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イノベーターとしての人間・松下幸之助

~喧々諤々、「神様」ではない真の姿を追う~
『松下幸之助~きみならできる、必ずできる』

更新日 : 2018年12月19日 (水)

前編:~喧々諤々、「神様」ではない真の姿を追う~

2018年に創業100周年を迎えたパナソニック。創業者の松下幸之助は「経営の神様」と讃えられていますが、実は「神様」といわれることによって、むしろその素晴らしさが見えなくなっているのではないでしょうか。実際は、運命的な境遇の中で沢山の幸運に巡りあい、抗えない時代の荒波を乗り越え、様々な葛藤や苦難に立ち向かった人生でした。神様ではなく人間味溢れる「イノベーター」「マーケター」「モチベータ—」としての人生に、米倉誠一郎氏が松本晃氏と共に迫ります。また、竹中平蔵氏にモデレーターを務めていただき、松下幸之助の人間的魅力を多面的に分析します。

開催日:2018年11月22日(木)19:00~20:30
スピーカー:米倉誠一郎(日本元気塾塾長)
ゲストスピーカー:松本晃(RIZAPグループ(株) 代表取締役 / カルビー(株) シニアチェアマン)
モデレーター:竹中平蔵(アカデミーヒルズ理事長)

竹中平蔵(アカデミーヒルズ理事長/東洋大学教授/慶應義塾大学名誉教授)

逆境を受け入れる強さ
竹中:松下幸之助は、日本を代表する経営者で素晴らしい成果を上げた人物です。私も和歌山出身なので、僕らにとっては郷土の偉人、神様みたいな存在であり、田舎者に自信を持たせてくれてありがとうという感謝の気持ちがあります。しかし成果を上げる過程で結構失敗もしていますね。そして、失敗からの立ち上がり方に、彼のもう一つの人間的側面を感じられる気がしますが、米倉先生はどうお考えでしょうか?

米倉:今秋、私は松下幸之助をテーマにした本を執筆しました。なぜ彼の本を書こうと思ったかというと、本当に素晴らしい人に「神様」という洋服を着せたがために、すごく遠い存在になってしまっているのが残念だったからです。神様とか伝説みたいな捉え方をするのではなく、日本や世界を豊かにした優れたイノベーター、マーケターとしての側面を知って欲しいと思いました。そして、彼の実像は、とても人間臭いパッションを持った人だったんです。

彼が一番辛かった時期は戦後の経済人パージで追放になった頃でしょう。他の財閥同様に資産凍結や経営から退くことをGHQから求められました。財閥と全く違う企業グループだと訴えたのですが、受け入れられなかった。ベニヤで飛行機や軍艦を造っていたため、ターゲットにされてしまったんです。

竹中:飛行機の構造を知りたくて、分解しちゃったんですよね。素晴らしいパッションですね。

米倉:飛行機や優れた戦艦などを作る技術開発は、戦争協力だったと解釈されましたから、幸之助も戦争犯罪人だとみなされました。ただ、彼の人間性の素晴らしさを伝える逸話があります。当時、財閥の経営者たちは労働組合から「あいつを辞めさせろ」と多くの声を上げられましたが、幸之助だけは唯一、労働組合から「辞めさせないでくれ!」とGHQに嘆願されたんです。いずれにせよ、彼はここで一旦何も無くなってしまったので、自分自身を整理します。自分の中には何が残っていて、何ができるんだろうかと。立ち上がるための最善の道を探ったんでしょうね。

松本:経営者というのはいつも失敗と成功の繰り返しです。そこからどう乗り越えるかが大事なんです。自分自身は元々所詮貧乏だし、全てを失っても元はゼロだからどうでも良いと思う経営者もいるでしょう。しかし松下幸之助の場合は社員や世の中、お客さんに対する責任感が非常に強かったのだと思います。そこが他の経営者との違いでしょう。

私が以前いたカルビーも、創業者の松尾隆孝氏は1949年に会社を作ってから15年間何も成功しなかった。しかも途中で1回会社は潰れています。でもここまで大きくできた。これまでたくさんの創業者を見てきましたが、最初から上手くいった人はほとんどいません。結局は顧客や従業員、そしてその家族に対して責任を持っていて、それを絶対に果たしたいという強い思いがある人が結果を出すのでしょうね。そして、組織を率いて継続して結果を出し、その結果に対して逃げずに責任を取れる人がリーダーだと思います。

松本晃(RIZAPグループ株式会社代表取締役/カルビー株式会社シニアチェアマン)

竹中:幸之助は、貧乏で身体が弱く、学歴も無かった。そして騙されたり社会の変革に翻弄されたりすることもあった。それでも、全てを肥やしにできたのは、今の言葉で言うとレジリエンス、復元力が根底にあったからではないでしょうか。また、幸之助には時代が求めることを見通す力がしっかりあったとも感じますね。彼が電気の会社を作った1918年直後には、第一次世界大戦で景気がはげ落ち、1923年に関東大震災、1929年には株の大暴落も起こりました。苦しいからこそ、そして時代が変化するからこそイノベーションが起こるのであって、そのフィールドが彼にとっては電気だったのでしょうね。


マーケットに寄り添うイノベーター
米倉:イノベーションの柱は新しいものや新しい方法を作ること、そしてマーケットクリエーションなんですよ。1920年代当時は日本も電化の時代で、大正デモクラシーの中で大衆というマーケットが出現しはじめた時でした。アイロンを作る時も電化の波をしっかり捉え、“女性の学校の先生がブラウスにアイロンを毎日かけて出社する時に使える商品にする”というようなイマジネーションを働かせてペルソナを見事に確定していました。ネーミングセンスも抜群で、大衆の誰もが親近感を感じるよう、アイロンは「スーパーアイロン」、後のラジオには「当選号」、奥さんに楽させることに肯定的とはいえないご時世に、洗濯機に「愛妻号」という商品名を付けました。また、たくさん売るためにもできるだけ安く販売すべく、大量生産して単価コストを下げる工夫をしました。時代を読み、庶民は一体何を求めているのか、どんな生活をしたいと思っているのかを想像しながら事業を進めた、つまりマーケットに寄り添う力があったと思います。

竹中:マーケットに寄り添う力とおっしゃいましたが、彼には「世間は正しい」という名言がありますね。

松本:会社は、「顧客のために」と考えていると結局上手くいかないと思います。それはまだ他人事ですから。顧客のために、ではなくて、「顧客の立場」に立たないとダメなんですよ。お客さんが何に困っているのかを、お客さんの立場になって徹底的に突き詰める会社が成功するのだと思います。

竹中:顧客のため、と言うと上から目線ですよね。「顧客の立場で」が重要ですね。

米倉誠一郎(日本元気塾塾長/法政大学大学院教授/一橋大学イノベーション研究センター特任教授)

米倉:彼は顧客だけでなく従業員のこともしっかり考えていました。高賃金・高生産性を謳い、松下電器は日本の中で一番高い給料を払う会社だと自負していました。さらに、物やお金の豊かさだけではなく、時間や社会的な豊かさが求められていることも分かっていたので、週休2日制を日本で初めて導入しました。会社を事業部制にしたのも彼が最初です。事業部制にすることで人が育つと考えていました。対外的にも「松下は人をつくるところでございます。ついでに商品もつくっております」と言っていました。従業員に対しては叱り上手でも褒め上手でもあり、放っておけば歴史の中に消えていったであろう無数の無名の若者たちを、第一線で活躍させた点にも注目したいです。

竹中:幸之助が創設したPHP(Peace and Happiness through Prosperity:繁栄によって平和と幸福を)という組織がありますね。PHPの社長をやった江口さんという方が幸之助に、私の言うことだけ聞いているようなら、君はいなくて良いと言われて背筋が凍ったそうです。しかし君はよく頑張っているとも言われ、幸之助はよくこういう手のひら返しの取り込み方をしたそうです。今流のビジネススクールでは「エフェクティブコミュニケーション」と言うのでしょうね。従業員の気持ちを巧みにコントロールする、素晴らしいモチベーターだと思います。

<関連書籍>

松下幸之助 きみならできる、必ずできる

米倉誠一郎
ミネルヴァ書房

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