記事・レポート

研究者たちの往復書簡 ~未来像の更新~ 
科学社会学 × 人工知能

更新日 : 2021年01月19日 (火)

vol.1 AIは「わからない」を どうわかるんですか? 


感染症の拡大や気候変動など、世界が同時に同じ脅威に直面する今、領域を横断してダイナミックに議論し、新しい知性を紡ぎ出す力が求められています。かつて、リーダーや研究者たちは頻繁に文を送り合い、情報交換を行い、交流を深めてきました。
本シリーズ「研究者たちの往復書簡」では、アカデミーヒルズ発刊書籍『人は明日どう生きるのかー未来像の更新』をきっかけに、その著者たちが、分野を越えて意見や質問を取り交わします。


今回書簡を送り合うのは弘前大学人文社会科学部 准教授 日比野愛子さんと日本デジタルゲーム学会理事で人工知能の開発・研究に従事する三宅陽一郎さんです。新型コロナ感染症対策でも重視される感染症シミュレーションといったデータ予測が期待と違った結果を引き起こすのはなぜかなど、テクノロジーと社会との複雑な関係を解きほぐす科学社会学の領域から、日比野さんが三宅さんへ人工知能について問いかけます。
   


日比野愛子さんから
三宅陽一郎さんへの書簡
 
三宅陽一郎さま

こんにちは。日比野愛子です。ICF分科会「多理解世界を生きる」では、AIにかかわる面白い話題をいただきありがとうございました。「AIやビッグデータが世界を変える!」といった謳い文句を耳にするものの、何がどう変わるのかは、実はぼやけたままのように思います。その未来像が垣間見えたセッションでした。少し先の世界は、まるで新しい生物種が自由に動き回っているかのような動的な世界になるのかなと、三宅さんのお話を聞いてわくわくしました。他方で、私たちの社会の土台は意外と変わらないのではないかとも思ったり・・。もうすこし議論を掘り下げてみたい、質問をしてみたい、という思いを残しておりましたので、今回アカデミーヒルズさんから往復書簡の企画をご提案いただき、実現の運びとなったことを大変嬉しく思っております。どうぞよろしくお願いします。

まずはあらためて私の自己紹介をします。私は、昔から、新しいテクノロジーと社会の関係に興味を持っていたのですが、社会科学の立場でこの問題を考えておりました。より正確には、テクノロジーの変な顛末に興味がある、といった方がよいかもしれません。テクノロジーが開発される途中では「こういったことに使いたい」、「こういったことに使える」という何かしらの大まかな目的があるかと思います。しかし、実際に開発が進み、社会に導入されるプロセスで、テクノロジーはまったく異なる姿にもなりえます。当初のサイエンスやテクノロジーのねらいとしていた方向とは真逆の結果——たとえば武器転用といった望ましくない帰結も——を迎えることもあるでしょう。あるいは、知らず知らずのうちに、私たちの世界の仕組みや世界観自体が変わるのかもしれません。こうした変な顛末に向かう途中の過程について、実験室の秘書となったり、科学関係者に聞き取りを行ったりしながら、追っかけを続けています。グループ・ダイナミックス、科学社会学といった研究領域が、専門となります。
 実は、ずっとバイオテクノロジーや人工肉などのテーマを扱っていたので、AIと社会を考えてみようとなったのは、ここ数年です。正確には、感染症数理モデル・感染症シミュレーションがきっかけでした。シミュレーションを用いた予測は、政策上の意思決定に貢献できると期待されているものの、実際に活用されているかどうかは、どうやら国や分野によって違うようです。それはなぜなのか。現象の背後には、テクノロジーと社会との複雑な関係性があり、その複雑な関係性を丹念に解きほぐしていくのがグループ・ダイナミックスや科学社会学の強みだと考えています。

さてここからは、本題として、三宅さんの研究領域でとりわけ関心をひかれた側面を述べていきたいと思います。最初は、AIの身体にかかわる問題です。より具体的には、AIの発達にともない、AIの身体と人間の身体はそれぞれ今後どうなっていくのか、ということに興味がひかれました。
三宅さんの論稿、またICFの議論の中では、知能を、複数のレイヤーのうちの一つとして考えることが重要だと強調されています。すなわち、物理的な世界のレイヤー、身体のレイヤーがあり、その上のレイヤーとして知能があるわけですね。現在、多くのAIは世界との関係性を取り結ぶために必要な身体をもっておらず、したがって、問題を立てることができない。フレームを切り取ることができない。問題を立てられるAIが登場するには、AIがどのような身体を持つかがカギになる。そこでは、AIの身体がそもそも多様なのか、均一なのか、もカギになるというお話だったと理解しています。



印象的だったのは、AIが身体を持つときに、AIによるアートが形成される、というご指摘です。AIが過去のデータしか参照できないのであれば、これまでのアートのデータにもとづいた、アートらしきものしか生み出せないことになります。しかし身体が介在することで、新しい表現の形が登場する可能性があると知ることができました。また、その身体の差異によってAIの生み出すアートも異なるというお話もありましたね。火星探査ロボットのAI(のコミュニティ)、お掃除ロボットのAI(のコミュニティ)があれば、それぞれのAIコミュニティが展開するアートは異なるものとなるだろうとの思考実験、大変面白かったです。
これに関連してふと考えたことがあります。何をもってその個体(人)の固有性をなすのかの基本的なアイデンティティのあり方が、AIやビッグデータの普及の中で変わっていくのではないかということです。すでに変わりつつあるのかもしれません。これまでは、心はオリジナルで代替不可能、身体は物理的組成であり代替可能、といった価値づけが強かったかもしれません。けれども、データのあふれる世界においては、その二項の価値が逆転するのではないか。莫大なデータが遍在し共有される世界にあって、なにかオリジナルな内容を切り出すのはとても難しくなりました。人の行動や意識もデータとしてその波に取り込まれています。むしろ、個体のオリジナリティは、その身体でしか担保できなくなり、心身二元論が残るとしても身体の価値づけが上にくるような思想も強まってくるのでは、などとぼんやり考えています。これは本当に漠然とした所感ですが・・。また、これは心身二元論的な世界観を採用したままの話ですので、別の枠組みが必要なのかもしれません。

第二は、より私の研究領域・問題意識に近い問題です。「AIの環世界」が形成されるときに社会のカテゴリーは変化しうるのか、という問いを持ちました。知能の構成において、身体があるからこそ知能が発現できる。しかし、逆に身体は知能の制約ともなります。これとほかの制約として、社会的な文脈にAIが置かれた際には、データがAIを制約する問題が顕著になってくるのではないかと考えます。AIは、使えるデータをもとにして意味世界をつくっていく。そしてその意味世界の枠組みに則して、社会の中で新しいデータが用意される。このフィードバックループが三宅さんの説明される「AIの環世界」でした。このとき、データを用意するための物理的環境や、制度は、多くの場合国家という境界の中で整えられていきます。とするならば、そのフィードバックループの積み重ねによる環世界の形成によって、「国家」という(既存の)カテゴリーがどんどん強化される事態にもつながるでしょうか。このたびの新型コロナウィルス感染症をめぐり、フィードバックループの萌芽が生じていたようにも思います。国ごとのデータの整備状況が、予測シミュレーションの利用可能性につながり、さらにそれが翻って国全体の方針にもつながる。
とはいえ、AIとデータの議論では、都市というキーワードが登場することも多いです。何かしらの境界が強化されるとしても、それは、必ずしも「国」という境界にはならず、「都市」という境界になるのかもしれません。さらにその都市とは、特定の××市ではなく、都市的なものとしての何か新しい実体なのかもしれません。この点、あらためて三宅さんのご見解を聞いてみたいです。

最後は、AIの設計における「分からなさ」の取り扱いとなります。三宅さんの論稿を読み興味深かった一つは、対象を定義するという行為に、慎重な姿勢をとっていらっしゃることでした。たとえば「愛」の問題を議論されていた最後に、「現代に愛は何かという問い、それ自体が現代的」と感想を述べておられました。「超越的なもの、不可解なものを、わからないまま受け入れるという人間の力は、現代においては落ちているのではないか」とも。これは本当に賛同できる意見で、私たちは意味付与の過剰の中で生きており、それが、なにかしらの生きづらさや、社会の閉塞感にもつながっているのではないかと考えます。ただし、研究者という生業は、言葉による定義を当てることで、対象を理解するわけでもあります。AIの設計も、その核には、定義して扱える対象をどんどん広げていく志向性をともなっているのではないでしょうか。もしそうであるならば、定義の不可能性と定義の欲求とのジレンマを、AIの設計場面でどのように取り扱ってらっしゃるのかをおたずねしたいです。定義できないもの——たとえば愛——の居場所を考えるとき、AIは愛に立ち入らないようにもできます。あるいは、定義しつくしても結局分からない何かとして残るだろう、と、ある種楽観的に設計をしてみてもよいのかもしれません。

漠然とした質問ばかりとなってしまいそうですが、おたずねしたいことをまとめてみます。AIの発達にともない、AIの身体と人間の身体はそれぞれ今後どうなっていくのか?AIによって、社会というものの境界は変化しうるのか?AIの設計において「分からないもの」にどのような居場所を与えられるのか?お返事をお待ちしております。

日比野愛子   
       
 

 

 書籍『人は明日どう生きるのかー未来像の更新』 

都市とライフスタイルの未来を議論する国際会議「Innovative City Forum 2019(ICF)」における議論を、南條史生氏と森美術館、そして27名の登壇者と共に発刊した『人は明日どう生きるのかー未来像の更新』 。
「都市と建築の新陳代謝」「ライフスタイルと身体の拡張」「資本主義と幸福の変容」という3つのテーマで多彩な議論を収録したアカデミーヒルズ発刊の論集です。
 


 
ディスカッション (P.98~)より 【要約】
 三宅陽一郎


どうしたら人工知能(AI)と人間がお互い理解し合える世界が実現できるのか、三宅は哲学的アプローチで迫ります。現在開発されるAIは物理的世界を捉える「身体」をもっていないため、人間との間で相互に理解しあうことができません。世界構造、身体構造、知能構造という3つのレイヤーを共有することで可能となる人間同士の『相互理解』を、AIとの間に実現させるためには、AIによる「身体」の獲得がカギとなると語られています。
 

次回は、vol.2は 【三宅陽一郎さんから日比野愛子さんへの書簡】をお届けいたします。日比野さんの質問に、三宅さんはどのような書簡を返信するのでしょうか?
どうぞお楽しみに!

< 往復書簡の流れ >
vol.1   社会科学 → 人工知能 【 日比野さんからの書簡 】
vol.2 人工知能 → 社会科学 【 三宅さんからの書簡 】
vol.3 社会科学と人工知能の交差点




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プロフィール

日比野愛子(弘前大学人文社会科学部 准教授)
日比野愛子(弘前大学人文社会科学部 准教授)

京都大学総合人間学部卒業、京都大学大学院人間・環境学研究課博士課程修了、博士(人間・環境学)。現在、弘前大学人文社会科学部准教授。専門は社会心理学、科学社会学。主な著作に『萌芽する科学技術』(京都大学学術出版会、2009)、共著に『つながれない社会』(ナカニシヤ出版、2014)、『予測がつくる社会』(東京大学出版会、2019)など。


三宅陽一郎(日本デジタルゲーム学会理事)
三宅陽一郎(日本デジタルゲーム学会理事)

京都大学で数学を専攻、大阪大学(物理学修士)、東京大学工学系研究科博士課程(単位取得満期退学)。2004年よりデジタルゲームにおける人工知能の開発・研究に従事。立教大学大学院人工知能科学研究科特任教授、九州大学客員教授、東京大学客員研究員。IGDA日本ゲームAI専門部会設立(チェア)、日本デジタルゲーム学会理事、芸術科学会理事、人工知能学会理事・編集委員。連続セミナー「人工知能のための哲学塾」を主催。著書に『人工知能のための哲学塾』 『人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇』『人工知能のための哲学塾 未来社会篇』(ビー・エヌ・エヌ新社)、『人工知能の作り方』『ゲームAI技術入門』(技術評論社)、『なぜ人工知能は人と会話ができるのか』(マイナビ出版)、『<人工知能>と<人工知性>』(iCardbook)。共著に『絵でわかる人工知能』(SBクリエイティブ)、『高校生のための ゲームで考える人工知能』(筑摩書房)、『ゲーム情報学概論』(コロナ社)。監修に『最強囲碁AI アルファ碁 解体新書』(翔泳社)、『マンガでわかる人工知能』(池田書店)、『C++のためのAPIデザイン』(SBクリエイティブ)などがある。


人は明日どう生きるのか - 未来像の更新

南條史生 アカデミーヒルズ
NTT出版


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