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カフェブレイク・ブックトーク「旅先で気になる建物たち」

更新日 : 2009年03月18日 (水)

第1章 建物は何のために必要か

私たちは「建物は何のためにあるのか?」などということを普段問いかけることはしません。しかし私たちの日常生活でそれはとても大事なものです。なにしろ衣食住の一角にあるものですし、衣食を含め日常生活のさまざまな活動(個人生活、家庭生活、職業生活、あるいは学習生活、社会生活など)を営むために造成された構造物だからです。

建物はさらに、そうした用を効率・効果的に足すだけではなく、安全性や調和の取れた美しさ、あるいは心地よさ、あるいはやすらぎなどを感じさせる要件が求められます。また建物は外観だけではなく内装や室内の家具や小物類の調度などもそれらの要件にかかわる重要な要素となります。

建物はまた個々それぞれの存在だけではなく、景観とか地域、あるいは都市の形成のコンポーネントとなっています。

ヴェニス、バルセロナ、ドレスデン、コヴェント、ジュネーヴ、グラナダ、エディンバラ、マンチェスター、そして私の大好きなダブリンの街々を巡って書かれた『都市は〈博物館〉』(高橋哲雄著、08年岩波書店刊)で建物たちはもちろん主要な博物資料です。

また都市計画研究者である和田幸信は『フランスの景観を読む』(07年鹿島出版会刊)でパリからディジョン、南仏プロヴァンスまでのフランスの街はなぜ美しいのかをその観点から検証しています。そして著者は、その背景に現代の都市計画には古い建物と新規の建築の調和への努力が実ったからだと結論しています。

とりわけ1920年代以来の歴史的建造物およびその周辺地区の保全計画の継承への努力を調べながら、小説家、芸術評論家、レジスタンスの闘志、政治家、文化大臣とさまざまな顔をもったノーベル文学賞受賞者アンドレ・マルローの保全施策を評価しています。

●「ちょいと気になる」?

澁川雅俊
ここで「ちょいと気になる」というのは、それが美しいとか、存在感が辺りを制しているとか、案内板が施され直ぐに名所・旧跡であることがわかるようなものではなく、それらの建造物には遠く及ばないまでも、それぞれの人のその時々の感性にどうしても、あるいはどういうわけか引っかかってしまう、何かもどかしい感覚を言い表そうとしています。

私たちが、外国に出かけたときなどに特にそれを感じます。

ちょうど1年前のことです。私が国際研究会議でドイツのハレ・アン・デア・ザーレ市を訪れたときにも、その気になる建物たちを見つけました。その内の一つは私が泊まった宿(ゲストハウス)の直ぐ隣に、忘れられたように、あるいはうち捨てられたようにありました。それは結構大きな建物で、その地域に配されている主な施設(大学、初等中等学校、劇場など)のことを考えると、かつては共同住宅であったと考えられました。

そんなに古い建物ではなく、その様子から判断するとおそらく100~150年前のものでしょう。まったくの廃屋ではないらしく、3階建てのその建物の窓、おそらく40~50くらいありましたが、そのほとんどの窓にシェードが掛かっていませんでした。だだ3つ4つほどに遠目にも薄汚れた感じのカーテンが掛かっていました。住人が居るとしてもごく少数だと推測できました。事実私がその建物を見ている間に、年老いた(私よりも年上の)老婆が一人、とぼとぼと中から出てゆきました。

そして最大の特徴は、全体的に円味があり(直線的でない)、灰褐色の外壁は曲線的なレリーフで飾られていることです。

関連書籍

都市は〈博物館〉 — ヨ−ロッパ・九つの街の物語

高橋 哲雄
岩波書店

フランスの景観を読む—保存と規制の現代都市計画

和田 幸信
鹿島出版会