記事・レポート

「縄文の思考」~日本文化の源流を探る

更新日 : 2009年08月10日 (月)

第9章 縄文時代を知ることは、我々自身を見直すことにつながる

小林達雄 考古学者/國學院大學名誉教授

小林達雄: 先ほど申しましたヒスイは北海道にもたくさん行っています。糸魚川という、新潟県の富山県寄りの所でしか採れないヒスイをそこまで運んでいる。それから、船に乗せて沖縄まで持って行っている。これはどういうことでしょうか?

ヒスイはダイヤモンドのようには、決して目を引くものではありません。沖縄に行っているのは、ヒスイの中でも貧弱なものです。ところが「これはヒスイである」という由緒を持つと行くのです。由緒というのは、「ヒスイの色の良さを目で見て、そして惹かれて価値が生まれた」というものではなく、もっと人間が理屈をこねたものです。新潟県と富山県境の集団の中にはものすごい演出家がいたんですよ。そして価値の高い物として縄文世界の中にダーッとヒスイを普及させた。それは言葉以外の何物でもないんです。

ただ見せて、手振りでやれますか?「これは向こうの向こうの向こうの、もっと向こうのそこから手に入れた。やっと手に入れて、1人か2人、犠牲になって……」とか、言葉抜きではそんなの全然話にならないでしょう。

ヒスイは固くて加工しづらい。だから形を整えたり、穴を開けたりするのに大変手間隙がかかるので、ビーズやアクセサリーをつくる材料としては劣悪品なんです。その劣悪品の性質のいくつかのものを言葉で相手を説得して、「これがすごいんだよ」と言うわけです。

言葉、自然と共生した縄文体験が日本文化の中に文化的遺伝子として脈々とつながっているという重要な事実を私たちはさらに評価しなければなりません。今、自然環境の問題で私たちはたくさん失敗してしまい、抜本的な対策を全然立てようとしていません。京都議定書ではアメリカなど先進国で先頭を走っている国が離脱したり、その後の協議でもなかなかサインしようとしないというのは、どこか間違っています。

「縄文時代に帰れ」とか、「縄文時代をお手本にしろ」と言うのではないのです。ただ、私たちはまだ心の中に、文化の中にそういう要素を持っているのです。その持っているのものはよく見えないけれど、縄文文化や縄文人を鑑として見ると、それが浮き上がってくるのです。そうすると、「ああ、そういうものなら、俺たち、まだ持っているじゃないか」となる、それが大事ではないかと思うのです。

縄文文化をもっともっと皆さんに知っていただきたいのは、そういう意味からなんです。そしてそれは、非常に大きな将来に向かっての理論的根拠になるのです。理論武装をするとき、縄文を鑑として見ることが非常に大事になってくるということをお考えいただければと思います。


該当講座

『縄文の思考』〜日本文化の源流を探る
小林達雄 (考古学者/國學院大學名誉教授)

人類史を三段階に分け、第一段階を旧石器時代、第二段階を新石器時代とし、この契機を「農業」の開始に焦点を当てて評価する説があります。ところが、大陸の新石器時代に匹敵する独自の文化が、大陸と隔てられた日本に生み出されました。それが農業を持たない「縄文時代」「縄文文化」です。 縄文文化は土器の制作・使用が....


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