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日本元気塾セミナー「ホンダジェット、世界一の挑戦」

〜本田宗一郎の夢を実現した男〜

更新日 : 2019年03月18日 (月)

前編 ホンダジェットが拓く世界

鮮烈なワールドデビューを果たし、2017年には小型ビジネスジェット出荷台数で世界一を記録した「ホンダジェット」。クラス最高の性能に加え、比類のない美しさや乗り心地で「空飛ぶスポーツカー」と喩えられます。前編では、プロジェクトを率いた藤野道格氏が語られた開発の軌跡や革新技術、革新技術の発想方法などを要約。後編の米倉誠一郎塾長との対談では、本田宗一郎氏とのエピソードや、もの静かなジェントルマン、藤野氏の意外な一面も…。
満席の会場が、感動の涙と喝采に包まれた講演の記録をお届けします。

開催日:2018年7月4日 19:00〜20:30
ゲストスピーカー:藤野道格
(Honda Aircraft Company社長兼CEO/本田技研工業(株)常務執行役員)
モデレーター:米倉誠一郎
(日本元気塾塾長/法政大学教授/一橋大学イノベーション研究センター特任教授)
文:太田三津子 撮影:鰐部春雄

藤野道格(Honda Aircraft Company社長兼CEO/本田技研工業(株)常務執行役員)

クラス最高の性能と快適性を両立する
冒頭、ホンダジェットの鮮烈なプロモーションビデオが上映され、満席の会場が一気に熱を帯びるなか、藤野道格氏が登壇。最大巡航速度422 ノット (782km/h)、最大運用高度4万3,000フィート(13,106m)、航続距離1437ノーティカルマイル(2,661km)、燃費性能や上昇率においてもクラス最高というホンダジェットの性能と、それによって実現した様々なメリットについて具体的に語った。さらに性能だけでなく、広いキャビンや静かな乗り心地などの快適性にも言及した。

こうした圧倒的な性能と快適性の両立によって、2017年、ホンダジェットは小型ビジネスジェット機出荷台数で世界一となり、世界中の専門誌の表紙を飾った。学術面でも「主翼上面エンジン配置」などの革新技術が高く評価され、ケリー・ジョンソン賞など多くの賞を受賞している。


ホンダジェット普及の3つの戦略
藤野氏がホンダジェットに託した想いは「人々のライフスタイルを変えたい」ということだ。「皆さんも、ビジネスが忙しくて家族と過ごす時間がもてないという経験があるのではないでしょうか。時間とお金ができた頃には子どもたちは巣立っている。お金で「過去」は買い戻せません。忙しいビジネスマンにこそ、ビジネスジェットを利用していただきたい」。現在、ビジネスジェットの個人ユーザーはチャーター便が多いが、エアタクシーや共同所有、シェアリングサービスなども広げていきたいという。

もう一つのターゲットはCAT(社内運行便活用)だ。欧米の大企業の多くがビジネスジェットを所有している。GEの幹部によれば、ホンダジェットを使うことでプロダクティビティ(生産性)が4倍になったという。藤野氏はビジネスジェットの利用者を企業のCEOだけでなく、サプライチェーンのディレクターやマネジャーまで広げたいと考えている。

3番目はフィーダーズサービスである。2018年3月、ANAホールディングスと戦略的パートナーシップを提携。たとえば「東京からロサンジェルスまではエアラインを利用し、ロスからラスベガスなどの最終目的地まではホンダジェットを使う」というサービスが可能になる。「この便利さを知ったら不可逆的だろうと思います」(藤野氏)。



固定概念を覆す革新技術とその発想法
ホンダジェットは「革新技術の塊」と言われているが、その中でも従来の固定概念を覆し、学会で高い評価を受けたのが「主翼上面エンジン配置」だ。これによってキャビン内の振動や騒音も圧倒的に軽減された。

なぜ、こうした革新技術を発想できたのだろうか。
藤野氏は、第1に「固定概念からの脱却」を挙げる。成熟産業ほど既存技術を学ぶことが仕事になりがちであり、知識が増えれば増えるほど思考パターンが固定化しやすい。藤野氏自身もそうしたジレンマを感じ、「すべて捨て去って考えてみよう」と思ったという。

第2は「原典に戻る、原点に帰ること」。主翼上面エンジン配置のヒントを得たのは、ドイツの物理学者、ルートヴィヒ・プラントル(1875年〜1953年)の空気力学に関する古い講義録だった。「原典には最初に考えた人の凄みがある」という。

第3は「大局的なゴールや技術ビジョンをイメージすること」。それによってトラブルや壁に当たっても突き進んでいける。

藤野氏は「新しいものを創り出すとき、インスピレーション(直感的な閃き)はとても大事だ」という。ちなみにホンダジェットの美しい先端形状は、サルバトーレ・フェラガモのハイヒールからインスピレーションを得て生まれた。

また、自動車のインテリア設計のコンセプトを応用し、今までとは全く違う印象を与えるビジネスジェットを創り上げた。これまでの小型ジェット機のペインティングは白にストライプだったが、ホンダジェットは車のように色を選べる。航空機の専門家や社内から反対意見はあったが、専門家の意見と一般のユーザーの感性が必ずしも一致するとは限らない。

「こうした挑戦は、自分の感性を信じて思い切ってやらないとできません」。そして、感性を研ぎ澄ますためには「音楽や絵画、スポーツ、ファッション、歴史など、いろいろなものに興味を持つことです」と語る。


ホンダジェット開発の軌跡
ホンダジェット誕生の起点は、1997年、藤野氏がカレンダーの裏に描いた1枚のスケッチだった。主翼上面にエンジンを配置したスケッチである。その後、理論的な研究を重ねて実験機を制作。2003年12月、実験機のファーストフライトに成功した。実験機で膨大なテストを重ね、2005年、オシュコシュの航空ショー(実験機のための航空ショー)で鮮烈なワールドデビューを果たす。この時の反響が会社を動かし、2006年に事業化が決まり、Honda Aircraft Companyが設立された。

「ここからが本当の始まりでした」と藤野氏。商業機としてFAA(アメリカ連邦航空局)の型式認定を受けるためには想像を絶するような作業が必要だった。膨大な認定試験、3,000時間にわたるフライト試験を行ない、2010年、FAA認定用の機体の初飛行を行なった。「この2010年こそ、ホンダが名実ともに航空機メーカーに名を連ねたビッグマイルストーンです」。

現在、Honda Aircraft Company は、米国ノースカロライナ州に本社や研究センター、生産工場などを集約、40カ国約1,800人の社員を擁する企業となった。しかし、実験機のファーストフライトまで社員はわずか40人。これを可能にしたのは「フラットな組織とオープンな環境」「効率的なコミュニケーション(最小限の会議しかしない)」「現場で現物を観て判断する」、そして「リーンエンジニアリング」だった。

藤野氏はマネジメントについて「組織の規模や開発のフェーズによって最適なマネジメント手法を取らなくてはいけない」と言う。チームワークについても、「協調性を重んじる日本流では優秀な人材が辞めてしまう可能性が高い。自分の力を最大限発揮してチームに貢献することを求める米国のような、プロフェッショナルでプロアクティブなチームワークが必要ではないか」と語る。

また、航空機開発ではリーダーがすべてを把握し、一つの方針ですべてを決めて進めていくやり方をしないともっともいい飛行機はつくれないと言う。たとえば、ロッキード社の伝説的設計者、ケリー・ジョンソンは「J.C.ケリー」、つまり「ジーザス・クライスト・ケリー」と呼ばれていたそうだ。


すべての経験と出会いは「必然」だった
藤野氏は最後に、ひとつの出会いがいろいろな形でつながっていったエピソードを紹介し、「出会いは偶然のようですが、必然なのかもしれません」と語った。

2003年に実験機(技術実証機)のファーストフライトを終え、休暇をとって家族でバハマに行ったとき、偶然、朝食で隣り合わせた人がいた。この段階では事業化の計画はなかったが、その人はすでにホンダジェットの存在を知っていて「出たら絶対買うから一番に知らせてくれ」と言った。この言葉は心に響いた。「技術研究の総括として公開させてくれ」と会社に頼み込み、2005年、オシュコシュの航空ショー(実験機を対象にした航空ショー)で発表した。

タクシーウエイに入ってきたホンダジェットに数千人の航空ファンが集まった。そして、映画『十戒』のワンシーンのように人の海がふたつに分かれ、その中をホンダジェットが展示場へ進んできた。「それは鳥肌が立つような光景でした」(藤野氏)。人々は「素晴らしい」、「セクシーだ」、「こんな美しい機体を見たことがない」と熱狂。ショーの反響は本社にも伝わり、事業化が決まった。まさにバハマでの出会いが事業化へつながったのだ。

2015年のFAAの型式認定式にはマイケル・ウェルタFAA長官自ら「ぜひ、自分で渡したい」と来てくれた。型式認定にFAA長官が来ることは通常はありえない。しかし、彼は10年前のオシュコシュの航空ショーで、ホンダジェットに熱狂した群衆のひとりだったのだ。

ウェルタFAA長官は認定式のスピーチで以下のように語った。
「10年前、オシュコシュの航空ショーに行ったときは、ホンダジェットは〝実験機〟と言っていました。ものすごい数の人たちがホンダジェットを見るために集まってきていましたよね。今夜この瞬間、ホンダジェットを〝実験機〟と呼ぶのは終わりです。GO! FLY!! (さあ、飛び立とう!)」
……そう言って、ウォルタ長官が藤野道格氏に認定証を手渡した瞬間、2000人の観衆が一斉に立ち上がり、会場は興奮と喝采に包まれた。

藤野氏にはもう一つ忘れ難い思い出がある。2006年10月、NBAA(全米ビジネス航空協会)の展示会でホンダジェットの受注を開始したときのことだ。ホンダジェットを買う人々の行列ができ、それを見た知人が言った。「20年間NBAAに来ているが、ビジネスジェットを買うために並ぶなんて考えられない。パンケーキを売っているのか!」。その中にはバハマで出会った人もおり、本当に購入契約をしてくれた。受注開始初日、100機以上の購入契約が交わされた。



該当講座


ホンダジェット世界一の戦略
ホンダジェット世界一の戦略

藤野道格(Honda Aircraft Company社長兼CEO)×米倉誠一郎(日本元気塾塾長)
異業種から航空事業への参入に、数々の常識を打ち破るチャレンジをもって臨み、成功へと導いた藤野氏の戦略と行動力・突破力とはどのようなものなのでしょうか?藤野氏の戦略的価値創造に迫ります。


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