記事・レポート

円谷プロダクション × アカデミーヒルズ
現代ウルトラ怪獣考「我々は今なにと闘っているのか?」

更新日 : 2020年06月16日 (火)

第1章 中沢新一(思想家・人類学者)



円谷プロダクションとアカデミーヒルズによる共同連載企画『現代ウルトラ怪獣考「我々は今なにと戦っているのか?」』。第一回は TSUBURAYA・GALAXY にて「日本人とウルトラマン」を連載されている人類学者の中沢新一氏にお話を伺いました。 チベット仏教の思想研究から、日本の民俗学に至る幅広い見識を持ち、数多くの著作を発表されてきた中沢氏は、人類史に残る災禍をもたらしている新型コロナウイルスとウルトラマンの物語には驚くべき共通点がある、と語ります。現代の見えない怪獣とも言えるウイルスとどのように向き合い、生きていくのか。そのヒントはウルトラマンの「相手の弱さをも受け入れる強さ」にありました。

INTERVIEWEE:中沢新一(思想家・人類学者)
INTERVIEWER:大塩忠正(円谷プロダクション 執行役員)
TEXT:新八角


 

「目がない」怪獣と「見えない」新型コロナウイルス 

大塩忠正氏(以下、ーー):それでは早速ですが、正に今、コロナという状況を中沢先生がどう捉えてらっしゃるのか?という所からお話を伺えればと思います。

中沢新一氏(以下、中沢):僕は円谷プロの TSUBURAYA・GALAXY という Web 媒体で「日本人とウルトラマン」という連載をしている関係で、円谷プロの初期作品、つまり「ウルトラQ」「ウルトラマン」そして今は「ウルトラセブン」を細かく見ています。どれも大変面白い作品ですが、その中で日本人というものを考えると、大変深い内容を持っていることが分かってきました。とりわけ「怪獣とは何なのか?」、「ウルトラマンとは、どういう存在なのか?」という疑問に関連して、ウルトラマンが主題にしていたことと、今回の新型コロナの状況、世界中が巻き込まれている事態が、非常に重なり合ってるということに驚かされています。

特に「ウルトラQ」と「ウルトラマン」は、なぜ怪獣=新型コロナウイルスが流行し始めたのか、という災禍発生のプロセスに深く関わっているように思いますし、「ウルトラセブン」は、未知の宇宙人=ウイルスに人類はどう対処すべきか、という関係性のあり方に深く関わっているように思います。

そもそも新型コロナウイルスというのは、例えばアフリカから出た「エボラ出血熱」や「AIDS(エイズ)」、或いは「SARS(サーズ)」、「MERS(マーズ)」と同じように野生のアカゲザルやコウモリの体内で長い間寄生していたウイルスの一つです。我々人間の中にいる無数のウイルスが、害毒をなすわけではなくバランスを取り共生しているのと同様に、ずっと森の中にいた動物たち の体内に居て、共生していたわけです。しかし、自然開発や森林伐採によって、アカゲザルもコウモリも段々と行き場所を失っていき、人間の世界に近づいてしまった。その結果として、ウイルスが人間の中に寄生するようになり、パンデミックとなったわけで す。

『ウルトラQ』に登場するゴメスとリトラ。ゴメスは地底で眠っていたがトンネル開発工事によって目覚めた
 

一方、「ウルトラマンの怪獣は何故出現するのか?」ということを考えると、それは1960年代の日本人がかなりビビットに感じていた「自然と人間の関係の変化」が大きなきっかけになっています。例えば、当時の列島改造によって、ニュータウンの建設などによる土地開発が進み、つぎつぎと公害問題なども出て来た時代です。そこで「ウルトラQ」や「ウルトラマン」が主題にしていたことは、人間が自然の中へ開発の手を伸ばし過ぎた結果、今まで自然の奥の方で眠っていた怪獣を呼び覚ましてしまう、というものでした。ウルトラマン自身は毎回この怪獣と戦い、倒すことになるものの、この怪獣達は決して悪者ではありません。言わば「自然の化身」のようなものなのです。その奥に隠れていた自然性の象徴が開発によって引っ張り出され、心ならずも大きな図体を持っているために、人間が築いた文明を破壊し始めた。「これをどのようにして抑えたらいいか?」ということが、ウルトラマンの大きなテーマになっていたのです。こうして俯瞰してみると、全く構造が同じだということが分かります。なぜ怪獣が現れ人間の世界を襲撃するに至ったのか、という問題と、森の奥でひっそり暮らしていたウイルスが人間による森林開発の結果人間に感染しパンデミックをひきおこしているという問題が、全く同じ構造になっているのです。

「ウルトラセブン」と新型コロナウイルスは深い関係をもっています。ウルトラセブンでは、それまでの怪獣とは異なり、〇〇星人と呼ばれる「宇宙人」が提示する問題がメインテーマになってきます。この宇宙人たちの多くは、人間社会の盲点をつき“見えない存在”として入り込んでくるのですが、その結果、あたかも不可視の何かが人間を殺したり病気にしたりするように見えるのです。ウルトラセブンの作品を見ていて気が付いたことは、シリーズ初期の宇宙人たちに「目が無い」ということでした。例えば「ただの植物の葉っぱ」であったり、「真っ黒い霧のようなもの」であったり、目というものが無かったのです。途中からは目も登場してくるのですが、目の問題は終始強く意識されていて、いわば相手がどういう存在なのか分からない不気味さを上手く表現していました。このことはコミュニケーションの不可能性を示しています。つまり、人間とは全く異質な、コミュニケーション不能な存在が、人間には見えないまま隙間に侵入して来て、人間を襲撃してくるという恐怖です。そういうものと人間がどう戦っていくか、ということがウルトラセブンの大きい主題になっていたわけです。このテーマはまさに、アフターコロナの時代において、人類が直面する主題の一つとなるでしょう。このように考えてみますと「ウルトラQ」、「ウルトラマン」が新型コロナウイルスの発生の物語を語っているとするならば、「ウルトラセブン」は、ウイルスと人間との関係性のあり方を語っているということになるでしょう。「ウルトラシリーズ」は1960年代に作られたわけですが、今もって鮮烈な現代性を持っている、ということが改めて分かります。

『ウルトラセブン』に登場するワイアール星人。目の存在感がない植物宇宙人
 

グローバリズムが変容させたパンデミック:新型コロナの現代性
 
ーーなるほど、地底や海底で眠っていた古代怪獣を人類が目覚めさせてしまったというウルトラマンのモチーフと、何千年も森の動物の中に潜んでいたウイルスが人類に感染してしまったというモチーフは非常に重なりますし、その問題(ウイルス感染)が人類史的にみれば昔から何度も繰り返されてきた普遍的な主題なのだ、ということが理解できました。しかしもう一方で、今回の新型コロナならではの現代的な問題がいろいろ露呈しているようにも思われます。ウイルス感染という昔から人類と自然との間に起きている疫学的な現象に加えて、現代だからこそ起きている現象やその要因についてどうお考えでしょうか。

中沢:昔、人間は村に住んでいましたが、そのような所にウイルスが発生した場合、村が全滅してしまうと伝染は止まりました。しかし、のちに都市というものが中近東のメソポタミアなどで生まれた結果、感染症が蔓延するきっかけを作ってしまった。というのも、都市には人が密集して、住む処(または住居)自体がアパートメントという密な環境になっている。そこで感染症は初めてパンデミックになるのです。

とはいえ、SARS(サーズ)や MERS(マーズ)といったパンデミックでは、韓国では大流行したものの日本では流行しなかったように、ある種の局所性がありました。ところが今回はそうではなかった。これは最初から様々な人が予測していたことですが、「今の状態が続いていくと、大規模なパンデミックが起こる」と。何がその引き金を引いたかといえば、グローバリズムです。このグローバリズムが今回の新型コロナの現代性を性格付ける大きな要因と言えるでしょう。

そもそも、グローバリズムの最初は米国や日本の多国籍企業が、世界中にサプライチェーンを建設していったことにあります。これに対抗する為にヨーロッパはEUを作りました。EUという、いわば連邦共和国みたいなものを作って、相互の行き来を自由にし、その中で生産を行ったり、組み立てを行ったりするシステムを構築しようとしていた。そこへ目覚ましい速度で中国が参入し、短期間のうちにサプライチェーンの部分的存在ではなくまさに生産の中心地に変貌していきました。アメリカは中国をグローバリズムの中に組み込み、巨大な消費地、巨大な生産地として利用することで大変なメリットを得ました。日本も様々な恩恵を受けたわけですが、結果的には、地球全体が、一つのネットワークで覆われるようになってしまった。

そのネットワークのもとでは、至る所で高速鉄道が走っており、航空機は絶え間なく動いています。インターネットはどのような地域にも完備していて、人間の動きも速くなり、労働者の移動も活発です。ヨーロッパは国境をなくして、自由な往来を可能にしたために、東ヨーロッパから西ヨーロッパへ大量の労働者が入っていった。暫くすると中近東からも沢山の労働者が移動してくるようになりました。さらには「観光」です。お金を持った庶民達が、観光という喜びを手にして、世界中を旅するようになった。人間と物とお金の流通というものが驚くべき速度で進むようになったのです。


『ウルトラマン』に登場するゴモラ。
南太平洋の島に生息していたが「大阪万博の見せ物にするため」人類に捕獲され移送された


こういった諸々の変化の結果として、今回のパンデミックは、それ以前とはレベルが異なるものとなった。今や、色んな国や地域を結ぶ、血管みたいなものが完備されてしまったわけです。したがって、新型コロナウイルスのパンデミックは、これからの世界で繰り返し起こってくるであろういわば「パンデミック時代」の第一号だと言えるでしょう。おそらく、今後新型コロナウイルスはどんどん遺伝子変化をしていくでしょうが、そうすると見えない怪獣のように、まさにウルトラセブンにおける宇宙人のように、常にウイルスが地球上の隙間にいることになる。もしも、これから経済活動を再開していくことになれば、ウイルスもまた再び動き出します。航空機が動き出し、鉄道が動き出せば、パンデミックは確実に、何回も何回も起こってくることになるのです。

 

くっつき過ぎた世界を見直す時代へ:新しい日常が意味するもの
ーーグローバリズムというテーマを介することで、今回のパンデミックの現代性が浮き彫りになる、というご指摘はなるほどと思いました。昨今の行き過ぎたようにも思われるグローバリズムに対して「どうなんだろう?」と感じていた人たちもいると思うのですが、それに対する自然の側からの回答として今回のコロナがあるとも受け取れるのかなと。そういった意味では、中沢先生が先程仰られたように、今の状況は完全に元に戻るということはなく、この先も続いていくのでしょうか。世の中ではニューノーマルであるとか、「日常が変わる」といったことが言われていますが果たしてどうなのでしょうか。

中沢:この事態は続くと思います。一言で言うと「人類はくっつき過ぎた」のです。隙間が無くなり過ぎてしまった。国と国、民族と民族、地域と地域が、ソーシャルネットワーク、交通網、それから人的移動といったもので凝縮してしまったわけです。それゆえ、今度は「ディスタンス」というものが大きな主題になります。どんな物でも、「適度に離さないといけない」、「隙間を作らなければならない」。これは単に病気を防ぐための話にとどまりません。世界の在り方にとっても、これからはディスタンスというものが大事になってくる。

その最初の契機なのではないでしょうか。たとえば、ヨーロッパはEUで非常に凝縮してしまい、通貨をユーロに変えて国々を一つにした結果、今や反対に離れなければいけない事態になっています。今までは「人間みんな一つになろう」であるとか「グローバルに繋がろう」などということがしきりに言われていたわけですが、民族や文化の違い、つまりは多様性が世界を作っていくということ自体が、もう一度見直される時代になってくるだろうと思います。だからこそ、グローバリズムをさらに変えていく為には、今のディスタンスという思想が、大変重要なのではないでしょうか。

ーーなるほど、新型コロナウイルスが要請するディスタンスの思想が、グローバリズムの影で隠れて見えなくなってしまっていた価値(民族ごとの文化の違いなど)の重要性にもう一度光を当てると。確かに各国のコロナへの対応が国ごとに特徴的で、改めて“国民性の違い”が今の時代にも明確に存在することを多くの人たちが再認識したように思います。


中沢:ウルトラマンにおいても、「科学特捜隊」や「ウルトラ警備隊」という組織は、国連のような国際組織に属する日本支部として活動していますよね。しかし、科特隊の場合、大抵パリから来る指令に対し、あまり従おうとしない。他の国も災難にあっているはずなのに、ウルトラマンもウルトラセブンも助けにいかないのです。ここには既に、ディスタンスという思想に基づく世界関係があるようにも見えます。

 
ウルトラマンの「“弱さ”をも受け入れる強さ」こそが日本の戦略
ーー日本がコロナに対して、また世界に対して取るスタンスということで言えば、中沢先生に連載していただいている「日本人とウルトラマン」に引き付けますと、日本人特有の国民性が、今回のコロナで浮き彫りになってしまったところがあると思うのですが。

中沢:なんと言いますか、果断な決断、果断な行動というものは一切出来ない国民性なのだというのがよく分かったように思います。「電車乗らないで下さい」、「集まらないで下さい」とは言うものの、それ以上強いことは言えない。或いは言わないわけです。しかし、庶民はきちんと危機に対応しています。こういった日本人らしさは面白い国民性だと思いました。

実は、アメリカなどの怪獣物と、日本の怪獣物、特にウルトラマンを比較してみると、その特質が分かります。アメリカ人にとって、怪獣というものは完全に敵です。他者であり、恐ろしい相手なのです。これを打ち倒すために人間の知力を注ぐわけですが、ウルトラマンの場合はそうではありません。「憎しみを持って敵と戦い殲滅する」「白黒つける」というのではない、プロレスのようなやり方をします。2人で組んずほぐれつとなり、お相撲、レスリングをして戦うのです。最後はやはりウルトラマンが勝つけれど、怪獣の方にも感情移入してしまうような戦い方です。なぜそのようなことになるのかと言えば、この自然の中から出て来た怪獣は、もしかしたら自分の分身かも知れない、自分の一部分がこの怪獣かも知れない、という思いがあるからです。しかし、人間という存在が合理的にまっすぐ歩いていくためには、そういうものを全部切り捨てなければいけません。弱いものとの繋がりであるとか、かつては自分の一部でありながら古くなってしまったものとの繋がりであるとか、そういったものを切り捨てて、前へ、合理的に歩いていかなければならないのです。

中国は文化大革命以降にそういう道を歩むようになりましたし、欧米はもっと昔からその道を歩いていました。ところが、日本人だけが相変わらず足を引っ張られている。合理性の観点からは、本来“弱さ”として切り捨てるべき部分も自らの内に受け入れたまま、我々は精神形成を行ってきたのです。そして、今回、そのようなやり方がコロナに対しては非常に有効である、ということが証明されたように思います。明確な基準や厳格な隔離などできず、いい加減に、「ひょっとしたらコロナも仲間かも知れない」、「自分の一部かも知れない」ぐらいのことを考えていた日本人が、なんとなく上手くやってしまったわけです。

『ウルトラマン』に登場するグビラ。深海に棲み海底資源開発のために作られた「海底センター」を襲う
 

ーーつまり、ウルトラマンは相手の“弱さ”をも受け入れる強さをもった日本のヒーローである、と。日本人がなかなか物事を合理的に割り切って真っ直ぐ進めず、ともすればいい加減にみえてしまう部分にも、実は良い部分があるのかもしれませんね。アフターコロナという観点で言えば、コロナと戦い殲滅するのではなく、日本人のいい加減さ=相手を受け入れる強さによって、「共に生きてしまう」というような戦略があるのではないかと。

中沢:そうですね。新型コロナの一件を通じて、今後この世界に現れてくる様々な怪獣、宇宙人、すなわち脅威との戦い方を、日本人は少し学んだのではないでしょうか。「真正面から本気で戦ってはいけない」、「入り口を締め切らず、少しだらしなく開けておいてもいい」と。このような考え方こそが、日本人独特のやり方で有効なのかもしれませんし、これから掘り下げていくべき視点なのかもしれません。今回、新型コロナウイルスを相手にしたように、四角定規に締め切らず、柔軟に現状を受け入れ、しかし完全に相手の言うままにはならず生き延びていく。そういったやり方で我々はこのコロナ後の世界、つまり中国が巨大化してくるであろう世界と、戦っていくのだと思います。

プロフィール

中沢新一
中沢新一

山梨県出身。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。思想家・人類学者。現在、明治大学野生の科学研究所所長。 チベットで仏教を学び、帰国後、人類の思考全域を視野にいれた研究分野(精神の考古学)を構想・開拓する。中央大学教授、多摩美術大学芸術人類学研究所所長を経て、現在明治大学野生の科学研究所所長。著書に『チベットのモーツァルト』(サントリー学芸賞)、『森のバロック』(読売文学賞)、『哲学の東北』(斎藤緑雨賞)、『フィロソフィア・ヤポニカ』(伊藤整文学賞)、『カイエ・ソバージュ』全5巻(『対称性人類学』で小林秀雄賞)、『緑の資本論』、『精霊の王』、『アースダイバー』(桑原武夫学芸賞)、『芸術人類学』、『野生の科学』、『日本文学の大地』など多数。近著に『熊楠の星の時間』、『俳句の海の潜る』(小澤實との共著)がある。これまでの研究業績が評価され、2016年5月に第26回南方熊楠賞(人文の部)を受賞。


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