となる「唱歌(しょうが)」には、文字と記号があるだけで、具体的な指示はあまりありません。

西洋音楽は、楽譜を通じて曲全体としての秩序立った構成や演奏の流れを、先々まで俯瞰的に見通せます。一方の能は、まるで蛇が生い茂る草むらを動くようなウォークスルー的なものです。つまり、いま自分がいるところから、上にいくとか、下にいくとかいう指示はあるのですが、そこが全体の中でどのような場所なのかは書かれていません。それは常に自分で意識していなければならない。だから、唯一できるのは、少し先の未来を予見することだけ。ある意味、人間の社会、ひいては人生も同じだと思いませんか?

いとうせいこう: 「生きる」とは、つまりそういうことですよね。

安田登: 我々が生きる世界には、本当は秩序などありません。論理立って整理したり、理解したりできるものばかりでもない。そのような混沌を舞台上で表現し、その中から大切な何かを見いだす。能を作り上げてきた人々は、このような点を大切にしたのかもしれません。



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650年前から続く伝統芸能「能」は、死者と生きる者の話。能をフックに、私たちが忘れかけている、日本の文化、そして死生観について語ります。



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