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アイデアを形にする一点突破のプロフェッショナル in 日本元気塾

Toksy、prayforjapan.jpを生み出した次世代クリエイターに迫る

日本元気塾オンラインビジネスキャリア・人
更新日 : 2012年02月27日 (月)

第5章 インドでの洪水体験がprayforjapanにつながった

鶴田浩之氏

鶴田浩之: 今日は僕が立ち上げた「prayforjapan(プレイ・フォー・ジャパン)」というWebサイトと、それを本にしたものがどうのようにして生まれたのか、そして僕自身の経験などをお話しできたらと思っています。

僕は1991年生まれで、13歳のときに初めて自分のWebサイトをつくり、16歳のときに初めて起業しました。今は慶應技術大学の環境情報学部に在籍していますが休学中で、今年(2011年)4月に株式会社Labit(ラビット)というインターネットサービス事業会社を立ち上げました。

僕はこれまでに2回、心が震えるような体験をしたことがあります。1つは高校生のとき。生徒会長として文化祭の総合演出を担当し、オープニングとエンディングに、それぞれ15分くらいの映像作品をつくって体育館で上映したところ、1,000人以上の方が歓声を上げてくれたのです。このとき生まれて初めて、作品をつくって提供することの喜びを知りました。

もう1つは今日お話しするprayforjapanでの経験です。このサイトを東日本大震災が起きた日の夜に立ち上げたところ、3日間で約1,000通のメールやメッセージをもらいました。それを読んでいるときの感覚は、高校生のときの感覚に似ていました。こうした経験から「ビジネスだろうが、そうでなかろうが、何かつくって人に提供したい」という考え方が、僕の中で軸になりました。

prayforjapanを立ち上げたきっかけは、震災の約半年前の旅にあります。そのとき僕は北インドのラダックにいました。スティーブ・ジョブズが若いときにインドで修行したというエピソードを知って、僕もインドに行ったのです。実はラダックは2回目で、初めて行ったのは17歳のときでした。これからも多分、人生で何度も訪れることになる場所だと思います。

このラダックに昨年(2010年)の夏に行ったとき、大洪水が起きて1,000名ぐらいの方が犠牲になりました。ヒマラヤで発生した鉄砲水に襲われ、集落ごとなくなってしまったような場所もありました。観光客が帰りのチケットを買い求めて空港のロビーに詰め寄っているとき、入れ違うようにして僕はラダックに入り、現地の人と一緒に復旧活動を手伝いました。どの家も日本に比べるとすごく小さかったのですが、土砂をかき出すのに大人8人が1日がかりでようやく半分片付くかどうかという、途方もない作業が続きました。

それから半年後の2011年3月11日、やはり僕の大好きな場所で同じような光景を見ることになってしまったのです。ラダックでその大変さを知っていたので、今回の広範囲の被害には、どうしようもない無念さのようなものを感じました。

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関連書籍

『PRAY FOR JAPAN ‐3.11世界中が祈りはじめた日』(講談社/prayforjapan.jp編集)

prayforjapan.jp
講談社


該当講座

未来をつくるイノベーションシリーズ  
第2回 アイデアを形にする一点突破のプロフェッショナル
山下博巨 (株式会社オンザボード最高情報責任者)
鶴田浩之 (株式会社Labit代表取締役 / 慶應義塾大学環境情報学部在籍中)
米倉誠一郎 (日本元気塾塾長/法政大学イノベーション・マネジメント研究科教授/ 一橋大学イノベーション研究センター名誉教授)

山下博巨(株式会社オンザボード最高情報責任者)、鶴田浩之(株式会社Labit代表取締役)
米倉誠一郎(日本元気塾塾長/一橋大学イノベーション研究センター長・教授) 
『Toksy』『prayforjapan.jp』、3.11東日本大震災後に立ち上がった2つの「日本を元気にする」WEBサービスの、生みの親である二人をゲストにお招きします。「技術力」という強い武器をもつお二人の、プロデューサー的視点、周りを巻き込むリーダーシップ、プロジェクトの進め方や、人の役に立つモノづくりへのこだわりを通じて、自分自身の強みをどう生かしたら「アイデアを形にする」ことができるのか考えていきます。


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