六本木ヒルズライブラリー

ライブラリアンの書評    2021年5月

毎日続々と新刊書籍を入荷するライブラリー。その数は月に200~300冊。
その書籍を司るライブラリアンが、「まさに今」気になる本は何?





ひとりで外に出て飲みに行くことをしていた人は、今どうしているだろうか。飲み屋が開いていなくて、仕方なくコンビニで酒やツマミを買い、自宅で飲んでいるだろうか。自宅でテレビやスマホを見ながら飲む酒は、外に出て飲む酒とは全く違う。飲むことが目的であることはそうなのだが、外に出る、ということも同じくらい大事で、家に腰を落ち着けて飲む、のではなく、どこかしら外で飲むという、浮遊感が欲しい。自宅だと自分の生活感があふれているから落ち着かない。外にある、自分ではない空間に身を漂わせることがしたい。
 
”ひとりで街へ飲みに行くのは、誰もいない浜辺でゆっくりと海に入っていくのに似ている。”

シュノーケリングで海に入っていく様を、街を徘徊する様に重ね合わせるところから、物語ははじまる。海に浮かびながら海底の岩や海藻がゆらゆらと揺らめくのを眺めることは、街のネオンの揺らめきを漂うことに共鳴する。
 
そこに「確かさ」は無く、常に周囲は揺らめいている。
 
目的とか、仕事とか、家族とかが、「ある」ことと「ない」こと。「ある」ことが素晴らしいわけではなく、「ない」ことが悲しいわけでもない。そこに良し悪しはなく、気付いたらそうなっていた。
 
音楽を教えたり、ジャズバーで演奏したりしながら、どうにか生活はできている主人公。ウッドベースがなぞるコード進行は最初から決まっているようでいて、そうとも限らない。自分の演奏=人生への疑問、中途半端に食べていける、やっていけることへの疑問。その覚束なさは誰しもが抱えている種類のものなのか。
 
読み進めながら、まるで言葉にならない自分の言葉以前が浮かび上がっていくような感覚。書き起こされた文字が、言葉にならなかった無数の音楽を奏でているようでいて。あっという間に読み終えたように思われながら、ずっと前から読んでいたような、読み終わったのに読み終えることのないような、妙な感覚が今も続きます。
 

(ライブラリアン:結縄 久俊)

リリアン

岸政彦
新潮社