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世界が注目! 舘鼻則孝が描く日本文化の未来

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更新日 : 2014年06月11日 (水)

第3章 アイデンティティは日本人であること

舘鼻則孝(アーティスト)

 
世界で活躍するための武器

舘鼻則孝: 美大を目指していた僕は、2006年春に東京藝術大学(以下、東京藝大)美術学部工芸科に入学しました。最終的に2年間の浪人を経ることになり、200枚以上のデッサンを描くことになりましたが、それでも東京藝大でなければならない理由がありました。

僕は、高校生の頃から「世界で活躍するファッションデザイナー」を目指していました。ファッション、イコール「洋」服ですから、本場はヨーロッパです。服や靴を作りはじめた頃は、いずれはヨーロッパで勉強してファッションデザイナーになろうと、漠然と思っていました。しかしあるとき、疑問がわき上がってきました。ヨーロッパで「洋」服について勉強し、ファッションデザイナーになっても、それは本場の人の真似でしかない。同じ武器で戦っても勝つことはできない、世界で活躍することはできないと思ったのです。

では、何を武器にすればいいのか。ヨーロッパやアメリカで戦うのならば、自分にしかできないことで勝負がしたい。そう考えたときに「自分のアイデンティティは日本人だ」と気づき、日本人であることを最大の武器にしようと考えました。そのために、日本の伝統的なファッションの歴史や技術をきちんと学ぶ必要性を感じ、その分野において最も歴史と伝統のある東京藝大にたどり着いたのです。



花魁はファッションリーダー

舘鼻則孝: 大学入学後、最初の2年間は文化・芸術の歴史と平行し、日本画や彫刻などの実習を通して、伝統的な素材や技法の基本を学びました。その後は染織を専攻して友禅染を用いた着物や下駄を制作し、自宅では本などを参考に、自分なりに洋服や靴づくりの技術を学んでいました。

この時期は「ファッションデザイナーになったときに何を表現したいのか?」と、自分の目指すスタイルを模索していました。自問自答を繰り返した結果、ファッションを通じてアバンギャルドなメッセージ、スタイルを打ち出したいと考えました。できたらいいな、ではなく、するべきだと思ったのです。

そこで、江戸時代や明治時代のアバンギャルドなファッションリーダーについて考えてみたところ、浮かび上がってきたのが花魁でした。歴史を振り返れば、花魁のような仕事をしていた人から新たな流行が生まれたケースはたくさんあり、皆さんが履いているピンヒールの靴にも、実はそうした歴史があります。花魁道中で練り歩くことができるのは、ごく一部の位の高い人だけ。贅の限りを尽くした衣装には、当時の最先端のデザインや技術が施されていました。

カラスとスカル

舘鼻則孝: 花魁について研究するなかで、カラスの模様をあしらった着物をまとう花魁の写真に出会いました。なぜ、死や不幸の象徴として扱われるカラスを、華やかな着物の模様に使ったのか? とても不思議でした。

僕がイメージしたのは、現代のスカルのTシャツでした。こうしたTシャツを着る人は、おそらく自分のスタイルを主張するアイテムとして身に着けていると思います。同じように、カラスの模様があしらわれた着物は、当時の最先端のファッションだったのではないか、と考えました。あえてカラスの模様を取り入れることで、自らの存在を主張していたのかもしれません。僕はこの花魁の心意気にインスパイアされ、カラスの模様をあしらった緑色のぽっくり下駄を作ってみました。左右を合わせて真上から見ると、翼を広げている姿が現れます。

この作品は現在、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館に永久収蔵されています。2012年に同館のキュレーターから「日本に行くから、緑色の下駄を見せてほしい」というメールが届きました。この下駄は撮影などで何度も使っていたため、ぼろぼろでした。僕は「収蔵してもらえるのなら、新しいものを作る」と言いましたが、キュレーターは「傷だらけでも、制作時のパッションや、あなたの歴史を感じられるもののほうが伝説になる」と言い、そのままロンドンに持ち帰りました。おそらく2015年から展示されると思います。


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