記事・レポート

66ブッククラブ第1回

『ニュー・ダーク・エイジ』を読む

更新日 : 2019年05月31日 (金)

第2章 デジタル世界のためのエコロジー

アカデミーヒルズとコンテンツレーベル「黒鳥社」のコラボレーションによって始まった、新しいタイプの読書会「66ブッククラブ」の第1回が4月4日に、アカデミーヒルズで開催された。第1回目として取り上げたのはジェームズ・ブライドルによる問題作『ニュー・ダーク・エイジ』。デジタルネットワークに覆い尽くされた世界に生きる、わたしたち人間の困難を描いた本書は、さまざまな論点・コンテクストが複雑に錯綜した一冊だ。この1冊を導入として、監訳者の久保田晃弘先生、そしてゲスト読者としてデザインシンカーの池田純一さんを招き、黒鳥社コンテンツディレクター若林恵氏のファシリテートのもと参加者のみなさんと大いに議論をしつつ、『ニュー・ダーク・エイジ』から広がる、本の地図を描いてみた。

TEXT BY TAKUYA WADA , KEI WAKABAYASHI
PHOTOGRAPH BY YURI MANABE

池田純一(コンサルタント / Design Thinker)


前回のレポートでも紹介した通り、ジェームズ・ブライドルの『ニュー・ダーク・エイジ』は、デジタルテクノロジーが社会全体を覆い尽くしてしまった世界においては、テクノロジーとそれを生み出す人間の営みが環境そのものとなってしまっていることから、「人間」と「環境」を分離・対置して「環境」を客体化することが、もはやできない状況となっていることを明かしている。つまり、人間とテクノロジーが環境に働きかけることで絶えず環境は動的に変化してしまい、その変化が絶えず人間やテクノロジーをも変えていくという相互的なフィードバックループのなかにいる、というわけだ。

そうした状況を扱った『ニュー・ダーク・エイジ』は、その意味において、まさに昨今話題になっているキーワード「人新世」をめぐる一冊なのではないか、と、ゲスト読者としてブッククラブに参加した池田純一さんは指摘した。

「人新世」とは、もともとは地質学の分野で提起された概念で、人間の活動が、地質学的なレベルにまで影響を与えるようになって以降の時代を、それ以前の時代「完新世」と区分すべく持ち出されたアイデアだ。人新世がいつから始まったかは、議論が分かれるところだが、1950年前後を境にして、地質学的に見ても大規模な変化が現れていることが明確に根拠づけられるようになったと考える説が有力とされる。

何れにせよ、キーワードとしての「人新世」には、「自然」や「環境」を「客観的な対象」として扱うわたしたちの二元論的な思考を脱却することなくしては、現在の世界を正しく認識することができないというメッセージが込められている。池田さんは、そうした視点から、『ニュー・ダーク・エイジ』の先にある1冊として、ティモシー・モートンの『自然なきエコロジー 来たるべき環境哲学に向けて』を挙げる。

「ティモシー・モートンは、地球温暖化のように『あまりにも大きすぎる』ために人間の感覚だけではもはや知覚することができないものを『ハイパーオブジェクト』と呼び、『オブジェクト指向存在論(Object-Oriented-Ontology)>や<人新世>といった、21世紀になって現れた新たな哲学的思考を用いてエコロジーの概念を再定義しようとしています。『ニュー・ダーク・エイジ』でもモートンの『ハイパーオブジェクト』という概念は用いられていて、ブライドルはそれをコンピューターネットワークという新たな環境に対して適用したわけです。ということは、『ニュー・ダーク・エイジ』は、デジタル化された世界におけるエコロジーの問題を扱った本、ということもできそうです」



実際、こうした視点は参加者も気になったところであったようで、グループに分かれてのディスカッションにおいても、池田さんが挙げた『自然なきエコロジー』は強く興味を惹いた。それは、とりもなおさす、デジタル世界がもたらす大規模な変化を乗り越えるためには、これまでのパラダイムを批判的に穿つ必要がありそうだ、ということを、多くの人がうっすらとでも感じ取っていることの表れでもあるだろう。

そうしたなか、池田さんが紹介したのは『予測マシンの世紀』という一冊だ。

「この1冊は、ちょっと批判的なニュアンスを込めて紹介するのですが、この本は、AIがもたらす変化を、『トレードオフ』という概念で語ったもので、最初から最後までトレードオフという概念をベースに、予測コストを下げる「費用便益解析」の重要性が語られているわけです。現在のビジネス界隈におけるAIやビッグデータというものに対する期待値を伺うことはできるのですが、ここで用いられている『計算論的思考』こそを、まさにブライドルは批判の対象としているわけですので、現状のパラダイムを現状のパラダイムの延長にある思考でもって上書きしただけ、と批判することはできるかと思います」

「<計算論的思考>は、神より早く演算でき高精度な予測ができる計算機を作れば、未来は完全に予測できるという考えの上に立脚してきたわけです。その思考は、予測の精度を上げることで、世の中全体を回転寿司のような仕組みにするためには役に立ちますし、AIやビッグデータをそうした<最適化>のために用いることは今後も増えていくことにはなるとは思います。ただ、それだけでは来年の経営戦略や営業戦略をどうするのかという話にすぎませんから、こうした本を読んでも長期的な視点を得ることは難しいでしょう」

そして、その対極にある1冊として、ラヴクラフトの評伝を紹介する。



「クトゥルフ神話」の創造者としてカルト的人気を誇るホラー作家H・P・ラヴクラフトの生涯と作品をフランス小説の鬼才ミシェル・ウェルベックが綴ったものですが、「『ニュー・ダーク・エイジ』という本には、計算論的思考から遠く離れ、神秘的な暗がりのなかへと向かって行こうとする人間の神秘主義的な思考への傾斜を許容するようなメッセージがあるようにも感じ取れるのです。『ニュー・ダーク・エイジ』というタイトルからしてラヴクラフトの引用なわけですが、読み進むうちに、クトゥルフ神話のイメージがブライドルの中には、かなり強くあるような印象を受けました」

『ニュー・ダーク・エイジ』は、情報が「原子力」に匹敵するほどにパワフルな力をもつにいたった、われわれの生きる世界をさまざまな切り口から切り取ってみせた本だが、論点が錯綜しているおかげもあって、読む人によって、さまざまな読解を可能にする本ではある。そして、さまざまな切り口からのディスカッションを通して、「メタファー」「リスク」「デザイン」「人新世」「エコロジー」、はたまた「神秘」と、面白いキーワードと方向性が、この本から溢れ出てくることとなった。次の本へと読み進めていくための扉が開かれた。





『自然なきエコロジー 来たるべき環境哲学に向けて』
ティモシー・モートン
ビョークやブライアン・イーノなどとも親交の深いイギリス人哲学者による注目の書。「<自然>というカテゴリー分けは、そもそも近代から始まったもので、主体/客体として人間と自然を切り分ける二元論を超えていくための新しい考え方を提案しています。久保田先生が選ばれた『雲の理論』と共通した論点もあると思います」(池田)

『予測マシンの世紀: AIが駆動する新たな経済』
アジェイ・アグラワル、ジョシュア・ガンズ、 アヴィ・ゴールドファーブ
AIがもたらす変化を、徹頭徹尾「トレードオフ」という概念で説明した一冊。経営戦略やマーケティングを専門とする経済学者による、「計算論的思考」の最新成果。「人間が日常的にすっかり浸かりきってしまい、もはや抜け出すことのできなくなった「計算論的思考」や、現代社会におけるビッグデータの標準的発想について書かれている点で、今日のAIに何が期待されているかは、よくわかります」(池田)

『H・P・ラヴクラフト:世界と人生に抗って』
ミシェル・ウエルベック、スティーヴン・キング
「クトゥルフ神話」の創造者としてカルト的人気を誇るホラー作家H・P・ラヴクラフトの生涯と作品を鬼才ウエルベックが綴った一冊。『ニュー・ダーク・エイジ』というタイトルは、ラヴクラフトからの引用だが、そこに込められたメッセージは、灯台下暗し的に、案外見落とされがちかもしれない。

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