記事・レポート

六本木アートカレッジ・オープニングセッション
アートとスポーツの不思議な関係

競争の向こう側にあるもの:為末大×竹中平蔵

更新日 : 2015年07月29日 (水)

第5章 スポーツ、アートとお金の関係

写真左:竹中平蔵 写真右:為末大
写真左:竹中平蔵 写真右:為末大

 
「パトロン」のあるべき姿

竹中平蔵: 先ほど、パトロンの話が登場しましたが、パトロンとアスリート、アーティストの関係は、常に微妙です。

アスリートやアーティストが成長していくためには、やはり個人の努力だけでは限界があり、誰かの支えが必要になります。その1つに国の補助があると思いますが、これはある種の既得権益と結びついているケースも多い。スポンサーとなる企業も、宣伝的な要素を求めると思います。これらのマイナスの影響からアスリート、アーティストを切り離していくためには、社会や個人が支えるような従来とは別の仕組みが必要だと思います。

為末大: 1つ難しい点は、スポーツの世界では素晴らしい選手ほど「職人型」であるケースが多いことです。職人型の選手は概して口下手な人が多く、自分を売り込んでお金を得ることも嫌がる傾向があります。そのため、選手本来の素晴らしさが伝わりにくく、世の中の評価や共感も得にくい。そうなると、小口のスポンサードも集まりにくくなるという悪循環が起こります。

現在のオリンピックは商業主義だと言われますが、これほど注目を集めるイベントになったのは、やはり、選手の頑張りを上手に演出し、世界に発信した人がいたからだと思います。日本のスポーツ界の問題は、あまり知られていない優秀なアスリートの活動に対して、世の中の共感を生み出すような仕組みがないことだと感じています。


竹中平蔵: 政府がスポーツにお金を配分する際、どのように配分するかといえば、元々は税金ですから、国民に文句を言われないようにする。つまり、失敗のリスクがある未完成なアスリートに投資するのではなく、すでに優秀な成績を収めている完成されたアスリートにお金を出すのです。有名なアスリートは放っておいてもお金が集まりますが、さらに国もお金を出す。スポーツの世界では、こうした資源の集中と格差の広がりが起こっています。

また、日本の文化予算は毎年約1,000億円ですが、国民1人あたりに直せば、フランスの10分の1、韓国の5分の1しかありません。しかし、米国は日本よりもさらに少ない。国民1人あたりでは日本の7分の1ほどです。とはいえ、米国は個人の寄付額がとてつもなく巨額で、かつ免税もされます。

国の予算で文化を支えるフランス型、個人の寄附で文化を支える米国型。そして、日本はそのどちらでもない。こうした状況により、アートの世界は非常に厳しい状況に置かれています。

このような歪んだ資源配分ではなく、個々人が自由にお金を出す相手を選びながら、スポーツやアートを支えていく。あるいは、自分も一緒に参加する。そのような形が最も理想的だと思います


該当講座


六本木アートカレッジ 【オープニングトーク】 スポーツはアートか? ~“美しく走る”ということ~
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スポーツには、勝敗が付きものですが、芸術性も重要な要素です。
「競争」と「美しさ」は共存するのか?今までとは違う視点でスポーツと
アートを読み解きます。


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