記事・レポート

ネットいじめ~ウェブ社会と終わりなき「キャラ戦争」

更新日 : 2009年08月17日 (月)

第5章 ネットいじめに対する一般的な誤解と実際

荻上チキさん

荻上チキ:  ネットを通じたいじめは、「学校とか会社で行われていた、あるいは村社会で行われていた今までのいじめと、さまざまなパターンで違うのではないか」というような分析が出回っています。それを、「一般的な誤解」と本には書いているのですが、どういった言説であったかということを5つに分けてみました。

1つ目。「ネットいじめは、これまでのいじめとはさまざまな点で異なる新しい現象である」。簡単にいうと、「メールとかでいじめられるというのは新しいよね」みたいな形で説明をされている。

2つ目は、「インターネットの世界というのは匿名だ、匿名空間である。つまり、誰が書き込んだのかがわからない、であるがゆえに陰湿化しやすい」という説明がなされている。

3つ目は「誰もがターゲットになり得る」、つまり、誰でも書き込めるということは誰に対してでも書き込めるということなので、「今までだったら、例えばある種の属性を持った人がいじめられやすいということが分析できたのかもしれないけれども、ネット空間になったら誰がターゲットになるか、ちょっとわからなくなったよね」というような言説がある。

4つ目、「発言者の特定ができないために対処ができにくい」。いじめマニュアル本とかにも、「インターネットのいじめというのは対処しにくくて困る。なぜかというと、誰がそれを書き込んだのかが特定できないからだ」というようなことが書いてあります。

5番目、「どこまでもいじめが追いかけてくるので、よりストレスが強くなる」。直接的な罵倒とか、学校空間でのハブり、シカト、スルーとか、直接暴力を下す、みたいな形というのは、今までは同じ空間にいないと不可能だったわけですね。ある種の共同体の中に属していて、その共同体の中で、時間やコミュニケーションの中でのカースト制度みたいなものを共有していたがゆえに可能ないじめだったということなのです。

しかし、インターネット、メールができるようになると、深夜2時ぐらいに「お前、明日、学校来なくていいから」みたいなメールが誰からともなく、フリーメールとかでバッツリやってきて、ストレスを感じたりする。そういう現象が起きやすくなっているので、ストレスが強くなるだろうということが書かれていたりするのです。

では、それぞれの「ネットいじめ」に関する実際はどうなのかというと、「ネットいじめ」というのは、「陰口の可視化」ともいうべき現象で、必ずしも新しい現象ではないということを確認しておかなければいけないと思うのです。これを確認しなければ、既存のいじめ研究の蓄積を忘却してしまうからですね。

陰口やいじめは、もともと陰湿なものとして、教室や職場などに存在していたもので、ネットが登場したがゆえにそれが生まれるのではない。つまりネットいじめにおいては、元々あった人間関係に問題が生じた際、ネット上にそういった人間関係のキャッシュというか、関係性の残滓みたいなものがポツポツと浮かび上がってくるという順番が基本的にあったりするわけです。

わかりやすい例でいうと、例えば『2ちゃんねる』で、全然昨日まで会ったことのない人を「さあ、いじめよう」といって、いじめが起こることは基本的にないわけです。普段から顔を合わせていて、かつその人と強制的にこれからも長期間顔を突き合わせていかなくてはいけないということがある程度予期される状況で、ストレスを感じた人が人間関係の序列をいじるために、あるいはその序列を象徴的にアピールするために、いじめというのが顕在化するのです。

というのであれば、基本的に共同体、中間集団というか、人々が集まるような状況がない限りは、いじめというのは起こらない。元々の集団が、内藤朝雄のいじめ研究の言葉を用いれば、「迫害可能性密度」が高く、そうした集団の間で特定のネットが活用されていること、という順番です。

また、「ネットいじめ」においてターゲットにされるキャラというのは偏りがあって、もともとたたかれていない人が、ネット空間で突如としてたたかれるということはあまりなくて、もともとたたかれていた人が、ネット上でたたかれやすいという関係性があるわけです。露骨ないじめとかにつながって、自殺まで追い込むみたいなパターンのいじめというものは、やっぱり学校空間でもともと強いやつがサイトをつくって、ネット空間で弱いやつをさらに追い込むというものになっている。

「発言者に対処ができないために、対処がしにくい」という言説については、作業は煩雑ですが、現在ではネット上で書かれたものに関してデバイスの特定というものは比較的容易にできるわけです。なので、正しく、対応フローチャートを構築すればいいわけですし、その構築作業は淡々と進められているわけなので、煽りの報道とかをせず、そうした方法論を詳細に報道してくれればいいのになぁ、なんて思ったりもするわけです。

今まで学校空間でいじめとかが起こったときに、「AちゃんがBちゃんをボコッていた」みたいな露骨ないじめだと、先生が「ボコるのはやめなさい」というふうに言えるのだけれども、そこで発生している人間関係の秩序、上下関係みたいなところまではなかなか踏み込めずにいたところがある。これまでもいじめに対して、先生が実効的な形で介入するということは、やっぱり難しかったわけです。

しかし、むしろネットによって外部に漏れることによって、学校空間内部で対処をすることはできなくなったけれど、警察権力の介入とか、あるいは法的権力の介入とかと照らし合わせた形での具体的物証としては、より機能しやすくなった面がある。それが学校にとってハッピーなことなのかネガティブなことなのかはともかく、「ネット空間であるがゆえに対処がしにくい」という流言というのは、ちょっと留保しておいた方がいいのかなという状況がまずあるかと思います。