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日本元気塾セミナーリーダーの本質とは? そして、東京2020へ!

変革を成功に導く“独裁力”/川淵三郎×米倉誠一郎

更新日 : 2018年03月13日 (火)

第1章 日本に「地域に根ざしたスポーツクラブ」を!

Jリーグ初代チェアマンとして、サッカーを国民的スポーツに押し上げた川淵三郎氏。2015年には、トップリーグの分裂・対立により「無期限の国際試合禁止」という制裁を受けた日本バスケットボール界において、組織の大改革とともにリーグ統合、新たなプロリーグ「B.LEAGUE」創設を主導しました。長年答えが見いだせなかった超難題を、わずか5カ月で解決に導いた類い希なるリーダーシップの秘密とは? そして、2020年東京五輪を控える今、求められるリーダーシップとは? 日本元気塾の米倉誠一郎塾長が迫ります。。

開催日:2017年12月12日 (火) 19:00〜20:30

ゲストスピーカー:川淵三郎 ((財)日本サッカー協会 キャプテン(名誉会長))
モデレーター:米倉誠一郎(日本元気塾塾長/法政大学大学院教授/一橋大学イノベーション研究センター特任教授)

気づきポイント

●私利私欲を超えた理念と信念を抱き、情熱を持って大きな夢を語る。それがリーダーの役割。
●理論武装を通じて「夢は実現できる」という根拠を示し続ければ、批判はやがて共感に変わる。
●協力者を選ぶときは、理念や想いを共有し、前だけを見て進んでくれる人を選ぶ。


川淵三郎 ((財)日本サッカー協会 キャプテン(名誉会長))


ドイツで目にしたスポーツの理想像

川淵三郎: 日本サッカーの一大転機は1960年、日本初の外国人コーチとして、当時の西ドイツからデッドマール・クラマーさんを招いたことにあります。

最新の戦略・戦術とともに、止める・蹴るなど基本プレーの重要性を徹底的に叩き込まれ、1964年の東京五輪ではベスト8、1968年のメキシコ五輪では銅メダルを獲得することができました。クラマーさんは優れた指導者・リーダーであり、人格者でもありました。彼は日本サッカーの大恩人であり、僕も選手としてだけでなく、人間としても大切なことをたくさん教わりました。

クラマーさんとは、僕も参加した日本代表の欧州遠征で初めて会いました。その中でドイツを訪れた時のことです。どの街にも青々とした芝生のグラウンドが広がり、横には体育館やクラブハウス、医務室、カフェなども整備され、子どもや大人だけでなく、老人や障がい者も様々なスポーツを楽しんでいました。地域の自治体や企業は、それを街のシンボルとしてサポートするなど、誰もが“おらが街のクラブ”を愛し、支えていたのです。僕は初めて「地域に根ざしたスポーツクラブ」を目の当たりにし、日本では絶対に真似できないと感じたものです。

1965年、クラマーさんの助言を受け、8つの実業団チームによる日本サッカーリーグ(JSL)が創設され、僕も古河電工の社員兼選手として“二足の草鞋”を履きつつ参加しました。最初の数年は銅メダル獲得の追い風を受けて注目を集めたものの、その後は日本代表が長い低迷期に突入し、世間の関心も一気に薄れていきました。1988年、こうした状況に危機感を抱いた日本サッカー協会(JFA)の有志によって活性化委員会が設置され、そこで出てきたのが「プロリーグの創設」でした。

人生の転機とプロリーグ創設



川淵三郎: この頃、僕はサッカー界から一切身を引き、営業部長としてバリバリ働いていました。ところが51歳の時、子会社への出向を命じられます。まさに青天の霹靂、目の前が真っ暗になりました。同じ頃、JFAから「総務主事にならないか」と声をかけられます。30年にわたるサラリーマン人生の先が見え、目標を失っていた僕は、サッカー界への復帰を決意しました。

JFAに戻り、プロリーグの話を聞いた時は「できるわけがない」と思いました。すでにプロ契約を結ぶ選手はいたものの、その数はごくわずか。JSLの試合ではスタンドで閑古鳥が鳴いていた当時、サッカーで飯が食えるとは到底思えなかったからです。しかしその後、アマチュアのままでは日本サッカーは強くならない、これは人生を懸けるに値する夢かもしれないと思い直し、腹を括りました。
「どうせやるのなら、地域に根ざしたスポーツクラブを全国津々浦々に作ってやろう!」。かつて見た光景を思い出し、プロリーグ創設を起点に日本サッカーの強化、スポーツ文化の振興や地域貢献、子ども達の健全育成などが、僕の中で一本の線としてつながりました。実現方法は全く分かりませんでしたが、ビジョンやゴールは最初から明確だったのです。

プロリーグ構想が表沙汰になると、マスコミから「アマチュアからプロに変わっても急に試合の質は上がらない」などと徹底的に批判されました。サッカー関係者からも「前例がない」「不可能」「成功するわけがない」「時期尚早」と言われました。変革や改革、特に前例のないことをやろうとすると、必ず反対や批判の声が挙がります。しかし、できないと言う人は、100年経ってもできないと言い続ける。できる方法を考えようとしないからです。

僕達はあらゆる問いを想定して“理論武装”し、一つひとつ具体的な根拠を示しながら答えていきました。その土台として、欧州のプロサッカーはもちろん、他のプロスポーツの情報を集め、組織運営、マーケティング、財務、法律などについても必死に勉強しました。何より、僕達には「地域に根ざしたスポーツクラブを作る」という揺るぎない理念・ビジョンがあり、それが必ず社会の役に立つという信念があった。自ら動いて情報収集したことで、成功への確信も得ていた。

だから、どれほど批判されても一切妥協することなく、自信を持って仲間と共に前進できたのです。「プロになれば、選手の心が変わり、プレーの質も上がる。面白い試合が増え、世界で戦えるようになる!」。僕はそう言い続けてきましたが、実際にそうなりました。

1993年5月、10クラブによって日本初のプロサッカーリーグ「Jリーグ」がスタートし、2017年には25年目を迎えました。この間、Jリーグのクラブは世界の大会で活躍するようになり、日本代表は次のロシア大会を含め、6大会連続でW杯出場。五輪の男子サッカーも6大会連続出場。サッカーの本場・欧州では多くの日本人選手が活躍しています。

現在、J1~J3のクラブは全国に54あり、将来のJリーグ入りを目指すものを含めれば、ほぼ全都道府県にクラブがあります。1万5,000人以上収容のサッカースタジアムは20以上、4万人以上収容のスタジアムは10以上あります。Jリーグの観客動員数は年間1千万人を超え、年間約10億円から始まった放映権料は現在、210億円になりました。Jリーグ創設を起点に、従来の日本では考えられなかったスピードで様々なことが実現しています。

僕には、サッカー界や企業で数十年間、ビジネスやマネジメントについて学んだ経験があり、それがJリーグ創設や初代チェアマン、JFA会長などの仕事につながりました。そして、これら全ての延長線上に、日本バスケットボール界の大改革とB.LEAGUE創設があったわけです。

該当講座


川淵三郎氏が語る、リーダーの本質とは?そして、東京2020へ!
川淵三郎氏が語る、リーダーの本質とは?そして、東京2020へ!

川淵三郎(日本サッカー協会キャプテン)×米倉誠一郎(日本元気塾塾長)
「解決できるのは僕しかいない」
「国内に分裂している2つのバスケットボールリーグを統合してほしい」6か月以内に国内リーグを統合しなければ、リオ五輪予選への出場が認められないという逆境下で、2016年秋にプロバスケットボール新リーグ、B.LEAGUE開幕へと導いた川淵氏が発揮したリーダーシップとは?波乱の統合劇で川淵氏を突き動かした原動力について語って頂くとともに、2020年東京オリンピック・パラリンピックはどうあるべきか、そして次世代の人材を育成する指導者として、いま考えることについて迫ります。


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