記事・レポート

「縄文の思考」~日本文化の源流を探る

更新日 : 2009年06月11日 (木)

第4章 定住生活によって営まれた村には、社会的なルールがあった

小林達雄 
考古学者/國學院大學名誉教授

小林達雄: 先ほど中国の話に触れなかったのですが、中国には「日本列島で1万5000年前に定住が始まったなら、中国で始まっていないわけがない」という考え方がありまして、それらしい遺跡が発見されています。ですが、日本列島の1万5000年前の遺跡に残された遺物のさまざまな種類の豊かさとは比較にならない、とても貧弱なのです。「農耕も1万年前ぐらいから始まっていて、世界で一番早い」とも彼らは言っていますが……。

とにかく定住したのは日本が圧倒的に早かった。西アジアやそれに追いつこうとしている中国大陸は独自路線として第二段階の定住的な村を営むのですが、いかんせん、日本列島の縄文より遅いのです。

ただ向こうは「農耕を基盤にして、それをてこにして第二段階の定住的な村を営むようになった」ということで、高い評価が与えられています。「日本は農耕を持っていなかったじゃないか」ということで、依然として日本は世界的な新石器革命の劣等生である、あるいは欠点だらけの新石器文化であるという評価が今でもなされております。私などは少数派です。

ところで、空間を確保して村を営む、「確保して」とはどういうことかというと、自分たちの使い勝手のいい空間、スペースにしたいわけですから、確保したスペースから自然的な要素をどんどん排除していき、どんどん人工的な景観につくり変えていくわけです。村の整備が進めば進むほど、周りの自然とは別の人工的な景観を持つというのが村の特徴です。

村の中にはそれぞれの家族が住む家がつくられます。自分の家や仲間の家がつくられます。村の中には家が群がるのです。そのほかに、食べ物を採ってきて消費しきれないもの、あるいは計画的に貯蔵するために貯蔵施設が必要ですから、穴蔵を掘ったり、倉庫をつくったりします。

自分たちのスペースを生活の根拠地にし始めるとゴミが出ます。今も昔も同じことです。ゴミは少しだったらパパッと掃き出せば済むかもしれませんが、常時、ずっとそこに座ってそこで食事をしようということになると、周りにゴミがあっては困るわけで、縄文人はものすごく掃除をしていました。

掃除したゴミは、ゴミ捨て場を設けていて、そこにちゃんと捨てるのです。それが貝塚になるわけです。食べかすを捨てているわけです。だから貝塚というのは貝だけではありません。魚の骨も動物の骨もあります。折れた石斧とか、矢じりの欠けたものとか、壊れた土器なども出てきます。

それは全て、勝手に周りに恣意的に捨てておこうというのではなくて、ちゃんと村設計があって、家を建てるゾーンはここだ、ゴミ捨て場はここだと、みんな決まっているのです。今の我々の碁盤目のような都市設計ではありませんが、整然とした縄文設計、ヴィレッジプランがあったのです。

面白いのは、真ん中に広場があるのです。それが縄文モデル村です。広場の周りを、円形に手をつなぐようにして家が取り囲むのです。広場は恐らくさまざまな社会的な行事、あるいは共同作業、祭りや宴会、話し合いの場所にもなったのでしょう。広場は全ての村にあったわけではありません。縄文モデル村という典型的な、地域の中で群を抜いて安定し、継続的にずっと続いていたような村にありました。


該当講座

『縄文の思考』〜日本文化の源流を探る
小林達雄 (考古学者/國學院大學名誉教授)

人類史を三段階に分け、第一段階を旧石器時代、第二段階を新石器時代とし、この契機を「農業」の開始に焦点を当てて評価する説があります。ところが、大陸の新石器時代に匹敵する独自の文化が、大陸と隔てられた日本に生み出されました。それが農業を持たない「縄文時代」「縄文文化」です。 縄文文化は土器の制作・使用が....


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