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「縄文の思考」~日本文化の源流を探る

更新日 : 2009年06月30日 (火)

第5章 縄文人は人工的な村を営みながらも、自然と共生していた

「縄文の思考」~日本文化の源流を探る 会場様子

小林達雄: 村の中だけで生活が自己完結できるわけはありません。村を根拠地として、そこから外に出ます。村の外に広がるのは「原(はら)」です。原は、かつて縄文人が身を置いていた自然的秩序が支配しているスペースです。

原に行って食べ物を手に入れる、生活をするのに必要な道具の材料を手に入れる。そして村に帰ってくる。原というのは村の周りにあり、自然が恵んでくれる食糧倉庫であり、資材庫なのです。村と原は、こうやってはっきりと分かれます。

原での行動は、自然を一方的に痛めつけるということではなく、自然とうまい具合にバランスをとりながら共生していました。原を共存共栄のスペースとして生きていたわけです。これは非常に重要なことです。

ヨーロッパや中国大陸の、新石器革命、農耕によって定住的な生活段階に突入した地域では、縄文の人々のように村の周りに原を持つのではなく、「野良(のら)」を持ちました。縄文人は村を人工的なスペースとして確保して、一応それで収まっていたのです。ところが大陸側の新石器文化人、農耕民は村の中だけでは収まりきれないで、人工的なスペースを外にどんどん広げ、耕作地を拡大していくのです。耕作地を拡大することによって、より安定した食料を確保しようとする方向に向かうわけです。

すると、どういうことになるか。村の周りは野良で、どんどん波紋状に村の周りに野良を広げていく。自然が残っていると「これは遊休地であるから、効率よく利用しなければいけない」というわけです。最近の日本の土地に対する考え方みたいなものです。こんなに人口密度の高い東京で、国有地をどんどん民間に払い下げて住宅にしたりする、そういう考え方です。

そこが縄文の場合と違うのです。大陸側の新石器文化人の歴史というのは自然と共生するのではなく、自然と闘う、闘争する歴史なんです。私もここの皆さんもそうだと思うのですが、学んだ歴史では「人類は自然との厳しい戦いを戦い抜いて、勝利を納めて——相当弊害も出てきましたが——現在の人間としての歴史というものを勝ち取ったんだ」という思考があったと思います。

これは欧米から輸入されたものです。欧米の考え方が日本に輸入されて、それがそのまま教科書に載り、先生もそう教えますから、「自然とは対決して生きてきた」という歴史になるわけです。あちこちすり傷をつくりながら、山野を駆け巡りながら、「ここがいい土地だ」と思えば他人に先んじてそこを開墾して耕作地にした、という思考を我々は習うわけです。それは村の周りが野良だからという文化です。「村+野良文化」が大陸側の第二段階です。

日本の縄文の場合は、村の周りは原です。原は、征服するべき所ではありません。共存すべき場所なんです。ですから、それは今でもいっぱい残っていますが、山の木を1本切るにも、ちゃんと御参りをするのです。「木を1本切らせてね」と。木にお酒を注いで、ときには自分も飲んで景気付けしてから木を切る。


該当講座

『縄文の思考』〜日本文化の源流を探る
小林達雄 (考古学者/國學院大學名誉教授)

人類史を三段階に分け、第一段階を旧石器時代、第二段階を新石器時代とし、この契機を「農業」の開始に焦点を当てて評価する説があります。ところが、大陸の新石器時代に匹敵する独自の文化が、大陸と隔てられた日本に生み出されました。それが農業を持たない「縄文時代」「縄文文化」です。 縄文文化は土器の制作・使用が....


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