66ブッククラブ 第3回
『三体』を読む
第1章 「蛮勇の産物」をときほぐす
アカデミーヒルズとコンテンツレーベル「黒鳥社」のコラボレーションによって始まった、新しいタイプの読書会「66ブッククラブ」。8月6日に開かれた第3回では、「中国SF」をテーマに、劉慈欣の『三体』を取り上げた。本作は、既存のSF作品の作法から大きく逸脱した「超怪作」だ。三部作累計2100万部を中国本土で売り上げ、オバマ大統領からマーク・ザッカーバーグまでもが薦めたことで世界的なバズを生んだ話題作でありながら、大きな期待を胸に読んだ読者を、ある意味つんのめさせ戸惑いに陥れる問題作でもある。日本版『三体』を翻訳した翻訳者・大森望氏、デザインシンカーの池田純一氏をゲストに招き、黒鳥社コンテンツディレクター若林恵氏のファシリテートのもと、「とんでもSF」で片付けることのできない、「中国SFの作法」の未知なる輪郭を探った。
TEXT BY TAKUYA WADA , KEI WAKABAYASHI
PHOTOGRAPH BY YURI MANABE
大森望 (翻訳家・書評家)
『三体』(劉慈欣)の翻訳を手がけた大森望氏があとがきでそう綴った本作は、008年に中国で刊行され、三部作累計で2100万部、ケン・リュウ訳の『The Three-Body Problem』に始まる英語版は三部作累計で150万部を記録。2015年には翻訳書として、またアジア圏の作品としてはじめてヒューゴー賞長篇部門を受賞した。3部作の第1作目となる『三体』は、ここ日本でも出版からわずかひと月で約10万部を突破し、海外SF作品としては異例となる重版12刷をあっという間に記録した。
解を得ることが不可能と証明されている天体力学の「三体問題」を題材とした本作は、その概要だけを聞けば、ジェイムズ・P・ホーガン著『星を継ぐもの』のような壮大なスケールのハードSFを思い起させるものだ。ところが蓋を開けてみると、そうではない。「え?」となる展開が次から次へと起こり、「どういうこと?」と首をひねっては唖然とする読者を置き去りにして、物語は猛然と突き進む。よく言えば奔放、悪く言えば荒唐無稽。
文化大革命時代を生きた科学者の壮絶な生と死をSFらしからぬリアルな文体で描いたと思えば、超一流の理論物理学者たちが相次いで自殺を図るくだりが、サスペンスフルな筆致で綴られる。そうかと思えば「三体世界」を解き明かすVRゲーム内のめちゃくちゃな世界がマジカルに描かれ、さらに終盤では、脳内でイメージすることも困難な桁違いのスケールの“バカSF”の要素が待ちうける。66ブッククラブ第3回に集まった参加者からは、「この作品をどう読めばいいのか?」といった、混乱にも似た戸惑いが一様に感じられた。
そこで本作の翻訳を務めた大森氏は、この壮大な「謎」を理解するための補助線として、3冊の本を挙げた。郝景芳『郝景芳短篇集』、ケン・リュウ『折りたたみ北京』、武田雅哉と林久之の『中国科学幻想文学館』がそれだ。
大森氏はまず『郝景芳短篇集』を挙げ、『三体』の共通点を指摘した。
「シリアスな設定のなかで芸術を学ばないと生き残れない状況がリアルに描かれている一方で、トンデモSFの要素が混じっており、そのアンバランスさが『三体』との共通点。どう読めばいいのかという不安感が楽しめるし、読み手がどのような態度で小説に接するかが問われることになります」
こうしたアンバランスさは、SF作品の作法としては「野蛮」なものだが、その野蛮さこそがむしろ価値なのだと、大森氏は語る。
「ケン・リュウが英訳版『三体』のあとがきで、現代パートは日本のスリラー小説のように読めると書いていたこともあって、怪現象の解明に主人公が奔走するサスペンスホラー的な大風呂敷をどう回収するのかと思いながら読んでいたら、その謎解きが、あっと驚くバカSFだったので、最初に読んだときは『正気か?』と思いました(笑)。シリアスな過去を描いた文革編のリアリティレベルと、現在/三体世界の描写のリアリティレベルには、かなりの落差があります。前半の文革パートでは、劉慈欣の実体験からくる地に足のついた細やかな日常のリアリティが描かれて、ちょっとしたシーンが胸に残ります。一方、SF要素が強くなる、突拍子もない後半の現在/三体世界パートでは、SF的なリアリティよりもイメージやメタファーが重視されます。かなりやんちゃな手法であるし、SFのセオリーからすると、普通はここまでレベルが違うものをひとつの作品に混ぜない。けれども、これらが同居することで、不思議な効果が生まれてもいるんです。ふだん、SFの書評をしていると、現代SFの基準を満たした文句のつけようのない作品を基準にしてしまいがちなのですが、『三体』はそんなことは問題ではないのだということに改めて気付かせてくれました」
『三体』がこれだけ世界的に注目を浴びたことは、経済発展やデジタルイノベーションなど、あらゆる分野においてこれまで中国に対して無意識に抱いていたアドバンテージを突然ひっくり返されたことに対する驚きが底流にあるのは間違いない。事実、大森氏も英訳版『三体』の噂を耳にし、地球が異星文明の侵略を受けるというプロットであることを知った時点では、なんとも時代遅れな、使い古されたものと感じたという。
けれども、それを「古い」「遅れている」と切り捨てるのではなく、むしろそこにわたしたちには見えていない中国独特の物語の伝統や手法を知ることで、そこにSFの新たな可能性を見出すことができるのかも知れない。そうした視点の転換を促すものとして、『三体』の抜粋である「円」を含む、中国の注目の作家を集めたSFアンソロジー『折りたたみ北京』、中国SFの歴史を概説した『中国科学幻想文学館』の2冊を大森氏は挙げる。
「これは、『折りたたみ北京』に収録されている作家の夏笳(しあじあ)が語っていることなのですが、英米圏や日本では科学技術に対する懐疑的な態度を反映したディストピア的なSFが当たり前のものとなっていますが、中国では、そうした科学技術的な仕掛けを現実から逸脱した世界をつくりあげるものとして設定され、それを通してひとの普遍的な問題を問う作品が多く、それは、なぜかというと、今まさに中国が発展の真っ只中にあるからなのだと、夏笳は語っています」
『三体』を通してわたしたちが知ることになったのは、そこには、わたしたちが知っているSFや物語の作法とまったく異なる作法をもった異質な何かがあるのかもしれないという、不気味な予感ではなかっただろうか。言われてみれば、わたしたちは、中国において、そもそも「科学」や「技術」といったものが、どういうものとして認識されているのかすらよくわからない。わたしたちが知っているのは、あくまでも欧米のそれでしかない。そして、SFともなればなおさらだ。『三体』の謎は、これまで「あまりにも知らなすぎた」中国そのものの謎なのかもしれない。
劉慈欣の小説『流浪地球』をNetflixが映画化した『流転の地球』は、世界レベルの映像技術で中国史上2番目にヒットした作品となった。ストーリーに関しても、日本やハリウッドがこれ以上手を出さない領域にあえて中国の作法で挑み大ヒットを収めている。
『郝景芳短篇集』
郝景芳 『北京 折りたたみの都市』でヒューゴー賞を受賞した中国の女性作家・郝景芳の初の短編小説集。産業の自動化が進み人間の労働力が不要になった地球が「鋼鉄人」によって侵略されるが、芸術家は襲われないという設定。ヴァイオリニストの主人公がレジスタンスに加わり、鋼鉄人の拠点である月を音楽によって起こした共振で爆破するという計画を立てる。大森氏は「そんなのアリかよ、と思うようなとんでも作品でありながら、シリアス作品世界のなかでの登場人物の生活が細かく描かれている」と評する。
『折りたたみ北京』
ケン・リュウ 2012年に、『紙の動物園』でネビュラ賞・ヒューゴ賞・世界幻想文学大賞短編部門で史上初の三冠を達成した小説家/翻訳家のケン・リュウが、劉慈欣『三体』の抜粋「円」をはじめ、現在中国SF界で再注目の作家7人の13作品を選び収録したアンソロジー。「これを読めば、現代の中国SFについて一通りのことがわかる。それ以前に出ていた中国SFアンソロジーから一気に40年くらい若返った」と大森氏。
『中国科学幻想文学館』
武田雅哉・林久之 上巻は封神演義など古代中国の科学幻想から、下巻は台湾・香港を含む戦後のSF作品まで、の歩みが記された中国SF小説史。「中国文学をさらに深く知りたいひとはぜひ読んでほしい。この時代の中国SF史の研究者がおらず、中国の作家もこれを参考にしているくらい、重要な書籍」と大森氏は語る。
<次回、66ブッククラブ 第6回はこちら>
66ブッククラブ 第3回 インデックス
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第1章 「蛮勇の産物」をときほぐす
2019年09月17日 (火)
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第2章 中国文学お家芸の源泉
2019年09月19日 (木)
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第3章 最も不安な読書
2020年02月18日 (火)
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