記事・レポート

「政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年」

BIZセミナーその他
更新日 : 2008年10月20日 (月)

第12章 「お流れちょうだいします」はもう通じない、自民党の危機

ジェラルド・カーティスさん

ジェラルド・カーティス: 大分に着いた次の日の経験について、この間、新聞の政治部の記者たちに話したら、みんな若い人たちでしたが、何か神秘的な外国の話をしているような顔をされました。

佐藤文生さんが「今夜、私の選挙をやってくれているいろいろな世話人が集まって宴会をする。紹介するのにちょうどいいチャンスだからついて来なさい」と言うので行きました。別府の旅館の30人ぐらい入る畳の宴会場の座敷にみんなが集まっていました。

佐藤さんと私が前に座っていると、いきなり佐藤さんに「俺の後をついて同じようにしろ」と言われました。佐藤さんは、一番右にいた人の前に座って、「お流れちょうだいします」と言って、お酒をいただいて飲んで返しました。それから次の人のところに行って、しばらく話をして、また「お流れちょうだいします」と。この「お流れちょうだい」という日本語は、今の若い人たちは知らない人がすごく多い。年をとっていても、ああいう宴会に出たことがないなら、知らない人が多いかもしれません。

「お流れちょうだい」は、日本の縦社会の非常に面白い現れです。佐藤文生さんは国会議員になる人で、周りの人たちは地方の建設業界や町会議員の人たちですから、佐藤さんの方がヒエラルキーでは上です。でも、今度の選挙で彼らのお世話になるのは佐藤さんだから、頭を低くして、謙虚な気持ちで「お流れちょうだいします」と言うのが紳士のとる行動なのです。

私が後をついて行って、「お流れちょうだいします」と言うと、みんなお酒をくれるわけです。飲んで返すのですが、私は外国人で、皆さんほとんど初めて会う外国人だから、1杯では済まない(笑)。猪口を返すと、またすぐ注いでくれるわけです。2、3杯は飲まないと、次のところに行かせてくれない。佐藤さんがだんだん先に行っていて、私は追いかけるようにお酒を飲みながら部屋を回ったのですが、そのうち、部屋が回ってきました(笑)。

やっと元に戻ったらフラフラして、ちゃんと座れなかったのですが、これがすごくよかったんです。というのは、そこにいた町会議員や田舎のおじちゃんたちが笑って、「いやあ、こいつは根性のあるやつだ。そこまで飲むというのは大したもんだ」と誰かが言ってくれました。それから1年間、私の研究のため、一番いろいろ世話をしてくれたのは、あの夜集まった30人の方でした。

ただ、次の日は二日酔いで目が覚めました。不思議だったのは、私は酔っ払ってしまったのに、佐藤さんはシラフだったこと。よっぽどお酒が強いのかと思って、聞いたんです。「なぜ先生は酔わなかったのですか?」と。そしたら、「それは君、杯洗(はいせん)というものを知る必要がある」と言うのです。座敷のテーブルの上には、水が入っている入れ物があります。佐藤さんはお酒をもらったら口にして、でもほとんど飲まないで、こっそり杯洗に捨てて返していたのです。政治家と芸者は似ていて、相席を長く務めるためには杯洗を上手に使うコツが必要なのですね。

この間、新橋の料亭に友だちに連れて行ってもらいました。芸者さんに、「本の中で"お流れちょうだい"の杯洗の話をしているけれど、今は杯洗を知らない人が多いのではないですか」と聞いたら、その芸者さんが笑って、「今のお客さんは杯洗をフィンガーボールと勘違いして、そこに手を突っ込む人もときどきいます」と言っていました。日本は変わってきました。

ですから、あの当時の大分県の選挙と、今の日本では違うのです。もちろん田舎に行くと似ているところもあるとは思いますが。日本の社会そのものが大きく変わってきました。にもかかわらず政治のやり方が変わらない。これが自民党の今の危機的な状態をつくっているのだと思います。