記事・レポート

Hack the Body~障がいを「可能性」に変える

遠藤謙がつくる、人間を進化させる義足

更新日 : 2015年04月08日 (水)

第2章 技術の入り込む余地のある余白


 
健常者と障がい者の境目

遠藤謙: 健常者と障がい者。この2つを分け隔てているのは、何かが「できる/できない」という境目だと思います。なぜ、この境目が生まれてしまったのか? 3つの理由があると考えています。

1つ目は、社会(Society)です。日本ではいまでも、「五体満足」という言葉が使われています。身体機能の一部が欠けてしまうと「不満足」になる。そう考える人はいまだに多いでしょう。私達が暮らすこの社会は、五体満足が大前提となっており、そうでなければ非常に生活しづらい。それは、長い歴史の中で、我々自身が無意識につくり出してしまったものでもあります。

2つ目は、社会に対する個人(Individual)の意識です。例えば、あることが他人と同じようにできないと、人は「自分はみんなとは違う」と思い込んでしまい、やがて自ら見えない壁をつくり、人を避けるようになる。特に、日本は同質性の高い国であり、集団と個人の狭間でこうした悩みを抱える人が多いように思います。

3つ目は、技術(Technology)です。例えば、「メガネ」をかければ、視力の弱い人も普通に生活できます。かつて牛乳瓶の底のように厚かったレンズは、技術革新により非常に薄くなり、かつデザインも多彩で、いまやファッションにすらなっている。何より、メガネをかけていても、私達はその人を障がい者とは捉えません。しかし、他の障がいはそこまでの技術的水準に達していません。つまり、技術が追いついていないがために、健常者と障がい者という境目が生まれているわけです。

障がいが“あるからこそ”可能性が広がる

遠藤謙: 初めて片足を失った後輩を見た時、僕は正直なところ、「かわいそうだな」と思いました。しかし、現在の僕は障がいを極めてポジティブに捉えています。すなわち、「技術の入り込む余地のある余白」というように。

技術の力で余白を補えば、「できない」が「できる」ようになる。さらに技術を高めていけば、その余白が“あるからこそ”、健常者ができないことまで、できるようになるかもしれない。

例えば、健常者とまったく同じ外観、同じ機能を持つ義足をつくり、それをつけて軽やかに歩く人がいたら、私達はその人を障がい者と呼ぶでしょうか? さらに、2mほどある長い義足を開発し、それをつけて自在に歩いたり走ったりすることができたら、どうでしょう? そこまでいけば、もはや健常者、障がい者といった言葉は意味をなさなくなるでしょう。

技術を高めていけば、この世から障がいという言葉をなくすことはできる。だからこそ僕は、健常者と同じレベルになれる義足ではなく、健常者の能力を超えるような、イノベーティブな義足をつくりたいと考えています。

余白という表現に対して、「失礼だ」「不謹慎だ」と怒る人はたくさんいます。しかし、僕はその余白に人間の新たな可能性、技術の未来があると強く感じています。最近は、僕の考えに共感してくれる人も少しずつ増えています。今後は、自らの活動を通じて共感してくれる人をさらに増やしていきたいと考えています。

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