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日本元気塾セミナーリーダーの本質とは? そして、東京2020へ!

変革を成功に導く“独裁力”/川淵三郎×米倉誠一郎

更新日 : 2018年03月13日 (火)

第2章 解決できるのは僕しかいない!


日本バスケットボール界の危機


川淵三郎: バスケットボールのプロ化は、1990年代から日本バスケットボール協会(JBA)で検討されてきましたが、遅々として議論が進みませんでした。2005年、業を煮やした6チームが既存リーグを脱退し、地域密着型のプロリーグ「bjリーグ」を立ち上げます。残されたほうはbjリーグとの関係を断絶し、実業団チームとプロチームが混在するJBL(後にNBLと改称)を立ち上げます。こうした経緯により、登録者63万人を擁する日本のバスケットボール界は、トップを標榜する2つのリーグが存在する異常事態に陥ってしまいました。

国際バスケットボール連盟(FIBA)は、JBAに早期の解決を求めましたが、方向性や考え方の違いから議論は平行線のまま。するとFIBAは、「2014年10月末までに解決策を出さなければ、男子・女子・ユース年代まで含めた国際試合の出場資格を無期限停止とする」と通告したのです。

2014年4月、僕のもとに元・男子日本代表監督の小浜元孝さんが来られて、「リーグを統合してほしい」と依頼されました。僕も何とかしたいと思い、縁の下の力持ちとして議論をサポートしましたが、ここでもJBA、NBL、bjリーグそれぞれの意見がぶつかり合い、そのまま10月末の期限を迎え、国際試合の出場資格が剥脱されました。この時点で、リオデジャネイロ五輪予選は10カ月後に迫っていました。

2015年1月、僕はFIBAのパトリック・バウマン事務総長から「リーグ統合に向けたタスクフォースのチェアマンになってくれ」と依頼されました。制裁解除、五輪予選出場を実現するためには、同年6月までに組織改革を行い、リーグ統合と新たなプロリーグ構想を提示する必要がありました。

勝手知ったるサッカー界のプロ化には5年かかった。門外漢であるバスケットボールの問題は、足かけ20年以上も解決できなかったもの。それを5カ月足らずで解決しなければならない。普通に考えれば誰もが「不可能だ」と思うはず。しかし、僕は「解決できるのは僕しかいない!」と思い、バウマン事務総長にもそう伝えました。

自分の目で問題の本質を見極める



川淵三郎: 「何も知らない川淵に何ができるんだ!」などと散々言われました。たしかに、試合のルールや技術については全くの素人。しかし、それらは専門家が考えればいいことです。僕がやるべきは、問題の本質を見極め、変えるべきことを変え、成功への道筋をつけることです。僕は自ら動いて情報を集め、実際に試合も見に行くなどしながら、問題の本質を探りました。

「組織としてのガバナンスが全くなっていない」。バスケットボール界が抱える問題は、全てここに帰結すると気づきました。議論の拠り所となるビジョンを誰も示せず、何のために、何をやるのかも曖昧なまま、選手の頭越しに各者の利害だけがぶつかり合っていた。意思決定や財務などを含め、トップから草の根までの管理体制がバラバラで、組織としての体をなしていなかった。僕は、両リーグや各チームの代表者を集めた最初の会合で一喝しました。

「皆さんのダメなところは、自分達のことばかり考えて、選手やファンのこと、バスケットボールの未来を一切考えていないことだ! 僕はバスケットボールの素人だが、経営やガバナンスのことは誰よりも知っている。僕はこの2週間、寝る間も惜しんでバスケットボールのことを考えた。僕以上に考えたという人がいるなら、手を挙げてほしい!」。

真っ赤な顔でまくし立てる姿に圧倒されたのか、誰も手を挙げませんでした(笑)。

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川淵三郎氏が語る、リーダーの本質とは?そして、東京2020へ!
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川淵三郎(日本サッカー協会キャプテン)×米倉誠一郎(日本元気塾塾長)
「解決できるのは僕しかいない」
「国内に分裂している2つのバスケットボールリーグを統合してほしい」6か月以内に国内リーグを統合しなければ、リオ五輪予選への出場が認められないという逆境下で、2016年秋にプロバスケットボール新リーグ、B.LEAGUE開幕へと導いた川淵氏が発揮したリーダーシップとは?波乱の統合劇で川淵氏を突き動かした原動力について語って頂くとともに、2020年東京オリンピック・パラリンピックはどうあるべきか、そして次世代の人材を育成する指導者として、いま考えることについて迫ります。


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