記事・レポート

生命観を問い直す

更新日 : 2009年07月08日 (水)

第10章 KYな「ES細胞」はがん細胞と紙一重

福岡伸一 分子生物学者/青山学院大学教授

会場からの質問: 「脳始」は具体的に何時からというコンセンサスはとれているのでしょうか。あるいはこれから検討していこうという段階なのでしょうか。

福岡伸一: 恐らくこれからいろいろな議論が出てくると思います。ただ、脳が脳として機能を開始する時期は生物学的には分かっていて、受精後27~29週です。

会場からの質問: 先ほど「脳始」のところでES細胞の話が出ましたが、ES細胞(胚性幹細胞)とiPS細胞(人工多能性幹細胞)はどこが違うのでしょうか。また、iPS細胞が使えるようになったらES細胞は要らなくなるのでしょうか。

福岡伸一: これは私の個人的な観測ですけれども、ES細胞あるいはiPS細胞に、皆さんが見ているほどにはバラ色の未来はないと思います。なぜなら、ES細胞は、本来「動的平衡状態」にあった受精卵が分裂していった胚を、バラしてしまったものだからです。

細胞が心臓になる、脳になる、筋肉になる、骨になるという分化は、最初から全部遺伝子にプログラムされているわけではありません。胚という細胞の塊の中で、細胞と細胞が互いに情報交換をし、相談して何になるか決めているのです。比喩的な言い方ですが、実際にそういうコミュニケーションによって分化が成立します。

ですから、胚をバラしてつくられた細胞は、話し相手がいなくなって、空気が読めなくなり、ほとんどは死に絶えます。ところが何回もバラすことを繰り返すうちに、自分が何になるかわからないまま、分裂することをやめない、いわゆるずっと自分探しを続けている細胞が見つかりました。それがES細胞です。

一方iPS細胞は、普通の細胞を人工的にES細胞化することに成功したものです。ウイルスの力を借りて、4つの遺伝子を無理やり増やす方法ですが、そこで何が起こっているか、どういう負荷が細胞にかかっているかという点でブラックボックスになっています。

ES細胞を別の胚の中に戻すと、周りに友達ができて、ES細胞は周りの空気を読むようになります。「周りが骨、心臓、筋肉になるならば、僕は肝臓になろう」というふうに、自分の分を思い出して過不足なく1個の個体になるわけです。

しかし、戻すタイミングが狂うと、ES細胞は自分の分を見つけることができません。成体のマウスにES細胞を戻すと、周りの細胞はすでに自分探しを終えた後なので、相手にしてくれないのです。ES細胞は仕方なく増殖だけを繰り返し、がん化していきます。

ES細胞は、がん細胞と紙一重です。過去50年間、私たちはがん細胞をコントロールする方法を1つたりとも見つけることはできませんでした。おそらく私たちは、その程度にしかES細胞をコントロールすることができません。ES細胞の研究には、そういう慎重さが求められていると個人的に思います。


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