記事・レポート

語る、つなぐ ~記憶のアンテナにふれるとき~

生と死の間(あわい)にあるもの/いとうせいこう×能楽師・安田登

更新日 : 2015年10月28日 (水)

第2章 生者と死者がつながる夢幻能の世界


 
間(あわい)をつなぐ「ワキ」

安田登: ご存じない方もいると思いますので、能の基本的なしくみを簡単にご説明しましょう。

能は、大きく「現在能」と「夢幻能(むげんのう)」に分けられます。現在能は、現実の世界に生きる人々のみが登場し、時間の経過とともに物語が進行します。夢幻能は、現実と異世界、過去と現在を行き来しながら、死者などの霊的な存在が生きている人間に魂の救済を求める形で物語が進みます。

基本的に能は、前場(まえば)、後場(のちば)と呼ばれる前後半で構成され、主人公となる「シテ」と相手役となる「ワキ」の掛け合いで展開します。現在能のシテやワキは、演じる役は様々ですが、すべて生きている人間です。一方、夢幻能のシテは、最初は人間として登場しますが、本当は神様や精霊、亡霊、怨霊のほか、鬼や天狗、龍など、この世あらざる存在です。相手役のワキは、旅する僧侶や武士など役回りは様々ですが、こちらは必ず生きている人間です。

例えば、前場では、旅する僧侶(ワキ)がある土地をふらりと訪れ、その土地に暮らす人(シテ)から様々な人物や出来事に関する昔話を聞く。そして、前場の最後、「実は、いま話したのは私の話だ」と言い残し、シテの姿がサッと消える。後場では、ワキの夢の中にシテが本来の姿(霊的な存在)として現れ、過去の出来事を振り返りながら舞を見せ、夢が覚めるのと同時に姿を消す。

ちなみに、私が務めるのはワキです。ワキはよく脇役だと思われるのですが、能ができた当時のワキには脇役の意味はありませんでした。ワキというのは、ここ、着物の横の部分、体の脇に由来しています。ワキは「分く」の連用形で、前と後ろに分ける部分、という意味です。

いとうせいこう: 言うなれば、あちらとこちらの世界の境目。能の言葉では、間(あわい)ですね。

安田登: そうです。ワキは非常に面白い存在です。例えば、ここに扇子がありますが、横に広げた時、上面は人間の世界、下面は霊的な世界だとします。表裏ですから、普段はお互いの存在を感じることはできません。なぜ、ワキは霊的な存在に出会えるのか? それは扇子の端、つまり“へり”の部分、表と裏とを分ける、そんな境界にいるからです。ワキの多くは、順風満帆な生活をしてきた人が、ある日突然大きな挫折を得てしまい、半分死んだような状態、すなわち生者と死者との境界にいながら旅をしています。

いとうせいこう: つまり、道行をしているような状態にあると?

安田登: はい。ある所に定住し、普通の生活を送っているのではなく、諸国を放浪し、世間の栄華や名声などは、もうどうでもいい存在になっている。まさに、生死の間(あわい)にいる人だからこそ、死者や精霊など異世界の住人にコンタクトできるのだと思います。


該当講座


六本木アートカレッジ 語る、つなぐ ~記憶のアンテナにふれるとき~
六本木アートカレッジ 語る、つなぐ ~記憶のアンテナにふれるとき~

650年前から続く伝統芸能「能」は、死者と生きる者の話。能をフックに、私たちが忘れかけている、日本の文化、そして死生観について語ります。