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時代を撮り続ける写真家・篠山紀信の表現を探る

写真力とは何か?

キャリア・人文化
更新日 : 2013年01月29日 (火)

第4章 魔をもって、魔を制す

写真:生駒芳子(ファッションジャーナリスト)
 
美しすぎる日本画家の「絵画力」

生駒芳子: 松井さんの作品は、人間の内臓がむき出しになっていたり、背中がパクっと割れていたり……。ちょっと怖いような画風の絵を描いていますね。「絵画力」とはなんですか?

松井冬子: 絵を描くときは、どうしても観客に伝えるためのテクニックが必要です。感情や考え方、コンセプトがあっても、技術がなければ伝わらないのです。私としては、技術が大きいのかなと思います。

生駒芳子: 絵を描く技術ですか。いまの画風を手に入れたきっかけはありましたか?

松井冬子: 例えば、幽霊を描いたのは、みんなが持っている強迫観念や集団妄想の表れのようなものだからです。幽霊は実際には存在していないけれども、みんな同じようなイメージを持っている。そこに興味を持って描いています。

暗黙のルールを破って生まれた新しい表現

松井冬子: 幽霊画というと、円山応挙(※編注:江戸時代中期の絵師。諸説あるが、「足のない幽霊」を描き始めた画家と言われている)が描いたものが有名です。女の人の足がなくて、白い布を着て浮いているっていう。みなさんも、幽霊というと大体そのイメージがありますよね? 昔の日本画は、線で描くことが多いです。輪郭も目と鼻と口も線で描いて終わり、といったような。でも、私は陰影がやはりあったほうがいいと思っています。

日本画で顔に陰影をつけながら幽霊を描いてみたい、というのが私のひとつのテーマでした。陰影をつけるとマッスルな感じが出てしまうから、向いていないのですが。また、従来の日本画では、コピー機を使ってはいけないという暗黙のルールがありました。そこで、あえてコピー機で縦横の比率を変えて陰影を使った顔を描いたら、幽霊っぽい気配を出すことができた。そういう風に下図を作っていき、日本画として描いていきました。おそらく、円山応挙が描いた幽霊画とはまったく違ったものだと思いますよ。

死を感じさせる作品が、人を生に向かわせる

生駒芳子: 怖い絵を描かれる理由のひとつが、「魔を持って魔を制す」という考えに基づいていると聞いたことがあります。

松井冬子: 腹を裂いた女の人の作品で、それを見た方が「ああ、私はそういう風にならなくて済んだ」と思ったとか、でしょうか。たとえば、自殺をしたいと思っていた人の目の前で、友人が自殺したとしましょう。そうすると、死にたい気持ちが抑えられる。それも「魔を持って魔を制す」と同じだと思います。そういう感覚で作品を見ていただければいいのかなと。

生駒芳子: 九相図を見に行かれたそうですね? お坊さんが、人間の体への執着を捨てるための修行をするための絵だといわれている。

松井冬子: そうです。私は国宝モノだと思っている九相図が、今までは個人蔵でしたが、やっと一般の人も見られるようになったので、九州国立博物館へ拝見しに行きました。

九相図はもともとお坊さんに対して、「女の人は死んだらこんな風に醜くなっていくのだから、女の人に対する執着を捨てなさい」というような意味だそうです。女の人が朽ち果てていく姿を、9つの段階に分けて描いている絵巻物です。

篠山紀信: じゃあ、生きているときは、もっと愛しなさいってことだね。

松井冬子: なるほど。それもいえますね。

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