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MBA僧侶が編み出すコミュニケーションのカタチ

松本紹圭:目覚めの技術としての仏教

更新日 : 2013年03月28日 (木)

第7章 南無阿弥陀仏は「目覚めのトリガー」

松本紹圭(僧侶)

 
スティーブ・ジョブズが行っていた儀式

松本紹圭: スティーブ・ジョブズは、毎朝鏡を見てこう問いかけていたそうです。「もし今日が自分の人生最後の日だったとしたら、このままでいいのだろうか?」と。1日くらいは「No」という答えがあってもいいけれど、何日も「No」が続いたら「これはマズイ」と気づいて方向修正をしていたと伝えられています。

これは「目覚めのトリガー」と言っていいのではないでしょうか。「人生最後の日だったとしたら」とは、つまり死ぬことを意味していますよね。死と向き合うことで、目覚めを促しているわけです。自分というものに執着することで、実は自分自身を縛ってしまっている。そこから解放していくための儀式を、スティーブ・ジョブズは持っていたのだと思います。

目覚めの「南無阿弥陀仏」

松本紹圭: 私の場合、「目覚めのトリガー」は何かというと「南無阿弥陀仏」です。阿弥陀には、計り知れない光という意味があります。光は誰にでも降り注ぐので、光の下では自分も他人もあったものではありません。私もついつい自分というものに執着してしまうので、この「南無阿弥陀仏」という念仏とともにあることで、そのことをいつも自分に思い出させているわけです。

阿弥陀にはもう一つ、計り知れない寿命という意味もあります。皆さんも「平均寿命から考えると、あとこれくらい生きるかな」と計算したことがあるのではないでしょうか。そうやって一直線の時間を見ながら、自分が今どのあたりにいるのかを計っている。自分は一つの変わらない人間、ということを前提とした考え方です。しかし、よくよく考えてみると、私たちには過去も未来もなくて「今」と「ここ」しかありません。この瞬間瞬間に常にいるわけです。そのことを計り知れない寿命という意味で表しているのが「阿弥陀」です。時間軸を超えた呼びかけで、やはり、変わらない私という幻想から呼び起こしてくれるのです。これが私の「目覚めのトリガー」であり、仏教がずっと受け継いできた技術です。

「死」を考えれば、勇気や創造的な思考も生まれてくる

松本紹圭: それでは、現代人が目覚めたらどうなるのでしょうか。まず、勇気が出てきます。手の細胞が絶えず入れ替わるように、一瞬一瞬「死んで、生まれて」を繰り返していると考えれば「まっさらな気持ちで、新しいことに挑戦しようではないか」と思えてくる。転職や起業など、勇気がいることはたくさんありますけど、乗り越えていくための一つのモチベーションになってくれるはずです。当然、創造的な思考も生まれてくるのではないでしょうか。

親鸞聖人はこうおっしゃっています。「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなき」。この世のことはすべて空言・たわ言だという言葉です。いまほど、この言葉がしっくり来る時代はないのではないでしょうか? 社会の仕組みがいいかげんなのは、いまに始まったことではありませんが、特に3.11以降はあまりにも明るみに出てきました。しかし、そういった>いい加減な社会や「変わらない私」に、縛りつけられているのが自分自身の姿なのです。そのことに気付かず、本当に大切なものに目を向けずに、日々を過ごしてしまっているのはもったいないと思いませんか。

<了>

<気づきポイント>

●MBA(経営学修士)で学び、ビジネスの視点を、お寺の世界に取り入れる。
●お寺に来てもらう、人の流れをつくるために生み出したのが「お寺カフェ」。
●自身の可能性に目覚めるために必要なのは、南無阿弥陀仏というトリガー。