記事・レポート

日本のソフトパワー
発信力・交渉力を高める“文化の力”

近藤誠一・前文化庁長官が語る

BIZセミナー経営戦略キャリア・人
更新日 : 2015年02月25日 (水)

第1章 ハードパワーとソフトパワー

近年、文化や芸術を通じて他国を魅了する「ソフトパワー」の重要性が増しています。外務省出身として初めて文化庁長官に就任した近藤誠一氏は、「日本には世界に誇れる文化資源がたくさんある」と語ります。その言葉どおり、外交官として長く第一線で活躍した経験を生かし、石見銀山や奥州平泉、富士山の世界文化遺産登録に尽力された近藤氏に、日本のソフトパワーを語っていただきました。

スピーカー:近藤誠一(元文化庁長官)

近藤誠一(元文化庁長官)
近藤誠一(元文化庁長官)

 
文化で相手を魅了する

近藤誠一: 私は2013年7月に、3年間務めた文化庁長官を退任しました。その直前に、富士山の世界文化遺産登録に少々関わったため、現在は全国から講演依頼が寄せられております。特に「三保松原の逆転登録」(※編注1)に関するご要望が多く、各所でお話ししてきたこともあり、最近は少し異なるテーマを欲しておりました。本日は視点を変え、「日本のソフトパワー」というテーマでお話しいたします。

「ソフトパワー」とは、ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授(※編注2)が提唱した概念です。軍事力や経済力などを背景とした強制や報酬により、交渉を有利に進める力がハードパワーです。ソフトパワーとは、価値観や文化・芸術などを通じて相手国の人々を魅了し、交渉を有利に進めていく力です。こうしたことは従来から行われていましたが、パワーという概念を使い、国際政治における重要性を説いたのは、おそらくナイ教授が初めてだと思います。

一般的に、日本人は自国の魅力や価値を発信すること、あるいは、諸外国との交渉やロビイングが上手ではないと言われております。私は長く外交に携わってきましたが、その経験から申せば、「そうでもない」という印象をもっています。そこで、日本人の発信力・交渉力について、改めて考えてみたいと思います。


3つの外交

近藤誠一: 伝統的な外交と言えば“Government to Government”、すなわち政府間外交が基本でした。しかし、近年はそれだけでは糸口が見いだせない問題も増えています。そこで、「パブリック・ディプロマシー」や「民間外交」が注目を集めるようになりました。

パブリック・ディプロマシーとは、対市民外交、広報外交などと訳されています。ごく簡単に表現すれば、政府と民間の連携による広報や文化交流を通じて、相手国の政府ではなく、国民に直接訴えかけ、日本のファンになってもらう。それにより、相手国の世論の風向きをこちらにとって好ましい方向に変え、相手国政府の政策決定に影響を及ぼす、ということです。民間外交とは、個人やNPOなど市民レベルの交流により、相互の理解を深めていくことです。政府を介さないため、外交という言葉が適当かどうか分かりませんが、民主主義やITによるコミュニケーションの広がりから、市民同士の交流機会が増えたことで、こちらも重要視されるようになりました。
3つの「外交」には、それぞれ特徴があります。まず、伝統的な政府間外交は、自国の国益を最大化すること、そのために個々の案件を自国にとって最も有利な形で処理することが主目的となります。方法としてはまず、対話と協調により共通の課題に取り組み、いい結果を出して国益を伸ばすこと。もう1つは、対立に勝利し、国益を伸ばすこと。前者は協力、後者は交渉と言い換えられると思いますが、共通するのは「結果が明確に出る」ことです。交渉の理想はWin-Winの状況をつくり出すことですが、現実では自国の具体的国益を基準として、「交渉に成功した(失敗した)」という結論が出ます。戦争をすれば、勝ち負けという結論が出るのと同じです。また、事前に綿密な作戦を立てたり、期限を設けたりすることで、結果を得るまでの期間がある程度予測できる、という点も共通しています。

パブリック・ディプロマシーは、まずは相手国民を魅了することが主目的となります。特定の考え方を一方的に訴え続け、相手国民に刷り込んでしまう「プロパガンダ」も形式的にはここの範疇に入ります。しかし主に、交流というインタラクティブな方法を通じて、心の底から日本への好感度が高まるよう、緩やかに働きかけていくことです。ソフトパワーは主に後者で使われるものだと思います。ここでは個別具体的成果は求めません。

パブリック・ディプロマシーには、難点があります。第一は、アクションと結果の因果関係を確定できないこと。第二は、長い時間を要することです。たとえば、ある国で日本政府後援による伝統芸能の公演を行い、後日それを観たその国のトップが国連決議で日本に賛成票を投じてくれたとしても、因果関係はほとんど確立できません。また、「このアクションを起こせば、このような効果が得られる」といった予想図が描きづらく、効果がいつ現れるのかさえも分かりません。こうした難点があるため、国としても、この分野にどれだけリソースを集中すべきかの判断が難しいのです。

最後の民間外交は、純粋な文化交流による相互理解の促進が主目的となるでしょう。たとえば、能の役者さんが欧州で公演旅行を行い、さまざまな分野の方々と交流する。その結果として、日本のイメージが向上し、広い意味で国益に貢献する可能性はあると思いますが、特定の問題の解決は主目的とはならないはずです。

当然ながら、パブリック・ディプロマシーや民間外交では、外交課題を直接的に解決することはできず、最終的には政府間で決めるしかありません。しかし、解決に向けた気運を盛り上げるという意味では、非常に大きな効果を発揮すると思います。そのため、現代においては、伝統的政府間外交とパブリック・ディプロマシーを複合的に進めていくことが重要になっています。


※編注1
三保松原の逆転登録
2013年4月、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)は、「三保松原は富士山から物理的に離れすぎている」とし、世界文化遺産の構成資産からの除外を勧告。しかし、「両者には、目には見えない精神的・芸術的なつながりがある」とする日本は、近藤氏を中心に世界遺産委員会の各国代表などに粘り強く理解を求め続けた。その結果、同年6月に開催された世界遺産委員会において、当初除外勧告を受けた三保松原を含む登録を実現した。

※編注2
ジョセフ・ナイ
米国の国際政治学者。1937年生まれ。ハーバード大学特別功労教授。同大学ケネディスクール前学長。カーター政権で国務次官補、クリントン政権で国防次官補など要職を歴任。知日派としても知られる。クリントン政権下の1995年には、日米同盟の再定義を決定づけた「東アジア戦略報告」(通称ナイ・イニシアティブ)を作成。1990年代初頭、ハードパワーに対する概念として、ソフトパワーを提唱。現在はこれらを組み合わせた「スマートパワー」の重要性を説いている。

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~日本人の発信力・交渉力を考える~

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今後の日本の経済発展、国際競争力向上のためにも重要な役割を果たすと考えられているソフトパワー。その役割と日本の発信力、交渉力について近藤氏に伺います。


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