記事・レポート

66ブッククラブ 第5回

『幸福な監視国家・中国』を読む

更新日 : 2020年03月23日 (月)

第1章 法のオルタナティブとなる統治

アカデミーヒルズとコンテンツレーベル黒鳥社による、「次に読む一冊」を探す読書会「66ブッククラブ」。2月4日に行われた第5回では、世界最先端のIT社会を実現したと賞賛される一方で、より高度な監視社会の出現との懸念も高まる中国のIT化の実相を描き出した『幸福な監視国家・中国』を取り上げ、著者で神戸大学大学院経済学研究科教授である梶谷懐氏をゲストに招いた。著者である梶谷氏が自著から派生するテーマを掘り下げるべく選んだ3冊の本は、西洋的な法による統治の限界と、そのオルタナティブを示唆するものだった。

TEXT BY MICHIKO ONOZAWA
PHOTOGRAPH BY YURI MANABE


梶谷 懐 (神戸大学大学院経済学研究科教授)


「2010年頃までは、中国でも、インターネットやSNSの台頭によって言論が盛んになって公共権という考えが広がり、人権を擁護する動きともリンクして、民衆による下からの運動で社会が変わるのではないかという期待が出てきました。ところが2012年に習近平が国家主席となってからバックラッシュが起き、時間とともに政府が技術面でキャッチアップしたことで、インターネット上での言論は厳しく制限され、監視社会化が進みました。一方でIT化は確実に市民の幸福度の向上に寄与もしています。この二つの側面に注目することで、できるだけ複眼的に今の中国社会を理解したい、と思ったんです」

中国経済学を専門とする神戸大学大学院経済学研究科教授の梶谷懐氏は、『幸福な監視国家・中国』を著した動機をこう語る。急速なIT技術の浸透とAIとアルゴリズムを用いた監視がつくりだした中国社会の様子を描き出す同書は、テクノロジーが与える市民生活への影響を功罪両面から明らかにする。中国経済の専門家として新しいテクノロジーで社会や経済が活気づく様子を目の当たりにしていた梶谷氏には、中国で起きていることが、監視というネガティブな側面からのみ捉えられてきたことに違和感を感じてきたからだという。

「2017年か2018年頃から、中国の監視社会化をジョージ・オーウェルの『1984』のようなディストピアのように捉えて、その恐怖を煽るような論調が出てきました。けれども実際の市民の暮らしを見ていると、人々を萎縮させ抑圧するためだけに政府が監視しているというより、新しい便益と引き換えに、人びとが個人情報の提供や監視を受け入れているという側面もあるのです。深圳の企業やメーカーフェアを訪れた際に出会った起業家や若者たちは実に楽しそうで、新しいテクノロジーが可能にする世界にワクワクしている感じがあり、その期待は日本や外国よりもはるかに強かったことが印象に残っています」

強まる監視。その一方で高まる幸福度。「幸福な監視国家」という書名に謳った通りの二律背反を生きる中国社会。それを理解するために、梶谷氏は「専制国家」「法律」「差別」というキーワードと、それに即した3冊の本を提示した。

最初に紹介したのは足立啓二の『専制国家史論』だ。封建社会を経て近代国家へと至った日本との比較を踏まえながら、中国がいかにして「意思決定の集中化した巨大な政治的統合」となったかを示し、国家としての特徴を描き出す本書を、梶谷氏はこう概説する。

「専制国家、専制的な権力というととても息苦しいもの、行動が制限されるものを想像してしまいがちですが、実は民衆レベルでの統治はとてもゆるいものであったことを明かす一冊です。中国社会には体制批判をする自由はありませんが、それ以外の部分では『勝手にやれ』が基本的な原理ですので。江戸時代の日本のように、『お上』が下々を生かさぬよう殺さぬように面倒を見る、という統治形態とは対照的です。現在、深圳などで盛んな自由闊達な起業やイノベーションを生み出す土壌となる自由闊達さの歴史的な源泉がここにある、と言えるかもしれません。」





自由という観点から見れば、伝統的には少なくとも経済においては、中国の方がはるかに自由度の高いものであったという指摘は、「株式会社日本」と揶揄されるようなお上主導の経済に牽引されてきた日本の来し方を見るにつけなるほどと頷かされる。しかしながら、中国の専制国家モデルのなかで享受される「自由」は、必ずしも公正に分配されるものではない。梶谷氏はこう指摘する。

「中国では幸福度が上がっているとはいっても、少数民族への弾圧に代表されるように、マイノリティはそこから排除されています。近代社会における普遍的価値にコミットする人間として、中国のこの専制的な統治を肯定することはできません。しかしながら、日本を含む西側諸国においてもテクノロジーが近代社会の原則を突き崩してしまっているという現実も一方ではあり、中国的なやり方を、単に「われわれとは異質だ」という理由で否定することは困難になってきています。」

その困難を考えるためのヒントとして梶谷氏は、小塚荘一郎による『AIの時代と法』を紹介する。「法の支配がデジタル社会化によって危機にさらされる」という本書を貫く問題意識は、『幸福な監視国家・中国』と驚くほど似ていると梶谷氏は語る。

「たとえば、これまでの紙の本であれば、それを購入すれば、その本が自分の財産になることははっきりとしていましたが、電子書籍のデータだと、これまでの『所有』『財産』といった概念が無効化されてしまいます。電子書籍は、ただアクセス権を購入するだけで、それを所有とみなすことは困難です。近代はモノとヒトの二分化から成り立っていましたが、モノがデータ化することで、その二分法が意味をなさなくなっているのです。このような状況下では、技術的なスタンダードのほうが、法よりも、実質的な社会のルールを決めてしてしまう可能性があります。中国政府がデジタルテクノロジーを通じて行っていることは、まさに技術やアーキテクチャによって実質的なルールをつくりあげることでもあるのです。」





アーキテクチャによる規制が、法に先行して作られる社会では、法というもの自体の位置付けが下がっていく。こうした状況は『幸福な監視国家・中国』の第7章で語られた「マイノリティの人権」に密接に関わっていると梶谷氏は指摘する。なぜならマイノリティの人権を守るべき場面でも、法による差別の規制という手段が、有効性をなし崩しにされるような状況が起こりうるからだ。

こうしたマイノリティの置かれた状況を考えるために紹介したのが綿野恵太『「差別はいけない」とみんないうけれど。』。ポリティカル・コレクトネスへの反発・反感を手がかりに差別が生じる政治的・経済的・社会的な背景を考察した一冊だ。

「綿野さんの本では、マジョリティの側がアイデンティティポリティクスのロジックを逆用して、統計的・科学的なエビデンスをもとにマイノリティ差別を正当化するケースが世界中で増えていると警鐘をならしています。特に中国のように人権思想が脆弱なまま科学技術が急速に発展している国では、それがより露骨な形で起きています。近代的な法の支配のロジックによってマイノリティの権利を守ろうとする人々が劣勢に立たされている、その象徴が中国の事例かもしれません。」

中国のITガバナンスが幸福と自由のトレードオフとなっていることについて抵抗感を拭えない部分はあるかもしれない。しかし民主主義を謳う国家においてであっても中国と同じようなことは、GAFAなどのプラットフォーマーによって実現しつつもある。ITによるガバナンスが、不可避的に、自由と幸福のトレードオフをもたらすものであるのなら、中国で起きていることは、民主国家に生きるわたしたちの未来でもありうる。中国の動きを注視すべき理由は、ここにあるに違いない。





『専制国家史論』
   足立啓二
グローバリゼーションによって政治決定の集中化が急激に進行する現代にあって、中国の統治の歴史からなにを学ぶことが可能か。中国の国家像の変遷を人類史的視野から描出した渾身の論考。梶谷氏は「中国型の専制国家の真逆にあるのは江戸時代の日本だけでなく、赤紙が来れば逃げることなく国民が従った戦時中の日本も同じですね」と指摘する。
 

『AIの時代と法』
   小塚荘一郎
AIの普及によってデータの価値が増大することで起こる「法」では捉えきれない事態が、既存の法の世界にもたらす変革、さらには法という概念の基盤を揺るがすインパクトを描き出す一冊。AIの時代に生じる諸問題を考え、対処する道筋を描き出す。梶谷氏はドナーカードを例にとって「臓器の提供が選択制になっているものもあれば、提供がデフォルトになっているものもある。政府がどこまで介入できるかという問題と、その方が法律よりも効率が良いというジレンマがあります」とその問題を解説する。

『「差別はいけない」とみんないうけれど。』
   綿野恵太
「差別はいけない」とポリティカル・コレクトネスを叫ぶだけでは差別はなくならない。その理由を探るべく、ポリコレへの反発・反感を手がかりに、差別が生じる背景に政治・経済・社会と多角的に迫った一冊。「マイノリティがどう自分たちの権利を守るか、そして自分がマイノリティでない場合にどう他人の権利を守っていくか。この二つの立場が矛盾するところがなかなか難しいんです」と梶谷氏。

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