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美術館館長と経済学者が熱く語る「アートの新たな可能性」

南條史生×竹中平蔵 in 六本木アートカレッジ

更新日 : 2012年04月19日 (木)

第2章 アートと経済のジレンマ

南條史生(左)竹中平蔵氏(右)

竹中平蔵: アートは国に支えられている部分がかなりありますが、なぜ国はアートにお金を出すのでしょうか。「国がお金を出すと、アーティストの自由な表現が阻害される。補助金を出すのはおかしい」という批判があります。これに対してウィリアム・ボーモルという経済学者は「アートと経済の間にはジレンマがある。だから政府の補助金は必要だ」と言いました。

ボーモルの考え方を簡単にご紹介すると——自動車産業は、昔は10人で1台しかつくれなかったものが、やがて3人で1台をつくれるようになるなど、生産性が向上しますよね。生産性が向上すると、賃金が上がります。ところがアートの生産性は簡単には向上しません。100人で『アイーダ』のオペラをやっていたものを20人でできようになるかというと、できないからです。でも社会の経済発展とともに賃金はある程度上げていかなければなりません。するとどうなるかというと、アートの値段がどんどん高くなって、お金持ちしか楽しめなくなるのです。それではいけないから、みんなが文化を共有できるように公的資金を入れよう、というわけです。

日本の文化関連予算は年間約1,000億円、国民1人当たりにすると、たったの約1,000円です。これはフランスの約10分の1、韓国の約5分の1です(※2006年データ/文化庁サイト参照)。日本の一人当たり所得は韓国の約2倍にも関わらず、アートに使っているお金は5分の1なんです。アメリカは政府の文化予算は日本より少ないのですが、民間からの寄付で支えています。日本はどこかおかしいと思います。

南條史生: これまで日本では、アートと経済は全く違うものとして、扱われてきたんですが、最近視点が変わり始めていると思います。冒頭で述べた地域振興のための街中アートの活動もその例の1つですが、経産省が今年(2011年)クリエイティブ産業課を設置しました。これはアートやデザインといった創造産業が経済的にも重要である、という認識が高まっているということだと思います。

しかし竹中さんがおっしゃった「誰が支えるべきか」ということは非常に難しい問題です。民間のどこかがお金を出した場合、継続性=サステナビリティが心配です。アメリカでは資金集めに奔走しなくてはならないケースや、ボードメンバーとの軋轢が大変だということで、館長のなり手のない美術館がいっぱい出てきています。

しかし、経済とアートということで考えると、別のことが浮かび上がります。一般の人たちは、人生を考えるときに、お金や地位や名声を成功の基準と考えると思いますが、アーティストはしばしば、ちょっと違う見方をします。「そんなものは自分にとって意味がない。つくりたいものをつくり、生きたいように生きることが大事だ。作る物も役に立つかどうかでなく、美しいものに価値がある」というわけです。その結果として、芸術というのは社会の常識に対して、ある程度批判的なポジションをとることになるわけです。でもそういうふうに違う視点を持っているということが、社会全体にとってはつまり多様性につながり、社会の柔軟性や、奥の深さ、そして創造性の確保に繋がることになるんですね。

一方、企業は「利益を上げる」ことを基準に活動しています。でも利益が上がったら、その利益をどうするのか、ビジネスへの再投資だけに使うのか、それとも一部は社会のために使うのか、という選択枝に行き当たります。それは生きることの意味は何かと言うことにつながるんです。いい社会を築いて、みんなで楽しく生きていくことが目標なのか、ただ金を儲けて自分のためだけに使うのか。そしていかに生きるか、という問題を考えたとき、「文化」というものが出てくるわけです。今は「企業も社会と一緒に文化を生み出し、シェアして生きていこう。そうでないと、この企業は何のために社会に存在しているのかわからない」という時代だと思います。

日本はこれまでアートを国が支えてきたわけですが、今はアートに限らず「国に頼るだけじゃなくて、みんなで支えよう」というシェアの考え方にシフトしてきているような気がします。

竹中平蔵: 最近いろいろなところで「マルチステークホルダーで多元的に解決しよう」と言われています。例えば環境問題1つとっても、国連や政府が頑張るだけでは絶対に解決しません。NPOの役割も、企業の役割も、個人個人の努力も重要です。みんなが参加しないと解決できない問題が多くなってきているのです。

アートの世界も同じです。だから政府のお金も大事なわけですが、残念なのは、政府はアートに対するお金の使い方を間違っているということです。バブル崩壊後、公共事業がいっぱい行われた1990年代に、ホールは年平均約100館、美術館は約25館つくられました。毎週日本のどこかにホールが2つ、2週間に1つ美術館ができていたということです。つまり箱ものばかりつくってしまったんです。だから地方に行くと、オペラをやったことのないオペラハウスなんかがいっぱいあります。

南條史生: そう、そう。箱物行政ですね。

竹中平蔵: でも地方公共団体の文化予算は、この10年で約半分、場合によっては60%減らされています。もうお金がないのです。だからマルチステークホルダーで我々が支えていかなければなりません。「日本の文化は素晴らしい、日本のアートは素晴らしい」と、まだ世界の人たちは言ってくれていますから、その間に我々が何とかしなければいけないのです。

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  六本木アートカレッジ「アートの新たな可能性」

今求められているのは、経済的な豊かさ以上に心の豊かさ。それは個人レベルだけではなく国家レベルでも同じではないでしょうか。だからこそ、ソフトパワー(文化や政治的価値観、政策の魅力など)が注目されています。
その中心的役割を担うのがアート。社会、政治、経済と密接な関係にあるアートが、未来の社会でどのような可能性を持つのでしょうか。森美術館の南條館長とアカデミーヒルズの竹中理事長に対談していただき、アートがいかに社会と深く関わっているか、そして、ソフト・パワーがいかに国策として
重要になっていくかの議論を通じて、アートと社会の関係性について考えてみたいと思います。

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