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「縄文の思考」~日本文化の源流を探る

更新日 : 2009年08月07日 (金)

第8章 縄文時代、既に「言葉の壁」があったのではないか?

小林達雄 考古学者/國學院大學名誉教授

小林達雄: 言葉というのは本当に大事なものでして、縄文時代、日本列島の周りの国々にはすでに違う言葉がありました。縄文時代、宗谷海峡を渡るのは津軽海峡を渡るよりも実は簡単だったんです。あそこはせいぜい60メートルぐらいの水深で、冬になれば狭まる、うまくすれば流氷が堰をつくってくれたかもしれない。でも、縄文人はそこを渡らないし、樺太の原住民も渡って来ないのです。

朝鮮海峡は130メートルほど。縄文人は対馬までは渡るのです。あそこは縄文の国なんです。対馬は朝鮮海峡の九州寄りではなくて、朝鮮半島寄りにあります。そこまで縄文人は行っているのに、そこから先には全然興味を示さず、朝鮮半島には渡らないのです。おかしなことです。

津軽海峡はボートで行っていました。それも丸木船です。今の一番簡易な漁船と比べても100分の1以下ほどの機能しかないような船を操って、しょっちゅう行き来をしていました。だから津軽海峡をはさんで、縄文時代を通じて同じ文化圏なんです。それぐらいナビゲーターとしての力があるのに、なぜもっと簡単に渡れる宗谷海峡を渡らなかったのか。朝鮮海峡の対馬まで行って、どうしてその先には行かなかったのか。

南に目を向ければ、縄文人は沖縄まで行っています。新潟県の糸魚川沿いの姫川という所はヒスイの産出地です。ヒスイの産出地は1カ所しかないのですが、そのヒスイが沖縄まで行っているんです。

だから、宗谷海峡や朝鮮海峡を渡って向こう側に行かないのは航海技術が理由ではなく、「行かないんだ」という意思があるんです。なぜ行かないかというと、行っても言葉が通じないからです。言葉が通じないと、せっかく見目麗しい女性が遠くに見えても、船で行ったときに見えても口説けない——これはわかりやすく話をしました。

今は極端に話しましたが、全く行っていないわけではないんです。少し文物が行ったり来たりしています。痕跡として朝鮮半島からも物が来ているし、縄文土器も朝鮮半島に行っています。でも、例えば大きな向こうの貝塚遺跡に縄文土器の破片が2つしかないとか。もっと持って行ってよとなぜ言わなかったのか、あるいはどうしてもっと受け入れなかったのか。これは受け入れる気がない、縄文土器の意味を知らないというか、交流がない。言葉が通じないからです。

つまり、大和言葉の祖先、祖語が縄文時代にはもうでき上がっていた、だからこそ、朝鮮半島の人々と交流できなかったのではないか。宗谷海峡を渡ろうとしなかったのではないか。何回か行き来はしていますけれども、手を結ぶということは一切なかった。津軽海峡はものともしないで行ったり来たりしていたし、南西諸島、沖縄本島にも行っている。それなのに「なぜ宗谷海峡や朝鮮海峡は行けなかったの?」ということです。

そういうふうに見ていくと、「弥生時代から日本語の形が整った」という考え方は言語学者のもので、『万葉集』『古事記』『日本書記』などを材料にして大和言葉を遡ろうとすると、そういうことになるのです。私は全く賛同できません。「日本語はウラル・アルタイ語で、それから何万年ぐらい前に分かれた」といいますが、そんなことはありません。

分かれてくるまではどうしたんですか? 日本列島の人たちは、手振り身振りだったんですか? そんなことはありません。言語中枢はもう十分に発達していて、今と全然変わらない。チンパンジーなどが四つん這いになって移動するときには喉を圧迫しますから発音、音域が限られるのですが、人類は本当に幅広い音域を持っています。だからこそ、あちらこちらでいろいろな言葉があるのではないしょうか。今、世界中の言語は65,000種類といわれています。

その言語はウラル・アルタイ語だとかインド・ヨーロッパ語だとか、そういうところに基があって、それから分かれてきたのではないです。みんな、もともと地域地域にあった言葉がその後の交流によって貸し借りが出てきたりして、同じような言葉のグループができたのです。本末転倒してはいけません。人間の能力や、人間と言語という哲学的な思考、言語学者の多くはそれに目を向けていないだけの話なのです。

記号論やチョムスキーなどの新しい言語学というのは、今申し上げたような、「人間と言葉とは何か」そういうところから来ているのです。我々の言葉はどこから来たかとか、ミクロネシアの言葉はどこから来たかなど、「この言葉はどこから来たか」ということから発想するのが、まず間違いです。

ちょっとほかの分野にまで話が飛びましたが、このように縄文日本語というのは、もう確立していました。猿やチンパンジーと違って人類は言葉を手にして、そしてそれを自由に操った。手に入れた言葉というその武器を活用しないわけがない。最初から活用していますよ。


該当講座

『縄文の思考』〜日本文化の源流を探る
小林達雄 (考古学者/國學院大學名誉教授)

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