記事・レポート

研究者たちの往復書簡 ~未来像の更新~

更新日 : 2020年09月07日 (月)

哲学×宇宙生物学「ウィルスの生命観を哲学的に考える」vol.3


アカデミーヒルズ発刊書籍『人は明日どう生きるのかー未来像の更新』をきっかけに、その著者たちが、分野を越えて意見や質問を取り交わす「研究者たちの往復書簡」シリーズ。

哲学×宇宙生物学 vol.3 は、宇宙生物学者の藤島皓介さんからの書簡に、哲学者の荒谷大輔さんがお返事します。
 

< 往復書簡の流れ >
vol.1   哲学 → 宇宙生物学 【 荒谷さんからの書簡 】
vol.2 宇宙生物学 → 哲学 【 藤島さんからの書簡 】
vol.3 哲学と宇宙生物学の交差点


◆書籍『人は明日どう生きるのかー未来像の更新』とは

都市とライフスタイルの未来を議論する国際会議「Innovative City Forum 2019(ICF)」における議論を、南條史生氏と森美術館、そして27名の登壇者と共に発刊した論集。「都市と建築の新陳代謝」「ライフスタイルと身体の拡張」「資本主義と幸福の変容」という3つのテーマで多彩な議論を収録。

 
 研究者たちの往復書簡
 哲学×宇宙生物学:ウィルスの生命観を哲学的に考える vol.3
 

哲学
荒谷大輔さん
哲学者、江戸川大学基礎・教養教育センター教授・センター長
宇宙生物学
藤島皓介さん
宇宙生物学・合成生物学、東京工業大学 地球生命研究所
  
 

荒谷大輔さんからの書簡
藤島さま
 
真摯なお返事、たいへん有難うございます。これは文字通り「有り難いこと」で、これまで僕の狭い経験の中で何度か試みてきた専門間対話でも、きちんと噛み合った話ができた例はほんとうに数えるぐらいしかありませんでした。言葉の上では対話は重要といいながらも、少し切り込んだやり取りの中で専門を盾に引き込まれるケースが多かったからです。丁寧に応答していただいたことに、まずは感謝申し上げたいと思います。
 
藤島さんは、僕が投げかけた「ビオス」と「ゾーエー」の区別を本質的なところで受け取ってくださり、世代を超えた関係の中で宿主とウィルスの共生を考える視点を「ゾーエー」に見てくださいました。有機体として特定の形態を再生産しながら生きる個体の生を「ビオス」と捉えるならば、他との関わりの中で個体としても遺伝子としても変化しながら、数珠を繋いでいくように「生」を紡いでいくのが「ゾーエー」ということになるのだと思います。今回の新型コロナウィルスについても我々人間と共生していく道がないかと理論的に検討されていて、大変興味深く拝読させていただいた次第です。その中で先に出版された『人は明日どう生きるのか』に僕が寄せた論文にも言及していただいたのですが、その点について少し補足させていただくところから話をさせていただければと思います。それがこの往復書簡の議論をさらに豊かにすると考えられるからです。
 
藤島さんは、「愛」が共同性を作る役割を果たすという僕の議論を拾って、ウィルスと人間の共生可能性の議論に繋げてくださいました。「われわれ」という枠組みの中に自分を見出すことが幸せのひとつのかたちであるという議論を、ウィルスと人間との間の「愛」というところに落としていただいたのでした。しかし、その議論には、続きがありました。大きな枠組みでは藤島さんはそこまで拾ってくださっていると思うのですが、幸せは、「愛」だけではなく、「許し」という少し分かりづらいものにも関わるということを、本の中で提案していました。「愛」は共同体の結束を強くしますが、異なる共同体の間の対立は「愛」では乗り越えられません。「われわれ」という枠組みの中で成立する「正義」を守ることが、「愛」の重要な役割になっているからです。愛する人を守るためには「正義」が貫徹されなければなりませんが、「正義」は異なる共同体の間で時に鋭い対立を生みます。互いに互いを「許しがたい」と見なす「正義」は、それぞれの共同体に対する「愛」に裏付けられながら、解消しえない対立を刻む契機をもっているのです。
 
その「許しがたいもの」を許すことで、「われわれ」という共同体の枠組みと、その中に見出された「自己」を解体するということを提案しました。それは、この往復書簡の中で共有できた言葉でいえば、「ビオス」という特定の生の様式で生きることを離れ、「ゾーエー」へと立ち戻ることを意味します。特定の生の様態に「自己」を見出すこと、そうして生きることの「正しさ」を疑わないことは、「ビオス」として生きる私たちの宿命のようなものです。親しい人の命を奪っていく新型コロナウィルスを恐れ、その「撲滅」を願うことは、単に人間の側のエゴイズムと片付けられない「正しさ」を持っているといえるでしょう。

ガンディー像
いま現在進行形で私たちが「社会」を守るために互いに示し合っているのは、そのようなかたちでの「愛」になるのだと思います。
しかしそれでも、その「許しがたさ」を許すことで、新しいかたちの共生が可能になるのだと思います。「自分」を成り立たせる共同体の枠組みを外し「ゼロ地点」へと立ち返ることで、一から新しい枠組みを作り出すことができます。特定の「ビオス」に生きることで否応なく生じる対立を解消し、ゾーエーとしての生の連鎖の中で新しい「ビオス」を生み出すことができるのです。あるいはこの点、ガンディーによる「非暴力主義」をイメージしていただけると分かりやすいかもしれません。宗教的な含みが出るとちょっと違うのですが、徹底した武装解除が共同体の枠組みを越えて人々を繋いでいく可能性が、そこに見られるように思われます。
 
もちろん、新型コロナウィルスという「許しがたいもの」を受け入れることで、直ちに「ウィルスとの共生」が実現するわけではないでしょう。藤島さんにご指摘いただいたように、人間のDNAの中にコロナウィルスが組み込まれる可能性はゼロではないにしても、その可能性を信じて感染者数の増加を許すことはあまりに無為にすぎるといわざるをえません。それでも、人間という特定の「ビオス」を離れて、「ゾーエー」としての生の可能性を考える視点をもつことには大きな意味があると思います。人間の「ビオス」にとって「正しい」と見なされることを、もう一度「ゼロ地点」へと差し戻すことで、「ゾーエー」としての私たちの幸せをそこに見出すことができると思われるのです。
 
このような発想は、近年様々なメディアで使われはじめている「人新世」という問題設定に近いと感じる方もあるかもしれません。「人新世」というのは、産業革命や第二次世界大戦後を起点に経済活動が活発化し生態系に大きな変化をもたらした「人間の時代」を地質学的なスケールで見直す試みです。学会中の不規則発言をもとに人口に膾炙するようになったこの言葉は、提案者の大気化学者クルッツェンによれば、「世界への警告」として発せられたものでした。人間がこのまま短期的な経済利益だけを求めて狭い視野で活動を続けていけば、気候変動をはじめとした様々なカタストロフは避けられないというわけです。

地質学的な視野で「人間」の営みを捉え、人間という生物種の絶滅の可能性を含めてニュートラルに検討することは、ある意味において「ビオス」としての人間を問い直すひとつのきっかけになっているとは思います。大枠としては賛同できる部分も大きいのですが、ただ、そうした議論がなされるとき、場合によって強い違和感を覚えることがありました。
例えば、ある哲学者が「人新世」をめぐる対話の中で「人間の人口なんて今の半分になってもしかたがない」という発言をされていたのですが、その言いようが、自分はその「半分」に残ることを前提としているように、「人間は悪だ」という自分は「正しい」と考えているように聞こえたのでした。
それは単に僕の穿った見方でしかないかもしれないのですが、「公平」な観点から物事の「正しさ」を語ることが、逆に現に私たちが特定の「ビオス」において生きていることを無視する不遜なものであるように思われたのです。人間への「反省」を促す態度に、自分たちはその「ビオス」から超越しているとでもいわんばかりの傲慢さを感じました。
 
「許しがたいもの」を許すことで得られる幸せは、むしろ、私たちが人間という「ビオス」として生きていることを前提にします。私たちが「正しい」と信じてやってきたこれまでのことを引き受けた上で、その「ビオス」において生きる「自己」の死を受け入れることを意味するのです。時代の風向きを見ながらドヤ顔で新しい「正しさ」を語りはじめるのではなく、互いに「ゼロ地点」へと立ち返り、「ゾーエー」としての生を共有することで、新しいかたちでの共生が可能になると思われます。
問題はそのとき、「ビオス」としての人間の「死」とは、どういうことを意味するのかということになるでしょう。それは人間という種の絶滅を想定することとどう違うのかということですね。その点を藤島さんからいただいたご質問にお答えしながら考えてみたいと思います。
 
藤島さんのご質問への回答
二ついただいた藤島さんからのご質問の最初の方には、これまでの議論で答えたつもりでした。「「ゼロへの欲望」とはすなわち、そのような〔ゾーエー的な時間軸上の生の連鎖を意識し、経済的・物質的豊かさとは異なる次元での「今生きていることの幸せ」を感じるという〕時間空間的な枠組みを超越した視点への回帰を意図していますでしょうか」というご質問をいただきましたが、そのご質問に対しては「時間空間的な枠組みを超越した視点」という非常に形而上学的な含みをもつ言葉を警戒しながらも、「まったくその通りです。立ち入ってご理解いただけて光栄です」と答えるほかありません。ありがたい限りです。
 
もう一つの質問は、地球外生命が発見された場合、人間の意識はどのように変化するだろうかというものでした。このご質問に対するお答えは、ある意味では非常に簡単なものになります。
私たち人間は、地球外生命を想定する以前に、生についてあまりにも多くのことを未だに知らないのではないかというものです。例えば、光が届かない深海で暮らす異形の生物の生態は以前よりは知られて来ましたが、まだまだ知らないことが多いかと思います。地球外生命が発見されたとしても、少なくとも単にそれだけでは、人間にとって過酷な住環境で再生産される有機体組織があるというだけで、人間の「ビオス」が揺り動かされることはほとんどないように思われるのです。興味深い研究対象にはなるでしょうし、生命についての新しい知見もそこから得られるかもしれません。しかし、それが直ちに、人間が人間として生きる「意識」を変容させるものになるとは思えないのです。
あるいは地球外生命の発見がスリリングに思えるのは、人間以上の知性をもった生命体を想定しうるところにあるようにも思われますが、これもいかがでしょう。僕には人間が自分たちを鏡にそうした存在をイメージしているだけのようにも思われます。「知性」なるものが進化の尺度として想定されるのもいかにも偏った前提のように思えますし、実際にそうした存在が発見されても、新大陸発見時の「人間」の定義の問題が繰り返されるだけだったり、人間の「ビオス」にとっての「敵/味方」という判断基準で対象の価値を判断するだけだったりと、案外これまでと変わらない営みを繰り返すだけではないかとも思われます。そこでは対象が新規なものに変わるだけで、人間が人間であることの意識に大きな変化は見られないように思われるのです。
 
もちろん、これは僕が単に「冷めている」だけかもしれません。そこには特定のファンタジーがあるとは思うのですが、腰が重くてもうひとつ乗れない感じがあります。ただ、僕としてはむしろ、地球外生命の発見に頼らなくても、人間がその「ビオス」を変容させるきっかけはあると思います。「ビオス」としての人間の「死」ということで問題になるのは、まさにそうした「人間」としてのあり方の変更になるのではないでしょうか。私たち自身がひどく狭い「人間」の枠組みの中に縛られていて、そこから解放されることが、いわゆる「自然との共生」なるものを実現するために必要なことなのだと思うのです。

私たち自身がなおよく分かっていないゾーエーとしての生は、少なくとも僕にとっては、それ自身ひとつの地球外生命に匹敵するものだというわけですね。この場合、私たち自身がまさにその存在であるという点が、さらにワクワクさせるものになっています。私たちが人間という「ビオス」で生きるのをやめることで得られる「幸せ」とは、そんなワクワクから生まれてくるのではないでしょうか。

そんなところで、いただいたお手紙へのお返事とさせていただければと思います。この度は貴重な対話の機会をいただきまして、誠にありがとうございました。
 
 
 
荒谷大輔さんと藤島皓介さんの往復書簡いかがでしたでしょうか?
哲学、宇宙生物学それぞれの専門領域のやり取りに、これまで考えていた生命観が覆るような思いに駆られた方もいらっしゃるのではないでしょうか?
アカデミーヒルズでは引き続き異領域の専門家をお引き合わせし、新たな知を紡ぎ出すシリーズ「研究者たちの往復書簡」を連載してまいります。
第2弾は、文化人類学者・石井美保さん、建築家・小渕祐介さんの往復書簡を公開予定です。
引き続きご期待ください。
 

プロフィール

荒谷大輔
荒谷大輔

哲学者、江戸川大学基礎・教養教育センター教授・センター長 1974年生。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。日本文藝家協会会員。専門研究の枠組みに捕われず哲学本来の批判的分析を現代社会に適用し、これまでなかった新しい視座を提示することを得意とする。著書に『資本主義に出口はあるか』(講談社現代新書)、『ラカンの哲学:哲学の実践としての精神分析』(講談社メチエ)、『「経済」の哲学:ナルシスの危機を越えて』(せりか書房)、『西田幾多郎:歴史の論理学』(講談社)、『ドゥルーズ/ガタリの現在』(共著、平凡社)など。


藤島皓介
藤島皓介

宇宙生物学・合成生物学、東京工業大学 地球生命研究所 1982年、東京都生まれ。東京工業大学地球生命研究所(ELSI)「ファーストロジック・アストロバイオロジー寄付プログラム」及び慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科にて特任准教授を兼任。2005年、慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、2009年、同大学大学院政策・メディア研究科博士課程早期修了。日本学術振興会海外特別研究員、NASA エイムズ研究センター研究員、ELSI EONポスドク、ELSI研究員などを経て、2019年4月より現職。 生命の起源と進化、土星衛星エンセラダス生命探査、火星での生存圏など研究テーマは多岐にわたる。過去にコズミックフロント(NHK BSプレミアム)、又吉直樹のヘウレーカ!(NHK Eテレ)などTV出演歴あり。