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天上の舞 飛天の美
世界遺産・平等院鳳凰堂に秘められた美と感性

神居文彰住職が語る千年のストーリー

教養文化キャリア・人
更新日 : 2014年05月21日 (水)

第2章 鳳凰堂は何を表現しているのか?

神居文彰(かみい・もんしょう/平等院 住職)

 
平安の美と感性に触れる

神居文彰: 平等院は1052年(永承7年)に、藤原道長の子である関白・藤原頼通の手により開かれました。「平等」とは、仏の救済はみな平等であることを意味しています。鳳凰堂は翌1053年(天喜元年)に創建されています。つまり、お寺の開創されたあと、1年の歳月をかけて鳳凰堂を建てる大工事が行われたのです。

平安時代は平仮名・片仮名が生まれ、『枕草子』『源氏物語』などが編まれるなど、日本独自の文化が花開いた時代です。建築においても、大陸伝来の技術を応用し、日本の気候風土に合わせた様々な工夫が生み出されました。「和様・国風の完成型」と称される鳳凰堂には、平安時代に開花した日本ならではの美意識と、職人たちの卓越した技術がちりばめられています。

以前、瀬戸内寂聴さんとお話しした際、「源氏物語は平安王朝の美を描いていると言われていますが、当時のものをバーチャルではなく、リアルに感じられる場所は平等院だけです」とお伝えしました。まさにそのとおりなのです。

建物の一部が移築されたり、あるいは仏だけが博物館などに残っていたりする例はたくさんあります。鳳凰堂は、創建された場所にすべてのものが現存し、千年経ったいまも平安の美と感性に直接触れることができる、唯一無二の奇跡的な遺構です。現代を生きる私たちが鳳凰堂のなかを歩けば、千年前の人が感じたであろう音や風を、同じように感じることができるのです。

此岸と彼岸

神居文彰: シンメトリカルで、とても軽やかな姿をした鳳凰堂は、4つの建物により構成されています。阿字池越しに見た正面中央には、ご本尊である阿弥陀如来を拝した中堂があります。左右の建物は翼廊(よくろう)と言い、まさに鳳凰が翼を広げたような印象を受けます。中堂の背後に延びる尾廊(びろう)は、伸びやかな鳳凰の尾です。個が合わさることで、はじめて美しい鳳凰堂が完成する。1つで完成されていないことは、とても素敵なことだと思います。

また、人の顔をはじめ、実は微妙にシンメトリカルでないことが美しさを深めていますが、鳳凰堂も左右の伸びやかさに、汀(みぎわ)のデリケートな変化で美しさを引き立たせ奥行きをもたせているのです。

太陽は鳳凰堂の正面、つまり真東から昇り、背後にあたる真西に沈みます。完全に太陽が沈むと、周囲は漆黒の闇に包まれます。しかし、太陽が沈んだ直後、空が茜色から漆黒に変わるまでのわずかの間、空は透き通るように青くなります。青い衣をまとった鳳凰堂はとても優美で、荘厳さを感じる瞬間でもあります。

古くから「信じることは荘厳より起こる」と言われています。教会に行けば、不思議と心が凜とする。神社に行けば、自然と背筋が伸びる。場や空間のつくり方により、私たちが受け取るものは様々に変わります。それでは、鳳凰堂は何を伝えようとしているのでしょうか?

池が広がる鳳凰堂の正面は東、それは現世(此岸)にあたります。そして、太陽が沈む西側はやがて命が行くべき場所、すなわち極楽浄土(彼岸)です。『続本朝往生伝』という平安時代の本には、「極楽いぶかしくば、宇治の御寺をうやまえ」(極楽浄土を疑うのなら、平等院にお参りしなさい)と記されています。つまり、鳳凰堂とは私たちの命のあり方を指し示す場所なのです。

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