記事・レポート

研究者たちの往復書簡 ~未来像の更新~

更新日 : 2020年08月07日 (金)

哲学×宇宙生物学「ウィルスの生命観を哲学的に考える」vol.2


アカデミーヒルズ発刊書籍『人は明日どう生きるのかー未来像の更新』をきっかけに、その著者たちが、分野を越えて意見や質問を取り交わす「研究者たちの往復書簡」シリーズ。

今回は、哲学者の荒谷大輔さんと合成生物学・宇宙生物学者の藤島皓介さんが書簡を送り合います。
vol.1では、荒谷さんから藤島さんへ書簡が送られました。
今回は、その書簡に対して、藤島さんが返答するとともに、今度は荒谷さんへ質問を送ります。


◆書籍『人は明日どう生きるのかー未来像の更新』とは

都市とライフスタイルの未来を議論する国際会議「Innovative City Forum 2019(ICF)」における議論を、南條史生氏と森美術館、そして27名の登壇者と共に発刊した論集。「都市と建築の新陳代謝」「ライフスタイルと身体の拡張」「資本主義と幸福の変容」という3つのテーマで多彩な議論を収録。

 
 研究者たちの往復書簡
 哲学×宇宙生物学:ウィルスの生命観を哲学的に考える vol.2
 

宇宙生物学
藤島皓介さん
宇宙生物学・合成生物学、東京工業大学 地球生命研究所
哲学
荒谷大輔さん
哲学者、江戸川大学基礎・教養教育センター教授・センター長
 
< 往復書簡の流れ >
vol.1   哲学 → 宇宙生物学 【 荒谷さんからの書簡 】
vol.2 宇宙生物学 → 哲学 【 藤島さんからの書簡 】
vol.3 哲学と宇宙生物学の交差点
 
 

藤島皓介さんからの書簡
こんにちは、宇宙生物学者の藤島皓介です。書籍『人は明日どう生きるのか』では、そもそも生命とは何か?ということを考えるために、ウイルスやクマムシなどを例に挙げて、”生と死”あるいは”生きている状態”について熱力学や合成生物学の観点で少し議論させていただきました。また私たちの未来についても、これまでの生命が辿ってきた「ダーウィン的進化」からの脱却を一つキーワードとして挙げています。巨大隕石や氷河期など様々な地球規模の天文学的イベントにその運命を左右されてきた地球の生物達ですが、人類に関していえば火や道具を使い始めた事により、徐々に自分達の身の回りの環境を改変する作業を繰り返してきました。その結果、自然界とは異なる新しい生活環境の構築、さらには医療や身体性を相補する技術等の発展により人体に対する選択圧そのものが一変し、従来の自然選択とは異なる独自の進化の道を歩むようになりました。これは言い換えると指向性を持った進化と表現することができますが、現在その指向性進化は遺伝子レベルでの制御にまで及ぶ時代に突入しています。
 

荒谷さんの書簡を受けて
アフターコロナの世界を考えるという点において、今回同じ寄稿者の一人である哲学者の荒谷大輔さんとweb上で議論させていただけることを光栄に思います。先の寄稿で荒谷さんが書かれていましたが、新型コロナウイルスは”私たちが生物として「死」と隣り合わせで生きている”という紛れもない事実を強烈に再認識させました。それは近代医療の発展によって得られてきた生への安心感、いわば「死」を人間側が制御していたという幻想を打ち砕くには充分でした。その一方で、生物学者として危惧していることがあります。それはメディアなど連日の報道を通じ科学的なファクトの追及なしに「ウイルス=死をもたらすもの」という脅迫観念だけが先行して強く根付いてしまったのではないかという懸念です。であるからこそアフターコロナの世界を考える上で、そもそも生命にとってのウイルスとは何か?「生きる」ということはどういうことなのか?という本質的な視点を持つ必要があると強く感じています。
 
ウイルスイメージ
ウイルスを生物学的に表現するならば、タンパク質や脂質の膜に包まれた遺伝情報を持つ有機物カプセルとでもいいますか、生命と密接に関わるが生命体とは言い切れない、物質と生命の境界にいるような存在です。生命とウイルスの邂逅がいつ頃起きたのかは現在の生物学でもよくわかっていません、ただ全ての生物界(バクテリア、アーキア、真核生物)から発見されていますから、おそらく生命の初期、場合によっては生命の誕生そのものにウイルスが関わっていた可能性もあります。この地球に生命が誕生したタイミングも厳密にはわかっていませんが、地質記録に残された炭素同位体比の記録等から少なくとも37億年前頃には生命が地球にいたとされる説が有力です[1]。もしその時代からウイルスと共生していたとすれば、相当長いお付き合いということになりますね。 
 
[1] Ben K.D. Pearce, Andrew S. Tupper, Ralph E. Pudritz, and Paul G. Higgs.Astrobiology.Mar 2018.343-364.http://doi.org/10.1089/ast.2017.1674
 
ウイルスの中には、たしかに感染した宿主を「死」に至らしめるものも少なからず存在します。増殖しすぎたウイルスが正常な細胞の多くを機能不全にさせるからです。一方で生物界に存在するウイルスの多くは宿主と共生関係にあるのも事実です。しかもその関係性は一世代で終わりではなく、一部のウイルスはその遺伝子が宿主のゲノムに定着することで世代を超えて子孫に受け継がれていくことが知られています(内在性ウイルスと呼ばれる)。例えば哺乳動物の場合、実にゲノムの約5~10%程度の領域が内在性ウイルス様配列だと言われています[2]。このように生命の遺伝情報物質(DNA)の一部となったウイルスは、新しい遺伝子配列を提供することで個体の進化に直接影響を与えてきたことがわかってきました。わかりやすい例だと哺乳類の胎盤形成や皮膚の進化といった表現型の重要な変化にウイルス由来の遺伝子が直接関わっていることがすでに知られています[3,4]。
 
[2] Khodosevich K, Lebedev Y, Sverdlov E. Endogenous retroviruses and human evolution. Comp Funct Genomics. 2002;3(6):494-498. doi:10.1002/cfg.216
[3] Imakawa, K., Nakagawa, S. and Miyazawa, T. (2015), Baton pass hypothesis: successive incorporation of unconserved endogenous retroviral genes for placentation during mammalian evolution. Genes Cells, 20: 771-788. doi:10.1111/gtc.12278
[4] Matsui T, Kinoshita-Ida Y, Hayashi-Kisumi F, et al. Mouse homologue of skin-specific retroviral-like aspartic protease involved in wrinkle formation. J Biol Chem. 2006;281(37):27512-27525. doi:10.1074/jbc.M603559200
 
そうしてみると、ウイルスそのものに意志があるわけではないですが、自然選択に基づいたウイルスの振る舞いは利己的であり(細胞内の分子機構や化学エネルギーを拝借して自己増殖する)同時に利他的でもあります(宿主の免疫反応を活性化して他のウイルスや細菌の感染を防ぐ、遺伝子レベルで新しい機能をもたらすなど)。結局はどの時間軸で捉えるかによって見方は変わってきます。今この瞬間を生きている私達にしてみれば、ウイルスは個体の生命システムに外乱を与え、場合によっては「死」をもたらしてしまう存在としか認識できませんが、世代を超えた長期的な視座に立つと、分子レベルで遺伝的な多様性をもたらすことでゲノムの進化を促すことがウイルスの本質なのだと解釈できます。
 
これは荒谷さんからの書簡にありました哲学の文脈における二種類の「生」の話にもつながります。荒谷さんは「個体」として特定のかたちを維持・再生産する生(ビオス)と、そうした「個体」の枠組みを外した再生産を行う生(ゾーエー)の2つの生という解釈があると。私は生物学者なのでつい見て触れる個体レベルの生死を考えがちですが、考えてみればこの37億年以上の年月の間、自分に繋がるその系統(遺伝情報)の伝播を一度も絶やさなかったわけで、まさにゾーエーの観点での連鎖する生として再認識することができそうです。その観点で見るとウイルスは短期的には個体(ビオス)の生を奪うこともあるが、長い時間スケールではゾーエー(世代を超えた種の系統) の一部として、生命の進化に貢献しているということになりますね。
 
今回の新型コロナウイルスが、長期的にみた時にどのように人類に影響を与えるのかに関してですが、現在見られているような私達の生活様式や行動の変容に関しては数年以内に有効な抗ウイルス薬やワクチンが開発されれば結局は元に戻ってしまうと思います。そういう意味でゾーエー的な長期的影響が我々にあるとすれば、ゲノムの一部に組み込まれるかどうかが一つ焦点となります。ただコロナウイルスはRNAという分子を遺伝情報として持つRNAウイルスに分類されており、RNAを生命の遺伝情報物質であるDNAに変換する逆転写酵素を保有していません。ですので、そのままでは宿主のDNAゲノムに入り込む事はできません。実際に内在性のウイルスは逆転写酵素を持つレトロウイルスのみだとこれまで思われていました。しかし近年は逆転写酵素を持たないRNAウイルスの配列も人のゲノムから見つかってきていますので[5]、可能性は0ではないかもしれません。今後一人一人のパーソナルゲノムが得られるような時代がもし来たら、過去のご先祖達が感染してきたウイルスの歴史が見えてくる可能性は十分にあると思います。
 
[5] Horie, M., Honda, T., Suzuki, Y. et al. Endogenous non-retroviral RNA virus elements in mammalian genomes. Nature 463, 84–87 (2010). https://doi.org/10.1038/nature08695
 
また書簡の中で荒谷さんは哲学者として気になることとして「生命」の定義がある、とおっしゃっていましたので、それに対してもお答えしたいと思います。とはいうものの実は生物学においても「生命」の定義は千差万別で、普遍的な定義が存在しません。その理由は主に2つあり、一つは私たちが生命を一から構築した例がないからです。物理学者の故リチャード・P・ファインマン博士の残した言葉”What I cannot create, I do not understand.”(創れないものは理解できない)にあるように、生命がどのような環境で物質やエネルギーの組み合わせの中から創発されうるのか?を理解する必要があります。そして二つ目は私達が地球外の生命を知らないからです。私達が偶然が重なって生まれた特殊な生命なのか、あるいは宇宙におけるごくありふれた様式の生命なのか、それを知る術は宇宙探査を通じて異なるゾーエーの根を持つ地球外の生命を発見する以外にありません。


荒谷さんへの質問
さて今回の企画の意図として、私が専門とする宇宙生物学の領域から見た時に、哲学がどのように映るのかという試みができれば良いと考えております。荒谷さんは『人は明日どう生きるのか』の中で、幸せとは「自分」という枠組みを外した時に見出されるもの」とおっしゃられていました。これは近代社会における個人の幸福が経済的・物質的な豊かさやを指標に語られることへのアンチテーゼだと捉えています。個人にとっての幸せの答えがそれぞれ違うのであれば、「幸せ」の本質に迫るためには「われわれ」という枠組みの中での自分を見出す必要があると。この共同体の一員として他者のために存在することに価値を見出すことを荒谷さんは「愛」と表現していますが、そう考えるとウイルスと生命の共生関係もある意味「愛」で結ばれていると言えそうですね。この「愛」の共同体を考える時に直感的に思ったことは、物理的な枠組みで捉えるだけでなく、ゾーエー的な時間軸上の生の連鎖も意識することで、経済的・物質的豊かさとは異なる次元で「今生きていることの幸せ」を感じることができるかなと思いました。「ゼロへの欲望」とはすなわち、そのような時間空間的な枠組みを超越した視点への回帰を意図していますでしょうか。

そのような大きな時間空間的スケールで宇宙における生命の普遍原理を考えているのが、まさに宇宙生物学という学問なのですが、先に述べたように「宇宙に生命を探す」ことが主要な命題の一つとなっています。仮に発見できれば、同分野のみならず科学界全体にとっての金字塔となるわけですが、私がぜひ荒谷さんにお伺いしたいことはその後の人類の意識の変容です。特に哲学においてどのようなインパクトがもたらされるのでしょうか?地球外生命という新しい比較対象が生じることで、われわれは否応なく地球生命を大きな枠組みで括るような共同体意識が生まれると思いますし、それはこの宇宙、この惑星で、この瞬間を生きているという事実に対するゼロ視点での「幸せ」を初めて人類全体で共有できる一大イベントになりうると考えております。
ぜひ荒谷さんがどのようにお感じになるか教えていただければ幸いです。


荒谷さん執筆 『人は明日どう生きるのかー未来像の更新』P188 ~ 
ゼロへの欲望[要約]
かつて存在した資本主義が「幸福」をもたらすという幻想は過去のものとなった。近代社会が成立する過程で登場した、私的所有権を確立するなど、自由な競争を重んじる思想家ロック、それに対抗し『社会契約論』などで結果として人々が「平等」な社会を訴えるルソーの登場に哲学者・荒谷氏は注目します。二つの「近代社会」の思想による歴史的な相克の末、高度経済成長を経た私たちの社会は、経済原理主義へ流れていったと指摘します。そして、資本主義社会が「幸福」をもたらすという約束が幻想になったと。では、ポスト資本主義社会における幸福とは何なのか?そこで荒谷氏は「自分」という枠組みを外すことを強調します。近代社会が中心に据えてきた「自分」の枠組みを外すことで、共同体、愛、許し、、といったキーワードが本源的な「幸せ」と呼びうるものを作り出すことができるのではないかと語ります。 

次回は、vol.3 哲学と宇宙生物学の交差点
藤島さんからの書簡に、荒谷さんはどのようなお返事をするのでしょうか?
どうぞお楽しみに!(8月中旬公開予定)
 

プロフィール

荒谷大輔
荒谷大輔

哲学者、江戸川大学基礎・教養教育センター教授・センター長 1974年生。東京大学大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。日本文藝家協会会員。専門研究の枠組みに捕われず哲学本来の批判的分析を現代社会に適用し、これまでなかった新しい視座を提示することを得意とする。著書に『資本主義に出口はあるか』(講談社現代新書)、『ラカンの哲学:哲学の実践としての精神分析』(講談社メチエ)、『「経済」の哲学:ナルシスの危機を越えて』(せりか書房)、『西田幾多郎:歴史の論理学』(講談社)、『ドゥルーズ/ガタリの現在』(共著、平凡社)など。


藤島皓介
藤島皓介

宇宙生物学・合成生物学、東京工業大学 地球生命研究所 1982年、東京都生まれ。東京工業大学地球生命研究所(ELSI)「ファーストロジック・アストロバイオロジー寄付プログラム」及び慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科にて特任准教授を兼任。2005年、慶應義塾大学環境情報学部を卒業後、2009年、同大学大学院政策・メディア研究科博士課程早期修了。日本学術振興会海外特別研究員、NASA エイムズ研究センター研究員、ELSI EONポスドク、ELSI研究員などを経て、2019年4月より現職。 生命の起源と進化、土星衛星エンセラダス生命探査、火星での生存圏など研究テーマは多岐にわたる。過去にコズミックフロント(NHK BSプレミアム)、又吉直樹のヘウレーカ!(NHK Eテレ)などTV出演歴あり。