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「感動する力」でアートはここまで楽しくなる:姜尚中×竹中平蔵

もっと深くアートを感じるために、ちょっと深くアートを考える

政治・経済・国際文化教養
更新日 : 2012年10月02日 (火)

第2章 私の人生を変えた一枚の自画像

姜尚中(東京大学大学院情報学環 現代韓国研究センター長)

姜尚中: 私は旧西ドイツに留学していたとき、ドイツ・ルネサンスを代表するデューラー(1471~1528年)の自画像と出会いました。デューラーの父はニュルンベルクの金細工職人で、芸術家としては認められなかった人でした。画家を目指していたデューラーは、ヨーロッパ各国、特にイタリアに渡って芸術を学び、帰国後、工房を構えます。しかしドイツでは社会の底辺の職人でしかなく、金物細工のようなことをしたり、美術界では(複製が可能なので)あまり評価されなかった版画作品を創ったりしていました。

その彼が、やがてマルチン・ルターの宗教改革が起き、ヨーロッパが宗教戦争へと向かっていく陰惨な時代の予兆があったであろう1500年に、自身3番目となる自画像を描いています。縦、横、70×50cm程度の小さな作品ですが、これを目にしたとき、私は心を打たれました。

自画像は普通の人間には、恥ずかしくて描けないものだと思います。自画像は鏡を見ながら描くのです。皆さんは高校時代に鏡を見ながらニキビをつぶして、「これでモテルな」とか「なんて自分は不細工なんだろう」と思ったりしなかったでしょうか。漱石は『吾輩は猫である』の中で、「鏡は己惚(うぬぼれ)の醸造器」であると同時に「自慢の消毒器」でもあると書いています。

自尊心と卑屈な感情、その両方を持ち合わせながら、自分の顔を詳細に鏡から読み取って描く——これは近代的自我の始まりです。デカルトの「我思う、故に我あり」と全く同じことを、絵画の世界では自画像で表しているのです。日本の美術は素晴らしいと思いますが、残念ながら自画像はありません。

【あなたは誰? 私はここにいる】
デューラーはイエス・キリストに自分をなぞらえて描いています。これは当時、大変なことだったと思います。そして利き手である右手を胸の辺りに添え、「アルブレヒト・デューラー、ノリクム(南ドイツ地方)人、不朽の色彩で自らを描く、28歳」という銘文を画に書き込んでいます。つまりデューラーは、「私はアーティストである」と宣言しているのです。

私がこの作品に出会ったのは、彼とほぼ同じ年齢だった29歳。自分が何者であるか思い悩んでいたときでした。この絵と出会ったことで、私は自意識をしっかり見つめていくということを感じさせられたのです。これが私の始まりでした。

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該当講座

六本木アートカレッジ・セミナー
感動する力~アートを感じる・アートを考える~
姜尚中 (東京大学大学院情報学環 現代韓国研究センター長)
竹中平蔵 (アカデミーヒルズ理事長/東洋大学教授/慶應義塾大学名誉教授)

姜尚中氏×竹中平蔵氏
 芸術は我々に勇気や感動、新たな発想を与えてくれ、豊かで潤いのある時間を我々は過ごしています。しかし、そこにはアートを感じる力、どのようにその作品、モノに接するかという我々の姿勢が重要になってきます。今回のセミナーでは、姜尚中氏に経験をもとに、アートを感じる力についてお話いただきます。また、後半の竹中平蔵氏との対談では、アートが社会に与える影響そして社会で担う役割・可能性についても発展させます。


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