オピニオン・記事

六本木アートカレッジ・セミナー
シリーズ「これからのライフスタイルを考える」第4回
身体の拡張:能楽師・安田登×為末大

能で読み解く、日本人の「こころ」と「からだ」

更新日 : 2017年01月17日 (火)

第1章「初心」とイノベーション

六本木アートカレッジ・セミナー「これからのライフスタイルを考える」シリーズ。第4回のテーマは「日本人の身体」です。身体機能を拡張するロボットスーツ、VR・AR、人工知能(AI)などテクノロジーが日々進化を遂げる中、私たちの「身体」は今後、どうなっていくのでしょうか? 古今東西の文献などを通じて日本人の「こころ」と「からだ」を研究されている能楽師・安田登氏と、元プロ陸上選手の為末大氏が、能に秘められた日本古来の身体感覚から、これからの「こころ」「からだ」を読み解いていきます。

スピーカー:安田登(能楽師)
スピーカー:為末大(元プロ陸上選手)

気づきポイント

●すがたかたちは変わっても、自分を自分たらしめるもの。それが真のアイデンティティ。
●昔の日本人の身体感覚はとてもあいまいで、他者や風景とも混ざり合い、溶け合っていた。
●人間の身体は「弱い」という大きな欠点がある。だからこそ生み出されたものが「こころ」。


安田登(能楽師)


古い自分を切り捨てる

安田登: 今日は最初に私がミニ・レクチャーをさせていただいて、それから為末さんのお話をうかがうという流れになっています。

さて、能といえば、“お年寄り”が演じているイメージを持つ方も多いと思いますが、通常は3歳くらいから、早い子では1歳半頃からお稽古が始まり、舞台でも様々な世代が活躍しています。とはいえ、能は定年がないため、たしかにお年寄りが多い。しかも、皆さんとても元気です。

私が能の世界に入ったのはかなり遅く、20代も後半でしたが、楽屋にいても舞台を拝見していても、「なぜ、お年寄りになってもあんなに元気なのか?」ということがとても不思議でした。そんなときに、米国発祥のボディワークである「ロルフィング」を学ぶ機会があり、ボディワーカーの視点で能楽師の身体性を見直したところ、どうも2つの理由があるのではないかと気づきました。

1つは、「すり足」を中心とした深層筋(インナーマッスル)の働き。もう1つは、腹式による深い呼吸でなされる「謡(うたい)」。目に見える身体ではなく、もっと深い部分の身体に秘密があったのです。そんな能の身体性を見ていく前に、能と能を大成した世阿弥について少しご紹介します。

世阿弥の言葉で最も有名なのが、「初心忘るべからず」でしょう。一般的には「最初の新鮮な気持ちを忘れてはいけない」というニュアンスで使われていますが、本来の意味はちょっと違います。「初」という字は、左に「衣」、右は「刀」。この字は、着物をこしらえるとき、布地に最初にハサミ(刀)を入れるというのがもともとの意味です。どんなに美しい布地でも、そこにハサミを入れなければ着物を作ることができない。それと同じように、人は次のステップに進むとき、古い自分をバサリと裁ち切り、捨て去って、新たな自分に生まれ変わらなければならない。それが「初心」です。

人生には様々なステップがあります。世阿弥はそれを「時々(じじ)」と呼びました。学校に入り、就職をし、結婚をし、子を生む。その「時々」ごとに自分も周囲も変化をします。人は生きている限り、変化し続けます。その変化を受け入れ、進歩をするためには、どんなにつらくとも過去の自分を切り捨てる。世阿弥はそれを「時々の初心」と言っています。

そして、この初心の覚悟は何歳になっても必要だと世阿弥は言います。人間は年齢を重ねるほど、経験や知識、名声や成功体験など、身に着けているものが増えていきます。それらを捨て去る不安は大きい。それでも捨てなければならない。それを世阿弥は「老後の初心」と呼びました。

しかし、世阿弥はこうも言っています。「安心しろ。本当に大事なものは、どんなに捨ててもなくならない」と。
 
本当のアイデンティティとは?

安田登: 能が650年以上続いてきた理由も、この「初心」にあります。能はイノベーションを繰り返してきた芸能であり、わかっているだけでもこれまでに4つの大きな「初心」を経ています。しかも、それは徐々にではなく、常に突然起こっているのです。

第1の変化は、豊臣秀吉の頃。それまで能の装束はふつうの着物のようなものだったといわれていますが、秀吉の時代に突然、豪華で重量感のある今の能装束のようなものに変わりました。そのため、演技の質もがらりと変わったと推察されます。第2の変化は、江戸時代初期。突然、能のテンポが緩やかになりました。それ以前は、現在の2、3倍の速さだったそうですが、そのスピードで謡うと、まるでラップのように聞こえます。

第3の変化は、明治時代初期。それまで屋外で演じられていた能が、屋内(能楽堂)に入ってきました。ダイナミックに演じられていた能が、閉鎖的な空間に入ったことで、繊細かつ洗練された動きに変化したと考えられます。第4の変化は、戦後。初めてお客様からもらうお金で興行をするようになりました。それまでは幕府や貴族階級がスポンサーだったため、入場料はほとんどあてにしていませんでした。それが戦後、状況が一変し、初めて経済活動の中に入ってきたわけです。

しかし、どれほど形が変わっても、必ず残るものがある。それが「能を能たらしめるもの」です。ひと言で表すのは難しいのですが、たとえば、3歳の私と60歳の私は、見た目も中身もまったく違いますが、同じ安田登。それと同じです。


ならば、「アイデンティティ」はどうか? 「あなたは誰ですか?」とたずねられたとき、すぐに言語化できるようなものは、おそらくアイデンティティではありません。すがたかたちは変わっても、たとえ身体がなくなっても残るもの。それが本当のアイデンティティではないでしょうか。

松尾芭蕉は「不易流行」と言いました。変わらないこと(不易)、変わること(流行)、どちらが大切か? 芭蕉は、「流行」がより重要だと言っています。たしかに「古いこと」も大切ですが、しかし、それに拘泥してはならない。芭蕉は「かりにも古人の涎(よだれ)をなむることなかれ」と言っています。古人がどんなにすばらしかろうと、昔の人のよだれをなめるようなまねをしてはならない。古いことをそのまま模倣し、墨守するのではなく、その神髄(不易)は受け継ぎつつ、形は時代に合わせて変化、進化(流行)させていけ。芭蕉はそう言っています。

生命力を持って続いているからこそ「伝統」であり、それが「古典」とは違うゆえんです。そして、その「流行」の奥底に、流れ行く川の水底の石のような「不易」があるのです。

これからの身体性を考えていく上では、自分の中にある不易、本当のアイデンティティを探していく必要があると思うのですが、それはいわゆる解剖学的な、静的な身体を観察するのではなく、日々変容する動的な身体と付き合いながらでなくてはなりません。そして、それこそが日本人にとっての身体観だったのです。

では、それを見つけるヒントとして、昔の日本人が「身体」をどう捉えていたのかを探ってみましょう。



該当講座


六本木アートカレッジ 伝統を未来へどう伝えるか
六本木アートカレッジ 伝統を未来へどう伝えるか

安田登(能楽師)×為末大(元プロ陸上選手)
ロボットスーツの登場、VR,AR、そして人工知能などのテクノロジーが進化する未来において、人間の身体性はどのように変わっていくのでしょうか。そのとき、我々はどのような生活を送っているのでしょうか。『日本人の身体』著者の安田登氏と、パラリンピアの育成に努める為末大氏による対談セミナー。


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