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都市は思考する〜利休の追求したクリエイティブ空間とは?

更新日 : 2018年10月16日 (火)

前編:市中の山居−−都市に生まれた茶の湯のデザイン

現代都市を駆動させる「思考」とは? いま都市そのものを動かしているシステムや潮流があるならば、私たちはこれをどう活かしていけるのか。その可能性を、建築家の藤村龍至氏とゲストが語るシリーズセミナーが「都市は思考する」です。今回は気鋭の茶人・木村宗慎氏を迎え、茶の湯のクリエイティブ空間=茶室を通じて、現代人が学べる創造性を探ります。前半は木村氏のレクチャー、後半は藤村氏との対話および会場との質疑応答が行われました。そのダイジェストをお届けします。

*本イベントは森美術館「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」関連イベントとして開催されました。

開催日時:2018年6月29日(金)19:00~20:30
スピーカー:木村宗慎氏(茶人/芳心会主宰)
モデレーター:藤村龍至(建築家)
文:内田伸一 撮影:鰐部春雄

気づきポイント

●茶の湯は本質的に都市文化。亭主と客の粋なコミュニケーションで成立する。
●茶会とは、五感を駆使するインタラクティブな参加型インスタレーション。
●「数寄ともてなし」「侘びと寂び」に学ぶ、マイナスをプラスに変える創造力。
●利休と秀吉の時代から続く茶の湯の実験精神は、現代建築家たちをも刺激する。
●これからの茶の湯は、「美を通じて人と人の距離を縮める文化」へ。


木村宗慎氏(茶人/芳心会主宰)

非日常的空間を舞台にした「もてなし」の文化
木村:本日はまず「市中の山居−−都市に生まれた茶の湯のデザイン」という題でお話します。もともと茶室は、田舎家の詫びしい、寂しい暮らしからポジティブなエッセンスだけをうまく再構築し、都市の只中にバーチャルな空間としてつくられたものでした。その意味で今回、森美術館「建築の日本展」にて国宝の茶室《待庵》が原寸再現されたのは、まさに「市中の山居」(都市に山の住処をつくること。茶の湯の精神を表す言葉)でもあると思ったわけです。

茶の湯は「もてなしの文化」だと、よく言っていただきます。面白いのは、主(ホスト)と客(ゲスト)という真逆の立場の人間が整って、初めて成立する文化であること。お能やお花は神仏に奉るところから始まったのに対し、お茶だけが人間を相手に始まりました。また茶道は古くは「数寄」と言われました。数寄の語源は「とるにたらないもの、粗末なものを集めてくること」。豪華な御殿と立派なご飯のような当たり前の贅沢ではなく、むしろそれらとは対極的なものを通じて、より特別な、非日常の高度なコミュニケーションを求めたのです。

「形あるものと形なきもの」が生む五感のコミュニケーション


木村:もしみなさんが茶会が行われていない茶室に入ると、「なんだ、この狭い、それでいてガランとした虚ろな空間は?」という印象を受けるでしょう。茶室の特徴のひとつは、建築だけで100点にならないようつくられることです。道具を据え、花を生け、湯を沸かし、各々をもてなしのサインとします。そのうえでホストとゲストという真逆の人間が備わって、やっと100%。そうして、オーケストラのように様々な要素を組み合わせ、茶会は行われます。また、たとえば「第九」は皆が知っていますが、指揮者や楽団、劇場や観衆も変わることで、全く違う感動が生まれることがあります。お茶も一緒で、ある約束ごとが練り上げられた背景は、そこからより深いコミュニケーションを実現させたいからだと考えると、面白いのではないでしょうか。

岡倉天心は茶の湯を英語で「Teaism」と表現しました(『The Book of Tea(茶の本)』、1906年)。単なる喫茶文化でも、遊芸でもなく、生き方に関わる豊かな文化という意味でしょう。そうした茶の湯を構成するものは何か。私は「数寄」と「振る舞い」だと思います。これは形のあるのものと、ないものとも言えます。吟味された新旧の様々な道具やものが「数寄」ならば、食べれば無くなるお料理や、抹茶、お菓子、あるいは茶人の所作が「ふるまい」だとも言えます。こうした要素を五感で味わい、かつお客さまもその要素になる、半日限りのインスタレーション。人々は茶室で、共にこれを楽しむのです。


茶の湯/茶室は日本のオリジナルか?

木村:ここで、茶の湯/茶室は日本のオリジナルか?という話もしておかねばならないでしょう。お茶は確かに中国から日本にやって来ました。また、侘びの概念や茶室という非日常の空間づくりは当時の禅宗文化との関連が強いという意見もあります。しかし、こと侘びという概念に関して言うと、日本が渡来文化を単にアレンジしたものと言ってよいのかどうか。

さかのぼれば平安時代、お茶はまず遣唐使たちが持ち帰ってきたのですが、当初は薬としてであって、庶民にまでは流行しません。しかし鎌倉時代になると、中国に渡った栄西禅師が、禅の教えと共にお茶を持って日本に帰って来ます。彼はお茶を日本に広めるために「茶の十徳」というキャッチコピー(効用)を10個考えるなどもしています。さらに金閣寺、銀閣寺がつくられた室町時代には、この二つの寺の間に劇的な事件があり、贅沢できない時期の簡素な美も生まれました。そんなこんなを経て、武将たちがお茶を大事にするようになり、室町時代末から桃山あたりになると、ただの飲み物ではなくその過程も楽しむようになります。

もともと和歌の用語であった「侘ぶ」(気落ちする。心細く思うなどの意)はマイナスイメージの言葉でしたが、茶の湯に取り込まれた結果、「侘び」(貧粗・不足のなかに心の充足をみいだそうとする意識)はいいねという話になりました。背景にあったのは、先ほどはわざと飛ばしたのですが、金閣と銀閣の間にあった応仁の乱です。後にその様子を描いた《真如堂縁起絵巻》を見ると、町中が焼け野原になった中で、新しい家の工事が始まっています。真白き布で囲んだ小屋は産屋(うぶや)と呼ばれ、女性の出産のためにつくられました。

このうぶでまっさらな様子を美しいと思った我々の先祖は、禅からそれを思いついたのではなく、こういう、都市の焼け野原で立ち上げられた白々しい強さに惹かれたのではないか。そこから、清潔で簡素なものを求める「侘び」の価値観が生まれたのではないか。侘しさや寂しさが実は愛おしさに通じるという新たな価値創造に持っていかなければ、そうとでも思わなければやっていけない、その表現が茶の湯に発露したのではないか−−というのは、私の勝手な意見です。ただ、お茶が単なる喫茶文化ではないこと、かつ都市の只中で行われてきたことなど、少し違う視点を持っていただくと、お茶のとらえ方もより面白くなるのではないでしょうか。という問題提起をして、藤村さんにお返しします。

該当講座


利休の追求したクリエイティブ空間とは?
~「都市は思考する」シリーズ~
「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」森美術館 関連イベント
利休の追求したクリエイティブ空間とは? ~「都市は思考する」シリーズ~ 「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」森美術館 関連イベント

木村宗慎(茶人/芳心会主宰)×藤村龍至(建築家)
二畳の茶室・待庵。千利休が秀吉のためにつくった極小空間には、どんな思いが込められているのか?人と人とがリアルに会する意味が希薄になりつつあるネット社会において、形式に則り、あえて限られた空間で他者と向き合うことを強いる茶道が現代社会に還元できるエッセンスは何なのか?


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