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鶴田真由 X 高木由利子『記憶の底に眠るもの』

存在の表現を通して、文化を発信する

更新日 : 2013年09月24日 (火)

第4章 撮る・演じる中で感じるもの

鶴田真由(女優)

 
着物の力と細胞が反応し合う

鶴田真由: 由利子さんは布や衣服をテーマにした写真をたくさん撮られていますね。撮影を行う際に最も気をつけていることは何でしょうか?

高木由利子: 布や衣服を撮ることは、実は人間を撮ることと同じです。まず、はじめに布や衣服の「何を撮りたいのか?」と考えます。1枚ずつ撮りながら、被写体の個性や表情を、愛をもって観察する。最も素敵な部分を見つけるために、そうした感覚を大切にしています。特に衣服の場合、人がまとうことによってはじめて、その中に潜む存在が浮かびあがる。今回も真由さんがまとうことで、着物の中に潜んでいた存在が浮かびあがってきたと思うのです。

鶴田真由: お芝居をするときにも、同じ感覚があります。たとえば、真っさらな状態で鏡の前に座り、メイクをしてもらうとき。アイラインを1本引いただけで、細胞の中身が変換するような感覚を覚えます。デザイナーが魂を込めて作った衣装をまとい、セットに入るときも同じです。こうした演じるための条件を整えていくたびに、私の内側の何かが変換され、自分ではない存在に変わっていくような感覚になります。志村さんのお着物をまとったときも、そこに秘められた力と、私の細胞が反応し合うような、不思議な感覚がありました。

意識と無意識

鶴田真由: 由利子さんにも、そのような感覚、被写体と反応し合うような感覚が訪れることはありますか?

高木由利子: あります。私もはじめに撮影するための条件を整えます。光やシチュエーションといった諸条件を整えて、その場に自分の身を置きます。その後、一旦整えた条件をすべて忘れ、真っさらな状態になる。そうした上で、あらためてファインダーをのぞくと、自分と被写体が合体するような瞬間があるのです。完全な合体というものは年に数回も起きませんが、様々なレベルでいえば毎回の撮影で必ず起きています。私にとって至福の瞬間です。また、私がそう感じたときは、撮られる側も何かを感じていると思います。

写真は「何十分の1秒を切り取る」などと言われますが、意識を持ちながらそのスピードで被写体を確認し、撮影することは到底できません。演じるときも、役と一体になり自我がなくなるような、無意識の瞬間があると思います。私の場合も被写体と合体できた瞬間は、無意識です。

鶴田真由: その瞬間が訪れると、「いまの1枚は絶対に良かった!」となるのですか?

高木由利子: 被写体と完全に合体したときは、意識すらしていません。後日、できあがった写真が素晴らしいものであれば、「ああ、このときはそうだったのだ」と思うのです。

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