記事・レポート

アートは新しい資本主義を作ることができるのか?
~サステナブル・キャピタリズムの可能性~

更新日 : 2023年05月23日 (火)



アカデミーヒルズのライブラリーが主催する本イベントでは、アートを通じて資本主義の先を見据えるアーティスト・長坂真護氏、アートと資本主義の関係を考察されてきた社会学者・毛利嘉孝氏をお招きし、「アートは新しい資本主義を作ることができるのか?サステナブル・キャピタリズムの可能性」というテーマで、お話しいただきました。モデレーターは、スイスのビジネススクール・IMDの北東アジア代表を務める高津尚志氏です。現代社会の歪みと向き合い、アートに変えていく長坂氏の作品から、資本主義の本質、そしてその可能性に至るまで、対談は多岐にわたりました。


開催日時:2023年3月2日
登壇者:長坂真護(美術家)
毛利嘉孝(社会学者)
高津尚志(IMD北東アジア代表)
資本主義の真実を映す「アグボグブロシー」
高津:今日は「アートは新しい資本主義を作ることができるのか?」というテーマで話をしていきたいと思います。最初に長坂さんから、いくつかご自身の絵をご紹介いただけますか?

長坂:これは去年、「上野の森ミュージアム」の展覧会で、最後の出口に飾った《Proud of Ghana》(2022年)という作品です。スラムで生きる女の子の眼差しに、彼女の強さを込めています。これは「真実の湖」というシリーズの一作なのですが、「真実の湖」というタイトルは、題材となっているガーナのスラム街「アグボグブロシー」が元々湖だったことからきています。そこは、世界中の電子機器が捨てられ、ガーナの人々が有毒ガスを吸いながらゴミを焼き、売り物になる銅や金を探している廃棄場。実は、そこが湿地帯で、土をかき分けると水が出てくるのです。そんな水にこそ資本主義の中の真実があるのではないか。その湖は先進国と貧困国の接地点みたいなものになっているのではないか。そういった考えのもとに作った作品です。

毛利:長坂さんの作品に共通しているのは、ハイテクの残骸みたいなものがよく使われていることですよね。アフリカというと、普通は自然があったり、時代的に言うと昔の物があったりして、現代に取り残されているというイメージなのですが、実際はそうではない。現代の物、或いは未来を思わせるものの残骸がそこにはあって、その不思議な時間感覚が表現されていると思います。

長坂:時空のねじれはありますね。時空というものは地球上で1日24時間流れているものだと思いがちですが、それは全くの間違いです。例えば、石油エネルギーであったり、高エネルギー物質を使って、僕らは飛行機でアフリカまで行くわけですよね。これは時空を超える行為だと僕は考えています。普通の時間の流れを生きていたら、経験できないこと、得られない情報を手に入れてしまっている。これを積み重ねることで、僕らは——本当に大嫌いな言葉なのですが——先進国という「先に進んだ国」にいるのです。アグボグブロシーに来て、廃棄される電子機器のゴミは、そのようにして「先に進んだ」ものです。一方で、アフリカにはバスに乗って何時間か行けばサバンナやサファリがありますし、アグボグブロシーは全てが中古で出来た町です。何十年前の車が走っていたり、一台のブラウン管テレビを50人ぐらいが個室で見ている。全部がボロボロで、新品の物は一切ありません。そう言った意味で、確かに様々な時間が一緒になっていると言えるかもしれません。
思想、社会活動としてのアートの時代
高津:毛利さんはご著書などで、アートが変容してきている、と主張されています。どういうことでしょうか?

毛利:二つのことが指摘できると思っています。一つは、今アートが哲学や思想に近い役割を果たすようになってきているということです。20世紀までは、基本的に哲学や思想はテキストとして書かれていました。カントやヘーゲルのような我々の知っている哲学は書籍として読まれていますね。しかし、21世紀になると、活字が中心となり多言語が視覚言語に代わってきています。アーティスト自身がますますかつての哲学者のようになってきている。皆、作品だけではなくその背後にある「世界」のあり方を見るようになっているのです。
二つ目は、物質的な形を取るアートが減ってきているということです。コミュニケーションや社会的な関係など、最近の流行の言葉で言うとソーシャリー・エンゲイジド・アートなど社会に関係する芸術が増加しています。もともとグラフィティ作品で知られるアーティスト、バンクシーも最近はそういう傾向にある。
最近の作品に地中海で難民を助ける船のプロジェクトがあります。海を渡ってアフリカからヨーロッパに行こうとする移民や難民を救うための船を作って、それで人命救助する。今、この二十年ぐらいで、アートはそういった形の社会的な形式を取るようにになってきています。

高津:長坂さん、今の毛利さんのコメントについて、お考えは?

長坂:僕は美大も出ていない、本当にアウトサイダーなアーティストで、行動から得た情報だけの視野でしかないのですが、現代性のあるアートについては、全く同じ事を思っています。つまり、僕はソーシャルインパクトと呼んでいるのですが、なぜ僕の絵が高額で売れるのか、これは社会的なインパクトが強いからです。僕にとってアートというのは、精神を無理やりビジュアライズしているだけのものです。自分の持っている哲学や精神を無理やり形に留めているだけ。僕はガーナの人たちと出会って、資本主義の闇を知りました。ある意味、「マイナス」の世界を見て、それをそのまま形にしただけだとも言える。これを飛行機に乗って、先進国で発表する。この移動によって、ソーシャルインパクトが生まれます。これはまさに「相対性理論」ですよ。僕の絵に1500万円の値が付いたのは、マイナス1500万円のエネルギーが、場所を変えることによってプラスに転じたからなのです。

高津:これはとてつもない皮肉ですよね。富裕国と貧困国、このギャップが大きければ大きいほど、価格や価値が高くなるわけですから。しかし、長坂さんは、この状況を続けたいわけではありませんよね?

長坂:そうです。先ほど、嫌いだと言った「先進国」という言葉。反対に「後進国」という言い方もしますが、大嫌いな言葉です。後ろに進む国なんて差別用語でしょう。だから僕らはマゴモーターズという会社をガーナで創業しました。雇用を生み出し、先進的なテクノロジーを投与することで、そのギャップを中和したいのです。ギャップからお金を生み出して、それを投与して、リッチでもプアーでも先進的でも後進的でもない真ん中を作る。ここに平和があります。そういう社会を作らなければならないのです。

長坂真護さん
わかりやすいイメージで、わかりにくい社会運動をする
毛利:もちろんこの話を聞いて「それって相対性理論なの?」と突っ込む人が居るかもしれないけれど、むしろ、これを「相対性理論」と名付ける行為自体ががアートだなと思います。「相対性理論」と言った瞬間に、豊かなイメージが湧いてくる。長坂さんの作品自体もそうですが、パッと見せる事で、モヤモヤとしているものが非常にクリアなイメージをもって表れる印象を受けます。おそらく、これがアート作品を作るということなのではないかと。

長坂:アートとは何かという問いに対しての僕なりの観点ですが、今、世界は精神性や哲学や思想といった、見えないものをビジュアライズしてくれる人たちを求めていると思います。いわば、新しいイデオロギーの創造がしたい。新しい資本主義なのか、その先の本当に新しい概念なのか、これをみんな知りたい。だから僕は資本主義とはこういうものですよ、と言い切ります。この世界がどれほど矛盾の中で生産、消費、社会活動を行っているか、見えるようにしているわけです。ただ、僕はこんなに分かりやすい芸術家を見た事が無いと言われますが、1つだけ誰よりも分かりにくいことを提案しています。それは何かというと、現代社会で誰一人、どんなに大きな団体でもスラムを無くした事がないのに、スラムを無くす構造が出来上がっていると言っていることです。出来ないことを、実は難解なものを、見せているのです。

毛利:長坂さんの活動はその両輪の運動がすごく面白い。一方でイメージは非常に分かりやすいし、キャッチーなものを作っている。でも同時に、背後にある資本の循環のような、長坂さんがガーナに行ったり、会社を作ったりしていることも、ほとんど作品には示されていないにもかかわらず感じることができる仕組みになっている。ご著書にも書かれていますが、長坂さんは自らのアート作品を利用した、とても複雑な経済の循環の回路を作っていて、多分その回路自体もアートですよね。後者は、今までの定義で言うと、美術館に入るものでもなければ絵でもない。中々アートとして見えにくいのですが、実は両方無いと成立しないようなものが出来上がっている。これは、アーティストとしてかなり特異なことをなさっていると思います。

毛利嘉孝さん
資本主義をやめられない世界
高津:アートに関するお二人のお考えの輪郭がここに浮かび上がりつつあると思うのですが、ここでさらに資本主義の話に繋げていきましょう。毛利さんは今、資本主義の本を書かれているそうですね。

毛利:はい。資本主義とアートの本を書いています。前提として、マルクスが示した資本主義の像があります。それは、単純に言うと富める者は益々富み、貧しいものは益々貧しくなって、どんどん格差が広がっていくというものでした。当時のマルクス主義者はは、その矛盾が拡大した先に、社会は持ちこたえられず大きな革命が起きると考えたわけですよね。しかし、今となっては、かつて20世紀初頭に起こっていたように社会主義や共産主義に向かうという形で革命は起きないのでは、と皆が思い始めています。マーク・フィッシャーという人は『資本主義リアリズム』という本の中で「現代社会においては、資本主義の終わりより、世界の終わりを想像する方がたやすい」と語っているのですが、実際、誰も資本主義の終わりが来るとは想像することもできなくなっている。

高津:サステナビリティの議論も、皆このままだと人間にとっての地球が危ない、と思いつつ、そうはいっても資本主義は捨てられない、と思っているがゆえになかなか進まない、という側面がありますよね。

毛利:そこで、もちろんアートで全てが解決するわけではないかもしれない。けれども、少なくともこのような時代だからこそアートがかなり重要な役割を果たしていくのではないかと思っています。現代の資本主義は、単純に土地を持っている(生産手段の所有)とか、労働者の搾取によって成り立っているのではなく、我々の感情を支配することで成り立っています。そこに介入することができる対する数少ない答えがアートなのではないでしょうか。たとえば、ポスト資本主義の議論の一つに、労働の拒否、つまり我々は働きたくない、という問題があります。労働者の団結が重要なのではなく、そもそも労働の拒否が重要なのだと。つまり、これはつまらない単純労働や精神的に辛いお付き合いのような仕事はやりたくないということです。逆に言うと、野球選手にはなりたいかもしれないし、アーティストにはなりたいかもしれない。あるいは、世の中の役に立つことをしたいという意味では働きたいと思っている人は多い。

高津:最近、すごく面白い論文を読みました。脱成長する社会で幸せは可能か、という大切な問いを探求するなら、日本を研究すればいいじゃないか、という前提で書かれた論文なんです。私たちの国はこの数十年、成長をしていない、つまり、意図せずに脱成長をすでに実現してしまったと。では、その日本で人々は幸せなのかを調べると、統計的には幸福度は上がっている、つまり、脱成長での幸せは可能だ、と。ただし、幸せの意味自体が変容している、というオチがあって。かつての幸せは自分の成功や繁栄だったのですが、今の幸せは他者との調和であったり、他者への貢献であったり、と。

長坂:僕のアートも、そのソーシャルエンゲージメントが高いから評価されているわけです。僕も絵が何千万で売れたと自慢していますが、報酬は5%です。僕は脱成長の中で育ったので「お金を持っていて、何になるんですか?」という感覚がずっとあって、それでも成長が無いと社会が発展しないことも分かっている。そのジレンマから、サステナブル・キャピタリズムという概念を発案しました。これはシンプルで、成長への欲求というものは本質的になくせないことなので、否定しない。成長して勝つことは楽しむけれど、成果は分けるのです。むしろ分けることが幸せと言えます。僕が十何億を稼いで、「すごいでしょ!」と言って、そのお金でガーナに再投資していくわけです。僕にとって、スラムにお金を使うことは何よりの贅沢です。誰よりも贅沢をしている気がします。

高津尚志さん
資本主義の真ん中に来たアート
高津:さて、ここでイベントに参加してくださっている方々からのご質問をいただきたいと思います。

参加者:長坂さん、お話ありがとうございます。先ほど絵を売ったら5%は自分の所に入ると仰っていましたが、残りの95%はどこに行くのでしょうか?

長坂:5%の給料をもらっていますと言ったら、95%は寄付しているとか還元していると思われることも多いのですが、それは不可能です。なぜかというと、第一に納税をしなければなりませんし、僕のスタジオも、スタッフを雇用するにも、すべてにお金がかかります。そういった費用を抜いたお金が毎年数億円は残るので、例えばガーナの工場に機械を配備したり、農業事業への出資に使ったたりしています。コーヒーが採れるようになるのは5年後、6年後です。その間の給料は保証しなければならないので。そういった運営に使っています。

高津:ありがとうございます。最後に一言、毛利さんに、「アートは新しい資本主義を作ることができるのか?」という問いについて、現時点で、どうお答えになりますか。

毛利:いわゆる近代的な経済学の中で、需要と供給というようなことを考えた時に、これまでアートというものは例外的な商品でした。大量生産されませんし、ほとんど一点ものですからね。つまり、アートは資本主義の中で言うと周縁化された場所にいたのですが、この20年の間に、いつの間にか中心的な場所に来ている。それこそ、デパートなどは、通販の普及で売るものがないと嘆いている時代にあって、アートが中心的な商品となってきていますよね。これはとても面白いことだと思います。今まで、私たちは世代的にも資本主義は悪である、を乗り越えなきゃいけないという信じていたのですが、ひょっとすると、アートと共に全く異なる資本主義が現れるかもしれないという期待もあります。そこに賭けたいですし、今日の話も色々と示唆的だったと思います。そう言った意味でも、長坂さんのこれからの活動をとても楽しみにしています。

高津:毛利さん、長坂さん、ありがとうございました。今日の時間が皆さんにとって色々な事を考えたり、或いは行動を見直したりするキッカケになるかもしれないな、という期待をしつつ、ここでお開きにしたいと思います。どうもありがとうございました。

アートは新しい資本主義を作ることができるのか?
〜サステナブル・キャピタリズムの可能性〜
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新しい資本主義の形「サステナブル・キャピタリズム」をアートを通じて作ろうとする長坂さんと、アートと資本主義の関係を考察されてきた社会学者の毛利嘉孝さんをお招きし、アートと資本主義の関係を見直し、アートの価値を再考します。【リアル開催】