記事・レポート

語る、つなぐ ~記憶のアンテナにふれるとき~

生と死の間(あわい)にあるもの/いとうせいこう×能楽師・安田登

更新日 : 2015年10月28日 (水)

第1章 能の謡(うたい)の稽古

650年以上にわたり受け継がれてきた伝統芸能、「能」。物語の多くは、 旅人である「ワキ」と亡霊や精霊である「シテ」との掛け合いで展開し、生者と死者が語り合うその独特の世界は、現代を生きる私たちに多くの示唆を与えてくれます。そんな「能」をフックに、作家・クリエーターのいとうせいこう氏、下掛宝生流の能楽師・ワキ方の安田登氏が、私たちの記憶の底に眠る死生観を説き起こしていきます。

いとうせいこう (作家・クリエーター)
安田登 (能楽師 ワキ方 下掛宝生流)

写真左:安田登 (能楽師 ワキ方 下掛宝生流)写真右:いとうせいこう (作家・クリエーター)

 
わざと心身の余裕を奪う

いとうせいこう: まずは、ふたりの関係性から簡単にご説明すると、僕は数カ月前から安田さんに能の謡(うたい)を習っています。それまでは、能の世界には足を踏み入れまいと考えていたのですが……。

安田登: そうなのですか?

いとうせいこう: あまりに深すぎる世界であるため、敷居が高いというか、難しい先輩がたくさんいるような気がして。落語やハードロックも、一歩足を踏み入れると、たちまち「お前は全然分かってない!」と言われてしまう雰囲気があり、能にもそれと似たイメージを持っていたからです。

しかし、一昨年頃から、謡を聞いているとなぜか心が落ち着くのを感じ、決意が揺らぎ始めました。次第に学んでみたいと思うようになり、「習うのなら、やはり安田さんだな」と、Twitterでその気持ちをちらつかせていたところ、「弟子をとらなかった安田さんが、数人程度なら教えるそうだ」という情報が入り、すぐにお願いしました。稽古を始めて数カ月経ちますが、僕は大丈夫ですか?

安田登: もちろん、大丈夫です(笑)。稽古に来られるのは少々変わった方が多いですが、いとうさんをはじめ、皆さん非常にまじめです。

いとうせいこう: 建築家、編集者、政治家など、様々な分野の人々が月に2回集まり、朝8時から一緒に正座をして、独特の節回しで謡う。とても不思議な時間です。特に能の演目は、霊的なものが多い。言うなれば、能で語られるのは、死者など霊的な世界とつながる言葉ですね?

安田登: だからこそ朝8時に稽古を始めている、とも言えます。例えば、14時から始めるのでは、心身の余裕も生まれやすい。早朝から稽古を始めるなど心身の状態に負荷をかけることで、霊的なものとつながるための準備をしてもらう、というわけです。

いとうせいこう: 霊媒たるもの、「少し調子が悪いな」と感じるくらいがいいと。

安田登: いいですね。いつも元気で健康な霊媒師さんなど、あまりいませんよね?

いとうせいこう: 「いま、20キロ走ってきたよ。さっそく霊を降ろしましょうか?」と、汗を拭きながら語る霊媒師さん……。いないですよね(笑)。やはり、心身のバランスが少々崩れているくらいが降ろしやすいのでしょうか?

安田登: そうだと思います。それに皆さん、稽古中はとても足が痛そうですね。

いとうせいこう: 板の間で、座布団もなしに2時間正座を続けるわけですから。もちろん、気持ちは引き締まるのですが……。

安田登: しかし、皆さんの声は、時間が経つごとに大きくなります。人間というものは、外面的な元気さを奪うことで、逆に内面的な元気さがわきあがってくる。それが重要だと考えているため、申し訳ないのですが、わざときつくしているのです。

いとうせいこう: スポーツの厳しさとも異なりますし、謡の稽古は準備運動もない。稽古場に到着するなり、正座をして、すぐに稽古用台本となる謡本(うたいぼん)を見ながら始める。だからこそ、日常から非日常にスパッと切り替わる感覚がとても気持ちがいい。もしかすると僕は、上手なスイッチングを身につけるために、謡を習い始めたのかもしれません。稽古開始から数カ月経ち、ようやくそれが身体感覚として理解できるようになりました。


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六本木アートカレッジ 語る、つなぐ ~記憶のアンテナにふれるとき~
六本木アートカレッジ 語る、つなぐ ~記憶のアンテナにふれるとき~

650年前から続く伝統芸能「能」は、死者と生きる者の話。能をフックに、私たちが忘れかけている、日本の文化、そして死生観について語ります。