記事・レポート

鹿島茂の「近代文学を創り上げた編集力」

~あなたは文学をここまで読み解けますか?

更新日 : 2009年11月30日 (月)

第2章 文学はその社会を雄弁に語る

鹿島茂氏

鹿島茂: 僕は『パリの王様たち』という本を書いて、1800年前後生まれの3人の文豪を取り上げました。1799年生まれのオノレ・ド・バルザック、1802年生まれのアレクサンドル・デュマ、同じく1802年生まれのヴィクトル・ユーゴー。この人たちはナポレオンになろうとしたけれど、軍隊に道がなくなってしまった人たちです。そのとき、彼らの膨らんだ欲望を最も容易に満たせる道ということで文学が選ばれるわけです。

僕は、文学というものは欲望のエネルギー量から判断すべきではないかと思うのです。まず「名誉欲」、それから「金銭欲」、もう1つは「女性にモテたいという欲望」です。この欲望がどれほどすごいかは、『パリの王様たち』を読んでいただければわかるのですが、3人ともそれはものすごいのです。とにかく書いた量が3人とも半端じゃないのですが、基本的にすべて欲望の後押しでもって書いているわけです。

文学というものを共時的に見ると、非常に共通した、欲望の質もよく似た人間が出てくることがある。3人に共通しているのは、もちろんナポレオン崇拝というのもあるのですが、最終的な原因となるとその前から始まった人口爆発にいきつきます。

僕がこれまでやってきたことは、文学の表現、あるいは文学者というものをその社会の最も雄弁な表現形態の1つとして見るということです。そうすることによって今までの文学や文学史とは違うものが見えてきますし、逆に文学を読むことでその社会というものがすっきりわかる、そういうことができないかなと考えてやってきたのです。

ユーゴーは『レ・ミゼラブル』の中で、革命前夜の分析としてこんなことを書いています。「ここに1つのパイがあるとする。共産主義というのは、すでにあるパイをできる限り均等に分けようとする発想である。これは確かに平等であるけれども、永遠にパイの大きさは増えない。それに対し自由主義というのは、このパイをできる限り大きくしようとする。けれど分割にはあまり気を配らない、だからポーションのとり方が不均等になる。我々が目指さなければならないのはパイを大きくしつつ、それをできるだけ均等に近い、均等まではいかなくとも不平等にならないようにどうやって分割するかだ」。

これほどわかりやすい経済の図式はないと思いますが、ユーゴーは同時代のさまざまな思想を片端から読んで、この小説を書き上げたのです。

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