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「縄文の思考」~日本文化の源流を探る

更新日 : 2009年08月12日 (水)

第11章 日常生活の役に立たないモニュメントをつくるのは、人間だから

小林達雄 考古学者/國學院大學名誉教授

小林達雄: そのうちに縄文人は変なことをはじめます。「俺たちはもはや動物ではない、俺たちは人だぞ、人間だぞ」と主張するのです。そこで何をしたかというと、縄文人は日常的な生活とは無関係の変な施設をつくりはじめました。私はこれをモニュメント、記念物と呼んでいます。

記念物はストーンサークルだったり、環状の土手であったり、巨木樹であったりするのですが、つくるのにものすごい手間隙が掛かるのです。これら記念物に共通する性質は目立つということです。目立つものをつくるということは規模が大きくなるということです。規模が大きくなるということは、それだけ人を動員して長い年月も掛かる。

でも、そうしてつくったものは、日常的な生活には直接関係ないものです。人手も時間も掛かるのに、そんなに一生懸命つくるということはどういうことでしょう? 実はこれが縄文人の極めて人間くさい行動の表れなのです。

彼らが何を考えていたか、我々はうかがい知ることができません。だから我々にも図りかねるようなことですが、つまりそれは、彼らの信念の世界です。一言でいえば世界観です。彼らの世界観と関わりを密接に持つものを形にしたのです。

世界観を言葉で表したって具体的にはわかりません。「お前はそう思うかもしれないけれど、俺はそうじゃあねえぞ」と議論百出しますよ。そのとき誰かが「じゃあこんなものだよ、これでいこうじゃないか」と目に見えるカタチにしてみせると、世界観はそういうカタチのものだなとみんなが納得する。それでエイヤとつくるわけですが、大変なんですよ。

秋田県の大湯のストーンサークルは2つ並んでいるのですが、この2つをつくるために7kmぐらい上流から7,000個ぐらいの石を運んできているのです。1人で担いでは来られないような物をひきずってくるのです。7,000個ですからね、ダンプカーがあるわけじゃない、リヤカーもない、車もないんですから。人が人力で運んでくるのです。

栃木県小山市に寺野東遺跡がありますが、これは直径約165mのドーナツ状の土手で、比高差は約5mです。小さなマウンドを1つつくるのでも大変です。それが直径約165m。奈良県の黒塚という鏡をたくさん出した前方後円墳がありますが、これでも約135mですから、どんなに大きいことをしているかがわかります。環状列石にしても、世界観として大きなものを何百年も掛けてつくるのです。

しかし、日常的な生活の役には立っていない。少なくとも私たちにはわからない。そういう世界観に関わるものを彼らがつくったというのは、どういうことなのでしょう? 言い換えれば、全く腹の足しにならないものをつくっているのです。つくればつくるほど腹が減る、それなのにつくるのです。

腹の足しにはならないけれど、違うところの足しになっているのです、心の足し、頭の足しになっているのです。そういうふうに考えると面白いですね。そういうことを私たちは忘れてきたのです。

東大寺などもみんなそうです。あんなに大きくなくてもいいはずなのに、やっぱり大きさが必要なんです。古墳だって、大きな古墳は権力者の象徴でも何でもないのです。みんなの、自分たちのモミュメントなのです。1人の権力者がいて命令一下でああいうものをつくれると思ったら大間違いです。みんなの合意の下にできたのです。

奴隷制があったわけではないのですから、世界観とスローガンで「よしつくろう。俺たちの世界はこういうものだ!」と言ってものすごい仕事をやるのです。石を一所懸命、100年200年と掛けて集めてきて、こつこつ円形に並べていくんです。どれほどロマンチックなことか。


該当講座

『縄文の思考』〜日本文化の源流を探る
小林達雄 (考古学者/國學院大學名誉教授)

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