記事・レポート

「縄文の思考」~日本文化の源流を探る

更新日 : 2009年07月17日 (金)

第6章 日本の「文化的遺伝子」は言葉を通して紡がれた

小林達雄 考古学者/國學院大學名誉教授

小林達雄: 私には今でも鮮烈な記憶があります。小笠原で漁船をチャーターして、北硫黄島まで行ったときのことです。我々を連れて行ってくれた漁師はまだ若く、20代ぐらいでした。その彼が船の上で清涼飲料水の栓を開けたのです。飲むのだろうと思ったら、パッと船縁から海のわだつみの神に垂れたのです、それもドーッと。

僕だったらちょっと垂らしてすぐ戻したいところですが、彼はそんなことはしない。ドーッとやって、それから飲んだんです。僕はそれを見て感動しました、「ああ、こういうことなんだ」と思いました。

このように、山で材料を手にしたり食べ物を手にしたりするとき、いつも挨拶をするのです。『縄文の思考』の中で、僕は宮沢賢治が好きなものですから、宮沢賢治のそういう話を引用しておきました。森を支配している霊、木霊がいるのです。そういう霊に対して、「おーい、木を切っていいか?」と尋ねるんです。すると、ちゃんと「いいよ」と答えてくれる。それで「ありがとうございます」と言って、木を1本切ってくる。そうして家を建てるのです。

こういうことは大陸側にはありません。大陸側では、「こんなに根を張ってやがって、苦労させるなこの木は」と悪態をつきながら汗水たらして開墾する。

日本列島の場合、ついこの間まではそうだったのです。それを壊したのは林野庁です。林野庁は植林といってワーッと皆伐して、評判の悪い杉を植える。今でも杉を植えているんですよ、信じられないでしょう。杉の木には鳥が来ません、なぜなら虫がいないからです。白秋の「落葉松は寂しかりけり(『落葉松』)」という詩がありますが、落葉松には昆虫も鳥もいないんです。林野庁はそういう状態にしようとしているのです。

広葉樹には神格化されるものもあります。先ほどお話したように挨拶をしたり、本当に大きい風格を備えた木には名前がつけられたりするのです。そして拝むのです。ところが、その拝んでいる木まで切れと言うのです、霞ヶ関は。縄文時代に培った共生の精神というものを全く無視して。

霞ヶ関の人たちは、山から出てきた人じゃないんです。都会で生まれて、霞ヶ関という都会に住んで、そこの机の上で線引きをするだけなんですね。そして「今度はここだ」と言って線引きしたところは皆伐しなければいけないと。

四万十川を見たこともない人が、「四万十川に河口堰をつくろう」と言うのです。いまだに言っているんですよ。関係ない人が有明海に河口堰をつくったじゃないですか、バタバタバタと。どう考えてもおかしいのに、それがまかり通るというのは縄文的な共生の精神とは程遠い、対極ですね。

縄文人の定住的な生活では、村の外に原をずっと維持していました。原は自然との共生の場です。大陸が原を容赦しないで開墾してきた、征服すべき土地として見てきたのと対極にある日本文化というのが、日本的心情というものにずっと脈々とつながってきているのです。

私は、かつてそれを「文化的遺伝子」と名づけました。その文化的遺伝子があるから、欧米の人たちとは違う心、日本的な心を持つことができるんだと。最近はそれをもう少し限定することができるようになりました。それは、言葉です。


該当講座

『縄文の思考』〜日本文化の源流を探る
小林達雄 (考古学者/國學院大學名誉教授)

人類史を三段階に分け、第一段階を旧石器時代、第二段階を新石器時代とし、この契機を「農業」の開始に焦点を当てて評価する説があります。ところが、大陸の新石器時代に匹敵する独自の文化が、大陸と隔てられた日本に生み出されました。それが農業を持たない「縄文時代」「縄文文化」です。 縄文文化は土器の制作・使用が....


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