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ライフスタイルサロン ~遊びをせんとや生まれけむ『ぼくの複線人生』~

カルチャー&ライフスタイル
更新日 : 2008年02月27日 (水)

第3章 子どものときの原体験は、後に必ず活きてくる

ダグラスDC-3

福原義春: 私は飛行機も大好きでした。さきほどお話したナバホ・インディアンの首都ウィンドウ・ロックに行くには、ギャラップという小さな町の空港が近く、地元の飛行機会社の双発機に乗らなければなりませんでした。それでダグラスのDC-3という双発機に初めて乗って感激したわけです。本当に安定がよくて、エンジンもいい音でした。

これは世界で大成功した双発飛行機で、全世界で16,000機ほど造られたのですが、現在でもまだ飛んでいる機体があるといわれています。私と同い年ですから、もう造られてから70年以上経つわけですが、それが今でも飛んでいる、いかに成功した機体であるかということが、おわかりいただけると思います。

物事は何も進歩するだけがいいのではなくて、こういう古くてクラシックで安定しているものというのは、素晴らしいものだと思います。

それから、子どものときに戦争になって疎開をしたのですが、疎開先では地元の子どもたちと一緒に遊ぶチャンスもなく、何もすることがありませんでした。そうなると、父が持っていった本の中から手当たり次第に、わからない本でも何でも読んでしまうわけです。『鞍馬天狗』とか『半七捕物長』『大菩薩峠』あたりは何とかわかるのですが、岩波文庫から出ていた『雑種植物の研究』、これはいわゆるメンデルの遺伝法則が書かれた本ですが、それをわからないなりにも一生懸命読んでいたのです。

カソリックの一僧侶が僧院の裏庭でもって、えんどう豆を使って、赤いえんどう豆と白いえんどう豆を掛け合わせると、その子どもは赤と白の比率がどうなるかという実験をやっていたということにびっくりしたんです。メンデリズムにびっくりしたんじゃなくて、そういう人間の生き方にびっくりしたというわけです。

それから、うちの庭にはヤマトシジミというシジミチョウがカタバミを求めて飛んで来るのですが、どんな卵を産むかとか、卵からどんな幼虫がかえるのかとかを眺めているうちに、写真を撮るようになりました。とてもかわいらしい蝶だと思っています。

以上が、『ぼくの複線人生』の表紙のデザインで表現した、私の人生をつくってきた要素の一部です。

こういったことが私の人生に、後々まで影響を与えているのです。俗に「三つ子の魂、百までも」と言われますけれど、小さいときの原体験というのは、後々、必ずどこかでまた戻ってくることがあるのです。あるいは、むしろ、それを守ることによって成功する方があるわけです。

例えば、去年、最相葉月の『星新一 一〇〇一話をつくった人』という本が出ました。若い方を含めて読者のすごく多い、皆さんもご存じのショートショートをつくった短編小説家の星新一さんが、どのようにして生まれたのかが書かれてあります。

星新一さんは星製薬をつくった星一さんの息子さんでしたが、お父さんは忙しいので、ほとんどおばあさんのところで育てらました。おばあさんというのは、森鴎外の妹(※編注:小金井喜美子)で、当代一流の短歌読みでした。

後にお父さんが急死して、星製薬を継ぐとか継がないとかというゴタゴタに巻き込まれたんですね。それが嫌で抜け出してSF小説家になり、ショートショートという新しい文体を生み出して、1,001編書かれたところでお亡くなりになりました。

そういうことを考えると、星新一というのは、おばあさんと一緒に育ったために、若いときにおばあさんの喜美子さんと一緒にいて育ったために、喜美子さんの短歌読みが原体験としてあって、そこからずっときた、それで成功したんだということがおわかりいただけるだろうと思います。