六本木ヒルズライブラリー
このような本が、六本木ライブラリーから生まれたことを誇りに思います。-「夜と霧」というかけがいのない書物の著者フランクルの生涯が、メンバーの翻訳によって日本語でも読めるようになりました。
『夜と霧』といえば、20世紀を生きた人びとに、後世に残していかねばならないという使命を思い起こさせる偉大な書物。「どんな絶望のさなかにあっても生きるということに価値を見出せる可能性があるのだ」、というメッセージが込められたこの本は、世界の人びとに生きる勇気を与えてきました。
その著書、ヴィクトール・フランクルの伝記である『人生があなたを待っている』の原著は、海外でも話題を呼びました。これを日本の私たちのために美しくてわかりやすい日本語に翻訳して下さったのは、赤坂桃子さん。六本木ライブラリーのメンバーです。本書の多くの部分をこのライブラリーで翻訳されたとか。新聞各紙の書評欄をはじめ、各所で話題になっているこの本について、赤坂さんご本人に語って頂きました。
-『夜と霧』という本のタイトルは知っていても、実際には読んだことはない、という人も多いかと思うのですが、この本の概略を教えていただけますか?
『夜と霧』は、ウィーン出身のユダヤ人精神科医ヴィクトール・フランクルが第二次世界大戦中にナチの手によって強制収容所に入れられたときの体験をつづった本です。それから今回翻訳した『人生があなたを待っている』は、アメリカの心理学者が7年間にわたって最晩年のフランクルとその夫人のエリーさんにインタビューしてまとめた夫妻の伝記です。
-中学生の頃に読んだ『夜と霧』は、あまりにも衝撃的でした。収録されているホロコーストにまつわる写真の数々にショックを受けて、読み進めなかったという友人もいます。この伝記を読むには、やはりまずフランクルの代表作の『夜と霧』や『死と愛』を読んでおいた方がいいでしょうか?
著作から入るか、伝記から入るか、それは人それぞれではないでしょうか。『夜と霧』も、池田香代子さんの新訳は、フランクルが新たに筆を加えた新版からの訳ですから、またちがった読み方ができるかもしれません。それと、強制収容所での苛酷な体験を通して知られるフランクルは、聖人君子のようなイメージでとらえられがちですが、この『人生はあなたを待っている』では、彼の人間的な側面がいきいきと描かれています。かなりきわどい話もありますし、なによりフランクルは実にユーモアにあふれる人物だったようです。
-これまでフランクルの著作の翻訳はありましたが、伝記はあまりなくて、その家庭生活についてはあまり知られていなかったようですね?
ええ。フランクルは夫人とともにそれこそ世界中を駆けめぐり、自分が創始したロゴセラピーという心理療法について講演を行いましたが、自分の家庭生活とユダヤ教の信仰については、けっして話題にしようとはしませんでした。個人的なことは、人前で話すべきではないというのが彼の信念だったようです。ですから、特に戦後の生活が描かれている第2巻には、これまで知られていなかった挿話がいくつもあって興味深いかもしれません。
-どのようなエピソードが印象に残っていらっしゃいますか?
この本に登場するフランクル夫妻は、ちゃめっ気たっぷりで、とても人間的です。気まぐれに台所に立って「実存主義者のシチュー」というわけのわからないごった煮をつくってエリー夫人を閉口させたり、2人の孫と楽しく遊んだり、意外なフランクルの側面に触れることができます。私は数年前にエリー夫人に直接お目にかかったことがありますが、お歳を召してもいたずらっ子のように表情が豊かにくるくると変化し、しかも温かい包容力が全身からあふれ出ていました。この本でもフランクルがジョークやダジャレを連発し、夫人が涙を流しながら大笑いする、といったほほえましい光景がよく出てきます。フランクルは、ユーモアというのは自分を突き放して眺める「自己距離化」の作用があると言っています。たとえ強制収容所のような場所においても、ユーモアのもつ意味は大きいわけです。それとフランクルが山岳会公認のガイドで、ロッククライミングをなによりも愛していたことも、あまり知られていませんよね。最後の登山は 80歳のときですが、その後は視力が低下してしまったため、山での思い出を大切にしながら暮らした、とあります。
-苦悩の人というイメージが強いフランクルが、そうした温かい家族に支えられていたなんて、意外であると同時になんだか嬉しくなりますね。
収容所からの生還後に再婚したエリー夫人の人柄も大きいのでしょう。映画『第三の男』のバックに流れるチターの演奏で有名なアントン・カラスはエリー夫人の親戚です。エリーがつとめていたポリクリニック病院には、「砂漠の狐」として知られるロンメル将軍がレントゲン写真を撮りに来たり、待合室で貧しい人びとの間に混じって座っているめだたない女性がヒトラーの妹だったり、といった話も出てきます。エリー夫人にかかると、こうした歴史上の有名人物も、あのハイデガーですら、すぐ隣にいるごく普通の——もしこういう表現が許されるなら——おじさん、おばさんです。そうした等身大の一面を知った上で、彼らの著作に再挑戦する、歴史を見直す、というアプローチもあっていいんじゃないでしょうか。私自身が、いま、それをやっている最中です。
-この本は、フランクル夫妻の愛の物語であり、フランクルの生涯とその背後にある歴史のうねりを知るための資料ともなり、ロゴセラピーの根本理念にも触れることができますし、いろいろな読み方ができますね。その中でも重要なメッセージというとなんでしょうか?
私の考えでは、「それでも人生にイエスという」ということでしょうか。これは戦後すぐに出たフランクルの講演集のタイトルでもあり、1977年に刊行された『夜と霧』新版の原題でもあります。どのような苦しい状況にあっても、収容所で両親や妻を失い、自分も生死の境をさまようような経験をしても、戦後にウィーンに戻ったフランクルは、「それでも」自分の人生には意味があるはずだと考えました。自分が人生の意味を探すのではなく、人生が私たち一人一人に、「いま、この瞬間の私」にしかできない課題を与えているのだ、というのがフランクルのメッセージです。強制収容所でも、自分を待っている人がいる、自分にはまだやらなければならない使命があるのだ、と信じることが、弱り切った人に生き抜く力を与えてくれました。どんな状況にあっても、最後の一瞬まで私たちは人生から「意味を搾り出す」ことができる、とフランクルは言っています。「搾り出す」の原語はsqueeze outなのですが、この表現が出てくると、いつも通っているライブラリーのカフェで、オレンジをギュッと圧縮してジュースを絞る、あの装置を思い出してしまうんですよ。
-この本の翻訳は、ほとんど六本木ライブラリーでなさったとうかがいましたが?
そうなんです。実務翻訳の仕事は、専門用語辞典など一式がそろっている自宅の仕事場ですることが多いですが、本の翻訳をするときは、電話などの外部からの雑音をすべてシャットアウトして集中できるので、ライブラリーがいいですね。それに人目があるから適度な緊張感もあり、翻訳に行き詰まっても家にいるときみたいにネットサーフィンに夢中になったりしないで一日のノルマがけっこうこなせます(笑)。それがよかったような気がします。
-本日は、いろいろと興味深いお話をどうもありがとうございました。
『夜と霧』は、ウィーン出身のユダヤ人精神科医ヴィクトール・フランクルが第二次世界大戦中にナチの手によって強制収容所に入れられたときの体験をつづった本です。それから今回翻訳した『人生があなたを待っている』は、アメリカの心理学者が7年間にわたって最晩年のフランクルとその夫人のエリーさんにインタビューしてまとめた夫妻の伝記です。
-中学生の頃に読んだ『夜と霧』は、あまりにも衝撃的でした。収録されているホロコーストにまつわる写真の数々にショックを受けて、読み進めなかったという友人もいます。この伝記を読むには、やはりまずフランクルの代表作の『夜と霧』や『死と愛』を読んでおいた方がいいでしょうか?
著作から入るか、伝記から入るか、それは人それぞれではないでしょうか。『夜と霧』も、池田香代子さんの新訳は、フランクルが新たに筆を加えた新版からの訳ですから、またちがった読み方ができるかもしれません。それと、強制収容所での苛酷な体験を通して知られるフランクルは、聖人君子のようなイメージでとらえられがちですが、この『人生はあなたを待っている』では、彼の人間的な側面がいきいきと描かれています。かなりきわどい話もありますし、なによりフランクルは実にユーモアにあふれる人物だったようです。
-これまでフランクルの著作の翻訳はありましたが、伝記はあまりなくて、その家庭生活についてはあまり知られていなかったようですね?
ええ。フランクルは夫人とともにそれこそ世界中を駆けめぐり、自分が創始したロゴセラピーという心理療法について講演を行いましたが、自分の家庭生活とユダヤ教の信仰については、けっして話題にしようとはしませんでした。個人的なことは、人前で話すべきではないというのが彼の信念だったようです。ですから、特に戦後の生活が描かれている第2巻には、これまで知られていなかった挿話がいくつもあって興味深いかもしれません。
-どのようなエピソードが印象に残っていらっしゃいますか?
この本に登場するフランクル夫妻は、ちゃめっ気たっぷりで、とても人間的です。気まぐれに台所に立って「実存主義者のシチュー」というわけのわからないごった煮をつくってエリー夫人を閉口させたり、2人の孫と楽しく遊んだり、意外なフランクルの側面に触れることができます。私は数年前にエリー夫人に直接お目にかかったことがありますが、お歳を召してもいたずらっ子のように表情が豊かにくるくると変化し、しかも温かい包容力が全身からあふれ出ていました。この本でもフランクルがジョークやダジャレを連発し、夫人が涙を流しながら大笑いする、といったほほえましい光景がよく出てきます。フランクルは、ユーモアというのは自分を突き放して眺める「自己距離化」の作用があると言っています。たとえ強制収容所のような場所においても、ユーモアのもつ意味は大きいわけです。それとフランクルが山岳会公認のガイドで、ロッククライミングをなによりも愛していたことも、あまり知られていませんよね。最後の登山は 80歳のときですが、その後は視力が低下してしまったため、山での思い出を大切にしながら暮らした、とあります。
-苦悩の人というイメージが強いフランクルが、そうした温かい家族に支えられていたなんて、意外であると同時になんだか嬉しくなりますね。
収容所からの生還後に再婚したエリー夫人の人柄も大きいのでしょう。映画『第三の男』のバックに流れるチターの演奏で有名なアントン・カラスはエリー夫人の親戚です。エリーがつとめていたポリクリニック病院には、「砂漠の狐」として知られるロンメル将軍がレントゲン写真を撮りに来たり、待合室で貧しい人びとの間に混じって座っているめだたない女性がヒトラーの妹だったり、といった話も出てきます。エリー夫人にかかると、こうした歴史上の有名人物も、あのハイデガーですら、すぐ隣にいるごく普通の——もしこういう表現が許されるなら——おじさん、おばさんです。そうした等身大の一面を知った上で、彼らの著作に再挑戦する、歴史を見直す、というアプローチもあっていいんじゃないでしょうか。私自身が、いま、それをやっている最中です。
-この本は、フランクル夫妻の愛の物語であり、フランクルの生涯とその背後にある歴史のうねりを知るための資料ともなり、ロゴセラピーの根本理念にも触れることができますし、いろいろな読み方ができますね。その中でも重要なメッセージというとなんでしょうか?
私の考えでは、「それでも人生にイエスという」ということでしょうか。これは戦後すぐに出たフランクルの講演集のタイトルでもあり、1977年に刊行された『夜と霧』新版の原題でもあります。どのような苦しい状況にあっても、収容所で両親や妻を失い、自分も生死の境をさまようような経験をしても、戦後にウィーンに戻ったフランクルは、「それでも」自分の人生には意味があるはずだと考えました。自分が人生の意味を探すのではなく、人生が私たち一人一人に、「いま、この瞬間の私」にしかできない課題を与えているのだ、というのがフランクルのメッセージです。強制収容所でも、自分を待っている人がいる、自分にはまだやらなければならない使命があるのだ、と信じることが、弱り切った人に生き抜く力を与えてくれました。どんな状況にあっても、最後の一瞬まで私たちは人生から「意味を搾り出す」ことができる、とフランクルは言っています。「搾り出す」の原語はsqueeze outなのですが、この表現が出てくると、いつも通っているライブラリーのカフェで、オレンジをギュッと圧縮してジュースを絞る、あの装置を思い出してしまうんですよ。
-この本の翻訳は、ほとんど六本木ライブラリーでなさったとうかがいましたが?
そうなんです。実務翻訳の仕事は、専門用語辞典など一式がそろっている自宅の仕事場ですることが多いですが、本の翻訳をするときは、電話などの外部からの雑音をすべてシャットアウトして集中できるので、ライブラリーがいいですね。それに人目があるから適度な緊張感もあり、翻訳に行き詰まっても家にいるときみたいにネットサーフィンに夢中になったりしないで一日のノルマがけっこうこなせます(笑)。それがよかったような気がします。
-本日は、いろいろと興味深いお話をどうもありがとうございました。
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