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伝統と現代の融和を求める旅

日本元気塾セミナー in 根津美術館
館長・根津公一×建築家・隈研吾×日本元気塾塾長・米倉誠一郎

日本元気塾建築・デザイン文化
更新日 : 2010年11月05日 (金)

第3章 世界が注目する日本建築の精髄とは?

内田和成氏

隈研吾: 先ほど根津さんが打ち合わせにたくさん出ているのを何と言いましたか……私はそんな失礼な言い方をしたことはないのですが(笑)。私は「こんなに出ていただけるんだ」と感激しながら設計をしておりました。工事が3年半、その前に設計が2年半ほど、内外の美術館を見始めたときからすると6年間。これほど館長の目が隅々まで行きわたる美術館も、ゆっくり計画できた美術館もほかにはありません。それが、皆さんがこの美術館に感じるある種の質感につながっているのではないかと思います。

さて、私のほうからは、日本の伝統と、それが根津美術館の中にどう生きているかをお話ししたいと思います。

「20世紀に欧米の建築が入ってきて、日本の伝統建築がある意味で破壊された」という歴史観のほうが、日本人にとってはなじみがあるのですが、実は逆の部分があるのです。日本の伝統建築は19世紀末あたりから世界の近代建築に大きな影響力を与えてきたのですが、それを日本人自身が一番わかっていないんです。この影響は、今21世紀になってさらに強くなっているのではないかとすら私は思っています。それは環境問題との絡みがあります。日本建築は環境に優しいのです。

例えば屋根。根津美術館は「屋根の建築」と私は理解しているのですが、深い屋根によって太陽光をカットし、雨水をうまく流しています。ヨーロッパの建築は箱の建築で、太陽光に対しては窓を小さくして防御するしかありません。

それから日本建築は屋根を深くして屋根の下にオープンな空間をつくり、内部と外部をうまく連動させるということを昔からやってきており、こういうものが今世界中から注目されています。日本建築の知恵が世界の中に浸透して、いよいよ注目される時代になってきたということだと思います。その精髄が根津美術館にあるのです。

私がそういうことに気づき始めたのは、ドイツのブルーノ・タウトという建築家が日本に来たときに設計した『日向邸』という住宅がきっかけです。

ナチスに睨まれていたタウトはドイツにはいられないということで、1933年にシベリア鉄道で日本に来ました。彼は日本に着いた日に、京都の桂離宮に来ました。そして入り口の竹垣を見て、涙を流したのです。ヨーロッパから来た世界的な建築家が泣き出したので、周りの人は驚いて「この人、どうしちゃったの?」という感じだったようですが、タウトは「これはすごいものだ」ということに気づいたのです。根津美術館の入り口の竹垣は、それが発想の原点の1つになっています。
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~館長・根津公一×建築家・隈研吾VS米倉誠一郎 新創事業の全貌を語る~

日本元気塾セミナー in 根津美術館
伝統と現代の融和を求める旅
根津公一 (根津美術館 理事長兼館長)
隈研吾 (建築家)
米倉誠一郎 (日本元気塾塾長/法政大学イノベーション・マネジメント研究科教授/ 一橋大学イノベーション研究センター名誉教授)

3年半に及ぶ休館を経て2009年10月に新創オープンした根津美術館に、日本元気塾塾長・米倉誠一郎氏と実際に訪れるフィールドワークセッション。 昭和16年(1941)、初代根津嘉一郎氏の遺志によって南青山に開館し、国宝7件、重要文化財87件、重要美術品96件を含む、約7千件の日本・東洋の古美術品によ....


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