オピニオン・記事

語る、つなぐ ~記憶のアンテナにふれるとき~

生と死の間(あわい)にあるもの/いとうせいこう×能楽師・安田登

更新日 : 2015年11月04日 (水)

第4章 文字としての言葉、音としての言葉


 
区切ることで世界は生まれた

いとうせいこう: これは僕の勝手なイメージですが、この世界が誕生する以前は、時間がなく、命もないのっぺりとした世界があった。そのような世界に、ある時突然、ポコッと「区切り」が入った。その瞬間、時間が生まれ、命が生まれた。うまく表現できないのですが、僕は能の世界にも、同じような印象を持っています。 

安田登: たしかに、あらゆる創世神話は「区切る」「分ける」ことから始まります。『古事記』では、天地(あめつち)が分かれた瞬間から物語が始まります。聖書では、神様が最初に光を創造して昼と夜を分け、そして昼と夜、天と地などの名づけをして創造の業を行います。区切る、分けることで何かが生まれ、広がっていくわけです。

いとうせいこう: 例えば、生まれたばかりの赤ん坊には、区切りはない。その後、母親や父親の顔や声、好きなにおいと嫌いなにおいなど、自分を取り巻くものが様々に区切られていく。そのようなプロセスを経て、人間の世界は形づくられていきます。能の舞台でも、生者と死者が語り合う混沌とした世界が展開します。そこに、謡や舞、囃子を通じて区切りを入れていく。何か相通ずるものがありそうですね。


文字に新たな命を吹き込む謡

安田登: 区切るという意味では、言葉というものも、文字としてのそれと、音としてのそれに区別されます。文字が誕生したのは紀元前3500年頃、シュメール人が生み出した楔型文字だと言われています。それまでは、基本的に音声を通じてコミュニケーションを行っていましたが、文字の誕生により様々なことが激変しました。そうしたことを含め、私は色々な意味で文字とは非常に強力なツールだと感じています。

いとうせいこう: 音としての言葉は自分に密着したものですが、文字としての言葉は自分から離れていく。例えば、音声としての僕の言葉は、僕が死んでしまえばなくなります。つまり、僕と同じ思考を持って声を発する人がいなくなる。しかし、小説は文字であり、僕の“外側”に出てしまう。したがって、僕が死んでも、文字のほうは100年後、200年後まで生き残る可能性があり、そこでは現在とは別の意味を持って読まれるかもしれない。時間を超えて残るのが文字であると。

安田登: そうです。能の物語は、数百年という長い時間と様々な人々の思いを経て、形づくられてきたもの。そう考えれば、謡とは、時間を超越した場所に浮かんでいる文字をつかみ、それに声を乗せることで、新たな生命力を吹き込む行為だと思います。

いとうせいこう: 時間の概念を持たない世界にあるものを、声の力で現世に引き寄せてくる。

安田登: まさにそのような感じです。ご存じの通り、能の謡の発声は、現代の話し方や歌い方とはまったく異なります。そのため、欧米の方々の中には謡を「ノイズ」として捉える方も多いようです。

ノイズが入った声といえば、神社などのお祈り(祈とう)があります。「いのる」の「のる」とは、神仏にお願い事や感謝を述べることを指す古語「のる」(宣る/告る)にちなむそうです。これは祝詞(のりと)の「のり」であり、同じ読み方で呪詞(のりと)という言葉もあります。古代の祈りは、呪術的な意味合いを含む活動だったわけです。

能で表現されるのは、あちらとこちらの世界であり、双方をつなぐものが謡となる。それだけに、祈りと共通する行為とも考えられますし、独特の雰囲気を生み出す意味でも、ノイズが必要になったのだと思います。


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650年前から続く伝統芸能「能」は、死者と生きる者の話。能をフックに、私たちが忘れかけている、日本の文化、そして死生観について語ります。



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