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今、日本が大切にすべき“プリンシプル”を考える

~『白洲次郎 占領を背負った男』著者北康利、竹中平蔵が白洲次郎を語る~

更新日 : 2009年12月07日 (月)

第8章 「誰かがやってくれる」から「俺がやらねば誰がやる」へ

北康利氏

竹中平蔵: 先ほど、北さんは「俺がやらねばという気概」について触れられました。日本の社会で一番欠けているものがこの気概で、現在は「誰かがやればいい」という話が多いと思うのです。

例えば、政治科学の世界で「政治的空間」という概念らしいのですが、「自分がやらなければいけないかどうか」によって政治的意見が変わるというのです。「あなたは死刑に賛成ですか?」という問いに対し、「死刑は必要だ」と答える人たちがいるとしても、「それでは、賛成の人は順番に死刑執行を行ってください」というと、賛成する人はガタッと減るというのです。

古代ギリシア時代の民主主義社会は、自分が提案したことは自分が責任を持ってやらなければならなかった。民主主義の基本は、自分自身が政治的空間にいるかどうかであるのです。言うなれば、雑誌の記事やテレビのワイドショーのコメントは、「私的でも公的な空間でもない、すべてから守られた居心地のよい空間にいる論者たち」の指摘なんです。

白洲次郎は全く違う。自らエッジの上に立つ思いで政治的空間にいたのだと思います。そういう状況を作っていけるかは、現在の社会のかなり切実な問題ですね。

北康利: しつこいぐらいに「ワイドショーの司会か、評論家か、白洲次郎か。誰が格好いいか?」という問いを積み上げていくことだと思います。ここにいらっしゃるような知的能力の高い方々が、社会のことを考えていかないといけないのです。

例えば明治維新のときには氏族と貴族が、敗戦のときは内務省の役人や華族、吉田茂などが「俺たちが国をなんとかしないと」と思っていたわけです。吉田茂は自由主義者ですが、多分民主主義者ではなかった。それの是非は別にして、「俺がやらねば誰がやる」という人たちが一定数いることが、社会インフラとして絶対必要です。

もうひとつ、若者に言いたいのは想像力を持てということです。カウチに座ってテレビを見ているのではなく、相手側に立つ想像力をもっと持つべきです。先ほどの死刑の話で言えば、執行ボタンを押す立場に自分を置き換える想像力、これがすべての根源です。想像力があれば危機管理もできる。想像という羽を広げる努力をすべきだと私は思います。

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北 康利
講談社

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~『白洲次郎 占領を背負った男』著者北康利、竹中平蔵が白洲次郎を語る~

今、日本が大切にすべき“プリンシプル”を考える
北康利 (作家)
竹中平蔵 (アカデミーヒルズ理事長/慶應義塾大学名誉教授)

戦後の激動の時代に、日本に誇りを持ち、日本のために自分の役割を誠実に全うした白洲次郎の「生き方」から、我々は多いに学ぶことができるのではないでしょうか。
今回は北康利氏と竹中平蔵アカデミーヒルズ理事長が「今の日本人に求められる“プリンシプル”とは何か」を、白洲次郎の生き方から議論します。


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