記事・レポート

六本木アートカレッジ・オープニングセッション
アートとスポーツの不思議な関係

競争の向こう側にあるもの:為末大×竹中平蔵

更新日 : 2015年07月22日 (水)

第2章 「のど自慢」はスポーツか?


 
スポーツの定義

為末大: 例えば、フィギュアスケートは、ショートプログラムとフリースケーティング、2つの演技を通じた技術点と演技構成点を総合して順位が決まります。芸術性も評価対象となりますが、一般的にはスポーツとして認識されています。

一方、のど自慢ですが、僕の街のルールに基づいてお話しすると、まずは参加者が壇上で好きな歌を歌います。もう1つ、僕の街ではなぜか「規定の歌」があり、それは美空ひばりさんの『川の流れのように』でした。双方を聞いて審査員がポイントをつけ、順位を決めるわけです。こうなると、フィギュアスケートとのど自慢では、ルール上の違いはほぼありません。

「激しく動くフィギュアは体力の消耗が激しい。歌は立ったままだから、スポーツではない」。そのような意見もありそうですが、実はオペラ歌手が1回の舞台を務めた時の消費カロリーは、フィギュアスケートの1試合分に相当するか、それ以上と言われています。体力面でも大きな違いがないとすれば、両者の境界はますますグレーになります。

スポーツとはいったい何なのか? これを定義づける条件として、スポーツの世界で広く認識されている3つのポイントがあります。1点目は、明確に勝敗が決まること。2点目は、空間的・時間的な制限があること。グラウンドの広さ、規定の試合時間など、競技を行う範囲がある程度制限されています。3点目は、誰もが守るべきルールがあること。このように見ていくと、のど自慢はスポーツではないという意見もうなずけるように思います。

しかし、フィギュアスケートでは引退後、アイスショーに出演する選手もいます。実は、これはアートの領域としてとらえられています。順位がつかないからなのか、それとも、ルールがないからなのか。いずれにしても、スポーツとアートの境目というのは、実は結構曖昧なのではないか。僕はそう感じています。

アートの定義

為末大: ならば、アートを定義づける条件とは何か? 言い換えれば、どこからどこまでがアートの「範囲」なのか? ここに来るまで考えてみましたが、僕にはよく分かりませんでした。

「アートとは、表現することだ」と言う方もいます。だとすれば、すべての人間はアーティストになれるはずですが、これでは少々範囲が広すぎるような気もします。「美しいものは、すべてアートだ」と言う方もいます。そもそも、「美しさ」もどう決まるのか分かりませんが、ならば、外見的に美しい人はそのままアートになるのか? 僕は最近、子どもが生まれましたが、誕生した瞬間はしわしわの顔で生まれてくるため、外見的に美しいとは言えません。そうなると、生まれたばかりの赤ん坊はアートではないのか?

アートが「自然美」の中にあるものだとすれば、自然に生えている木や花、太陽や月は美しいけれど、「これをアートと言っていいのか?」という気もします。しかしながら、自分の目で見た草花を紙の上に描いた瞬間、それはアートになるとも思います。

一方、この世の中には「美しくないもの」もあり、それは「カッコ悪い、ダサい」と表現されます。自然界には、人間には生み出せないような形をしたものが数多くありますが、それらを見て「カッコ悪い、ダサい」と言う人はいないはず。この「カッコ悪い、ダサい」という感覚も、人間が介在しなければ生まれないのではないか、と思うわけです。

何かしらの形で「人」を介在して生まれたものが、アートなのではないか? 僕はいま、そう感じ始めています。



該当講座


六本木アートカレッジ 【オープニングトーク】 スポーツはアートか? ~“美しく走る”ということ~
六本木アートカレッジ 【オープニングトーク】 スポーツはアートか? ~“美しく走る”ということ~

スポーツには、勝敗が付きものですが、芸術性も重要な要素です。
「競争」と「美しさ」は共存するのか?今までとは違う視点でスポーツと
アートを読み解きます。


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